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かけがえのないものを愛する

今日は久しぶりにお母さんと話した。
1か月の間に起きたことや考えていたこととかをお互いに話して
特に友達のように盛り上がったり、無理に共感をするということもなく
ただただお互い聞いて話す時間。家族らしい。

お母さんのビックニュースといえば弟が高校の進路を決めたこと。
高校サッカー出場を目指すために親元を離れて県外へ旅立つとのこと。
弟はまだ全然ベイビーだと思ってたから、いよいよ人生の岐路に立って、大事な選択をする年になったんだなってすごく感動した。

少し寂しいけど、
自分の夢のために頑張る弟が大好きで誇らしくて尊敬する。

私も来年は1人暮らしをする予定だから、
「急に子供3人が家からいなくなるのはさすがに寂しい」とお母さんが言った。

そして「でもいつかはその日がくると分かっていたし、新しい家族の形になるタイミングが来たってことなのかもね」と続けた。

その時、ちょうど今朝に読んでいた本の文章を思い出した。

寒いことが、人の気持ちを暖めるんだ。離れていることが、人と人とを近づけるんだ。

星野道夫「旅をする木」

包み隠さず言えば両親は全然仲良くない。
小学校の時はそこに劣等感を感じて2分の1成人式で涙ながら両親に、仲良くしてほしいと伝えた。中学校の時は思春期もありベリーベリー反抗して家族に当たりまくっていた。高校の時はもはや反抗もせず家族の中で勝手に孤独を選び冷めた態度していた。

そして今はというと、家族が大好きである自分を認めるようになった。素直に話を受け入れて、自分のこともよく話すようになった。
結局悩んでいた頃の自分は家族の中で誰よりも家族に対して敏感で、愛が欲しくて愛を伝えたかったのかもな。

もちろん今でも両親には仲良くしてほしいなと思うけど、そこに対する強い執着はなくなったし、お互いの幸せな人生を願うようになった。

来年以降家族がどうなるのかは分からない。
もしかすると星野さんの本が言うように、
離れることで今よりも家族の心の距離が近づくかもしれない。

とはいえそれを強く願ったりはしない。
どんな形であっても、家族1人1人が幸せな人生を生きれればいいなと思う。

この世界にはいろんな家族の形がある。オハナというハワイの言葉があるように血のつながりを超えた家族もあれば、血は繋がっているけど家族とは言えない人もいる。友人や仲間を家族と思うことだって。

きっとこれから、自分が結婚をして家族を作ったり、家族と思える人たちに出会うことがあるだろう。
これからの人生、かけがえのない家族の形をたくさん作っていけたらいいな。


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