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福島復興あれこれ:復興の主体は誰なのか

 毎日新聞に避難8町村の自治体職員へのアンケート調査をまとめた論文の内容を紹介する記事が掲載されていました。

 記事の末尾に、引用元の論文J-Stageへのダイレクトリンクが載っている!
 地味に画期的です。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/reportscpij/21/4/21_439/_pdf/-char/ja

 福島大学の学生さんがまとめられたとのことで、とてもわかりやすい調査です。
 ただ、もと論文を見ると、回答率が18%ですので、サンプルバイアスの可能性は念頭においた方がいい結果だと思います。
 ひとつはっきりとわかるのは、回答者数における「正規職員」の割合が73%で、行政職員数全体に占める正規職員58%よりも高い割合であるということ、広野葛尾楢葉川内の計算上65%に対して回答者83%、双葉大熊浪江富岡では計算上55%に対して65%なので、正規職員の意向がより強く出る調査結果になっていることは推測されます。

 またこうしたアンケートに応じてくれやすいのは、時間的な余裕があるか、(仮に多忙であったとしても)答えるだけのモチベーションを持っている人になると思うので、そのバイアスもあるだろうと推測されます。
 つまり、本当に忙しい人は回答していない可能性がある、また、仕事にやりがいを感じていない人も回答していない可能性がある、ということなどが、回答結果の業務の多忙さや仕事へのやりがい項目の解答結果へ影響を及ぼしている可能性はあると思いました。

 記事に触れられていない項目のなかで気になったのは、「職員間の支え合い」への回答が、「全くない」「あまりない」で半数以上を占めていることです。非正規職員が4割近くを占めているということも大きな要因でしょうが、職場内での意思疎通がうまくできていない、つまり、役場内での意思決定プロセスもうまくいっていないことを強くうかがわせます。

 避難自治体では、復興業務で多忙になっているだけではなく、もともとの地元の職員がいなくなっている上に、意思疎通がうまくできておらず、そうでなくても難しい復興の方向性をどのように見出すかの指針を見出すことが、役場内でも困難になっていることが推察されます。

 また自由記述欄で、職員の数も質も確保が困難になっていること、復興について役場内でも意思が統一できていないこと、などが書かれています。

 これらについては、自治体単体ではどうにかできるようなことではないので、県なり国なりの政治サイドがどうすべきか考えるべきではないかと思います。この調査から伺えるのは、現状に問題があると感じつつも、それを話しあえる雰囲気が役場内になく、また、非正規や派遣、震災後採用の職員が主体となりつつあり、役場内がなかば空洞化した状態で、復興という今後の地域の運命を決定づける業務が行われていっていることです。

 昨年秋に開いたダイアログでも、「復興」がなにを目指すのかが共有できておらず、それぞれが違うことをいっている、という指摘はなされていました。

https://fukushima-dialogue.jp/archives/dialogue/24thdialogue

 ところが、実を言うと、「復興ビジョンが共有できていない」という指摘は、震災直後の早い時期からすでに指摘が出ていました。
 私は、いま、大学院で、原発事故後のプロセスについてダイアログで語られた内容について修論を書くことにしていて、過去のダイアログの記録を聞き直したり、読み直したりしているのですが(YouTubeで公開されています)、2013年、2014年の段階ですでに「復興」がなにを意味するのか、どこへ向かうのかが共有できていない、復興の方向性がわからない、という指摘は、くりかえし出てきていました。
 つまり、こうした指摘は最初のうちからなされており、そのことが復興プロセスを阻害してあることは認識されておりながら、問題をそのまま放置した結果、現状に至っている、ということになります。

 記録を読み直していて、2013年や2014年の時期よりも現在は明確に劣化した、と思うことのひとつは、「対話」の重要性や、異なる意見も尊重するという姿勢についてです。
 この時期には、自治体のなかの人でも、「対話」の重要性を認識し、ダイアログの場に参加してくれた行政の人も対話に強く賛同してくれる人は多くいました。
 現在の復興シーンでも、「対話が重要」と言われることは多いですが、実態は、異なる意見を尊重するのではなく、聞いているポーズを取るために行う、ということも目立つように思います。また、異なる意見を真剣に聞こうと言う姿勢も非常に薄れている、と感じます。

 これらについては、今回ご紹介した調査にあるように、非正規職員が増え、役所内でも「どうすればいいのかわからない」という雰囲気が蔓延しており、とても対話をして異なる意見を聞くような状況ではなく、その態勢も取れない、ということが背景にあることも察せられます。
 やや奇異に見えるのは、基幹自治体機能がこのようになかば弱体化しているなか、中央から派遣されてきている人たちが、意気軒昂といえば聞こえはいいですが、地域の状況と不釣り合いにテンションが高くみえることです。結局、戻ってきている住民の数が少なく、また、役場内ももともとの地元職員が少なく空洞化していることが、逆に人間的軋轢を呼び起こしにくくしており、中央からの権限をもった人たちが自分たちのやりたいことをやりたいようにできる、という不可解な状況が発生している、という印象を抱いています。平たくいえば、地元は反発する活力さえなくなっているのでは、ということです。

 私は、地域コミュニティと自治体は違うと思っていますので、自治体が合併したり、統合されたりすることについて抵抗は感じないのですが、とはいっても、復興業務の直接の執行組織である自治体が空洞化しつつあることは、非常に望ましくない状況なのではないかと思いますし、抜本的に対応を考える必要があるのではないかと思います。

 基幹自治体機能の空洞化、弱体化は、人口減少社会のなかで、地方でこの先次々に顕在化してくることになると思います。そういう意味でいえば、パイロットケースともいえなくはないのですが、避難自治体の場合は、復興計画が動いていること、つまり、空洞化した状態で巨額の予算プロジェクトが動いていることになるので、過疎化による空洞化とは質の異なる、大きな問題を孕んでいるといえると思います。

追記:
 政府は、まだら除染解除問題といい、今後の避難区域のあり方について、口癖のように「自治体と相談」と言っています。その当の自治体が空洞化しているということは、いったい、誰が誰と何の相談をしているのか、という話になります。
 これだけの巨額の予算が動き、また地域の将来を長期にわたって運命づけるにもかかわらず、誰が何を決めているのかが不透明である、というのは、真っ当な民主主義国家の状態であるようには思えません。

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