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エッセイ:Don't Follow the Wind 小泉明朗 Home Drama に寄せて

ただいまー、
ただいまー、

砂利敷の更地に置かれたモニタに向き合いながら、イヤホンから流れる音声を聞いていた。少しはにかむような、言い淀むような、ためらいがちな男性の声は、少しずつなめらかになる。

 今日は寒かったね
 寒かったから、豚汁がいいな

すぐにこのあたりの訛りだと気づくその声は、ひとりで会話の掛け合いをしているようだ。

 双葉はいいな、
 お父さんはこっち住むの、
 おれはできればここに住みたい、
 私は不便だから向こうに住んでいるよ、

コントと呼ぶには間延びした、それでいて、どこか切々とした言葉を聞きながら、渡された地図に指定された道を歩く。右手に墓地。倒れたままの墓石もあれば、彼岸に参った花が色を残しているものもある。イヤホンの音声には、やがて、静かな音楽が乗り始める。双葉訛りを聞きながら、道をゆく。右手にある公園には立ち入り禁止のロープが張られている。その向こうにある幼稚園と思しき建物の入り口に設置されたモニタリングポストは、そこが未除染の場所であることを示す数値を映し出していた。

ただいまー、
ただいまー、

音声が二巡に入る。
あふれる涙をぬぐわないままに、スクリーニング場の大きな白いテントの脇を通り過ぎる。雑談する作業員は、イヤホンを耳に入れて泣きながら歩く人間を気に留めた様子もなく、あるいは、それもここの「日常」なのかもしれない。

黙々と足を運びながら思い出していた。真新しい駅舎の前に広がる更地を、壁に描かれた巨大なペイントを、わずかに残った家屋の屋根を突き破って出ている竹藪を、建設中の陸橋を吊り上げる巨大なクレーンを、行き交う工事車両を、人影の薄い昔の街を思わせる路地を、その一角に突如あらわれたテントと、ここでまちづくりのワークショップをしているんです、という訛りのないいかにも都会的な若者の表情と、海沿いにある、さらに広大な更地と朽ちかけの建物と都会的でスマートと巨大な建設物とを。

ただいまー、
ただいまー、

事故が起き、人は逃げ惑い、それから喧騒がやってきた。そこにあったのは絶望だけではなく、躁状態の興奮の坩堝のような混沌と、それゆえの活気もあった。私たちは、それでもここからなにかを生み出すのだと思っていた。いろんな人がやってきた。いろんな人と出会った。友情があり、諍いがあり、そこには、どろりとした権力の匂いもあった。名声に踊らされ、金に狂った人もいた。そんななか、私たちは地に張り付くように、暴風を堪えるように、黙々と測定を続けた。やがて、人は入れ替わり、気づけば、不釣り合いに煌びやかな建物が、なんの根拠も整合性もなく、点在しはじめていた。金の匂いが充満した。濃厚な権力の気配でむせかえりそうだ。それに目を輝かせる人たち。吐き気がする。朽ちた住宅地は、すべて更地に姿を変えようとしていた。笑顔で人々がいう。「福島の復興のために!」 

 双葉はいいね、やっぱりいいね、
 帰りたいな、帰れっかな、やっぱ無理かな、

坂道を登り切ったところに、基礎だけが残された住宅地が広がっている。1軒か2軒だけ建物が残っている。瀟洒な構え、きっと東電社員の住宅があったのだろう。東電社員の、怯えたような緊張した表情を思い出す。この度は、被災者の皆様には大変ご迷惑をおかけし…、気にしないでいい、親戚に東電社員もいるから、と声をかけたあとの、緊張から解放されたといわんばかりの相好崩し安堵した表情。人はなぜ、ゆるされたい、と願うのか。それは、あなたの咎ではないのに。いや、それはあなたの咎なのだ、私たちの咎であるのと同じくらいには。

 ただいまー
 ただいまー

涙はぬぐわないことにした。鼻水と一緒にボタボタと流れ落ちるままに、少し離れた神社の敷地にのぼる。風景が一望できる。
完膚なきまでに破壊され、作り替えられようとしている光景が、パノラマに広がる。

 帰りたいなー、
 帰れるかなー、
 無理だろうな、

走り続けた私たちの12年間の帰結が、いま、目の前に広がっている。震災前のこの地をわずかにでも知る者として、私は、この風景の変容を受け入れることはできないだろう。死を迎えるその時まで、この風景を受け入れることはない。

なにもかにもが悲しかった。
朽ち果てた廃屋も、
取り壊されたあとの更地も、
不釣り合いに現代的な建物も、
乾いた空を突っ切る巨大な高架も、
それを「実にいい」とばかり云う皆の笑顔も、
なにもかにもが悲しかった。

これが私たちの12年間で、私たちの復興なのだ。誰ひとり望まなかった、誰ひとり了解できない復興の姿がここにある。そして、受け入れようとも受け入れられなかろうとも、私たちはこの現実を生きていくしかない。

高台の上から海沿いまでをはるかに見渡し、もう十分だと思った。私は、十分に悲しんだ。もうこの上、悲しむ必要はない。
空が青い。
浜の冬だ。
これが、私たちの復興で、12年だ。

Tribute to 中原中也「渓流」https://mukei-r.net/poem-chuuya/sihen-35.htm

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安東量子
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