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小さな挑戦

はじめに

このNOTEは僕の自己紹介をさせて頂くとともに
今までどんな生活や、経験をして現在のパーソナルトレーナー、トレーナー育成の仕事に至るのかを赤裸々に綴っています。
少し長い物語ですが一杯飲みながら、酒のつまみして頂いてのんびりとご覧頂けると嬉しいです。

こんな僕でも、これからトレーナーを目指そうとしている方や、トレーナーとしてデビューしたけど困っている方、これからのキャリアに悩んでいる方の力になれると思っていますので、少しでも目を通して頂けたら幸いです。



自己紹介

安藤貴弘(あんどうたかひろ) 1988年10月5日 35歳 ※2024年3月現在

僕は秋田県大館市の出身です。
大館市って知ってますか?これほとんどの人が知らないんですが
渋谷にあるハチ公のふるさとなんです!
なので大館駅にもハチ公の銅像がもちろんあります。


これは渋谷のハチ公です!


後は比内地鶏や稲庭うどんなんかも有名で、めちゃくちゃ自然豊かな場所で育ちました。
家の前は大きな林があり、カモシカや、キツネ、たぬきなどの動物が普通に道にいるような場所ですね
今ではさすがに少し変わって、徒歩5分圏内にコンビニがありますw

地元の風景



幼少期

僕の家は母子家庭で、物心ついたころには親が離婚していたので
親父の顔をまったくといっていいほど覚えていませんし記憶がないです。
今思うとそれだけ母親が頑張って育ててくれたんだなと思いますが
当時の僕にはそのありがたみはまったく分かってなかったと思います。


そして小学校2年生になったころ、ある日、知人のおじさんが学校に来て
ぼくはそのおじさんの車に乗せられて病院に連れていかれました。
何が起こったのかわからず連れて行かれたのですが
母親が交通事故にあって生死の境目にいるとのこと……..
病院につくと集中治療室に運ばれた母がいたと思うんですが
怖すぎて見れなかったし、衝撃的すぎてとにかく怖いという感情だけ
現在は35歳になるので小学生時代の記憶はあまりないのですが
この出来事だけはとにかく記憶に残っています。

そして、医師にはダメかもしれないと何度も言われたいたようなのですが
母はその奇跡的に生死の境目を乗り越えて一命をとりとめました。
なぜ生きれたのかは、おばあちゃんは「貴弘がいたからだよ」
と何度も繰り返し言っていたのですが
その辺はだれもわからないことですし
とにかく無事で何よりということだけ

ですが今では元気に生活しています。
小さな僕にとっては衝撃的な出来事でしたね….

まあ、そんなことがありながら母も無事で僕も順調に育っていくわけですが
幼少期はとにかく体が細いし、小さくて病気しがちでした。
そんな僕に母は運動することを進めてくれて小学校4年生になったときに陸上部に入ったのです!
マジで信じられないくらい足は遅いので全然ダメでした
野球は危なさそう、バスケやるほど体力はない、など消去法で陸上部でしたね…
でもひたすら走ったから体力はついたし病気もしなくなりました。

ですが、秋田は冬雪がふります。
陸上部の活動はその期間なくなり、その間はノルディックやアルペンなどスキー部になるのです。
寒いのが嫌いだった僕は(雪国出身のくせに)やらない選択をしたんですが
さすがに運動不足になるとまずいと母が、近くの公民館で行っていた卓球のスポーツ少年団に入らないかと誘って来たのです。
これは僕の人生で大きな選択の一つになったと思います。
卓球にドはまりした僕は毎日ラケットを握って練習に行くようになりました。

ここから僕は卓球に明け暮れる日々がはじまるのです。
25歳以降に出会った方達(トレーニングをやり込むようになってから)からするとまったく信じられないかもしれませんが、昔はもっと細かったし卓球小僧でした!

中学から高校

中学、高校を一言でまとめると「卓球」です。
中学時代は地元の中学に通い、とにかく部活と卓球クラブの往復で部活と合わせて毎日5時間以上は卓球の練習をしていたと思います。
そして、そのスポーツ少年団には同い年で天才みたいな選手がいて地元や県内でトップクラスの選手でした。
(スラダンでいう流川と桜木的なw)と勝手に思ってました
後から始めた僕はまったくかなうわけでもなく、がむしゃらに練習していましたが、相手にはしてもらえませんでした。
そうやって少し月日が経ったある日、スポーツ少年団のコーチに方、社会人の練習会にも誘われました。
そこで僕は覚醒したんです。
やっぱり大人は上手い!!
頭も使えるし、コース取りもうまいし、相手が嫌がるコースに打つのがとにかく上手いのです。
……
(ここまで見てたらただの卓球小僧の日記ですがトレーナーの話はもう少し先なのでまっててくださいねww)

そんなこんなで、社会人の練習に混ぜてもらえるようになった僕は
色々な人に面倒を見てもらえるようになって、たまたまご縁があって
秋田県で一番強いクラブチームの練習会に参加させてもらえることになったんです。
ただ、中学生だった僕ですが、実力不足もありそのクラブの小学生チームと一緒に練習でした。

でも当時は15名くらい所属していたと思うのですが僕の実力派下から数えた方が早いくらい圧倒的に皆強かったです。
それもそのはずで、県で一番強い小学生ですからね….
今では実業団選手になって全日本選手権に出場する方も数名いて
まぁそうだよねと思ってますw
でもそこでの経験はとにかく充実していて本当に楽しかったんです。

ただ、僕の地元の大館市からチームがある秋田市までは車で片道2時間
母は毎週日曜日にそれをやってくれてました。

子供が産まれたばかりの僕はこの当時の母がすごいと今になって尊敬しています。
子供のやりたいことにとことん付き合っている姿勢が本当にすごいし
僕もそうしたいと思っています。

なんやかんやで、中学校生活は終わりひたすら練習してたって感じです。


当時は卓球小僧だったw
右側が僕です

そして高校生になるんですが
当時県内でも強豪校だった地元の高校に進学しました。
名将的な監督がいて、その高校のOBはインターハイ出場選手もいたので
絶対のその学校に入ると決めてました!
それに社会人の練習会に参加していたときもOBメンバーの方達に練習をつけてもらってたから余計ですね


ですが、入ってみたら名将の監督さんは異動になってしまい
拍子抜けでした……
(ハイキューみたいな展開です。鵜飼監督がいない的な)
※ハイキューはバレーボールのアニメです

でも当時、地元ではトップレベルの先輩や、同世代でも一緒に切磋琢磨して名の通った選手が学校にいたので大丈夫かと思って思っていたんですが
なかなかそうもいかず、現実は厳しかったですね
やっぱり仕切る人がいないから皆練習に身が入ってない感じで
あっという間に1年、2年が過ぎ去ってしまったんですよね
そして僕が3年になった時キャプテンになりました
そこからです…..
人生で2番目くらいに最悪の1年間がはじまりました

僕は絶対インターハイに行くんだと気合入れてましたが
ダラダラした2年間で他のメンバーの士気は下がりに下がっていました。
練習をやってても、他の部員はグラウンドに行ってサッカーをやり始める始末、部室で麻雀やったり、練習来ないとか当たり前でしたね
それでも後輩と、少数の同学年の部員と一緒に頑張っていたんですが
それが目障りだったのか、不真面目な部員からついに嫌がらせが始まりました。
カバンは傷つけれれるし、ラケットも勝手に傷ついてるし、靴は隠されるし
でも僕は真剣でした。

こんなことで負けたくないと思ってました、やりたくないなら辞めればと本人たちに何度も言ってました。
時間の問題で、その部員たちは先生たちにも目を付けられ、問題を起こした部員たちは退部となりました。

ですが、もう遅くて、やっと体制が整ったなと思っても引退まであと半年もありません、インターハイ予選は棒に振ってしまい、国体予選の県大会のみ
これは期間が短かったですがとにかく集中して練習しました。
体制が整ったからとにかく嬉しかったのを覚えているんですよね
このとき国体出場はなりませんでしたが、県大会でダブルスがベスト4となり高校3年間の県大会で初めて入賞できたんです。

めちゃくちゃ感動しました!
それも中学や高校に上がってから一度も勝てなかった同世代の最強クラスの選手に勝ったから
それが最後でインターハイ出場はならなかったものの高校生活の最後の最後に、今までで最高の結果を出せたことが素直に嬉しかったのを覚えています。

専門学校時代の写真です!!
ちなみに僕は一番右下です

運命を変えた専門学校時代

最低な学生生活でした……
高校を卒業し、やりたい仕事もなかった僕は、当時好きだった卓球をもっとやりたいと思い消去法で東京のスポーツ専門学校に入学しました。
消去法ではいったわけですから勉強を頑張るわけでもなく、とりあえず部活で練習を淡々と頑張っていました。

部活は本当に楽しくて、自分より強い選手もいたので専門学校の都大会優勝、全国大会まで団体戦やダブルスで優勝することができました。
(専門学校の全国はインターハイほどレベルが高くない)
ですが、1年生のとき大会も落ち着いて、部活の熱量が下がってきたところで一気に就職という現実が目の前に現れてきました。

それもそのはず、専門学校は2年生なので、あっという間に就活が始まります。

ですが、やりたいこともなかった僕はなかなか行動に移せず、ただただ時間だけが過ぎていきました。
部活も落ち着いてしまったので、ゲーセンに行っては無駄なお金をつかってばかりいました。
この時は本当に最悪で、ほぼ毎日ゲーセンに行ってウイイレのカードゲームばかりやってたんですよね…
バイトもしていない学生が、普通に1回で1万以上ゲームにお金を使っているわけです
しかも親のお金で
今思うとマジで最低ですよね

何でこんなことしてたんだろうなと今振り返ると
たぶん「満たされてなかった」だろうなと感じます。
熱中していた部活も終わって何を目指して頑張ればいいかわからなかった
だから、その気持ちの穴埋めをするためにとりあえず時間つぶししていたんだと思います。

でも、そんな最低な生活を繰り返していたある日
僕の人生を大きく変える出来事が起こります

それは、卒業の単位取得のために、合計80時間の現場実習とレポート提出が必要で
その期日が迫っているのでした。

ぜんぜん行く当てもなく、悩んでいたところ
友人が近くのスポーツクラブに行くことが決まったと教えてもらったんです。
特に行きたい場所もなかったので僕は友達に便乗してそのスポーツクラブに電話して実習を申し込みました。

このスポーツクラブに行ったことで僕の運命は大きく変わっていきます。

はじめは、ジムエリアの掃除、プールの監視、フロントのチェックイン作業、会員さんへの挨拶、レッスンの体験などやることが沢山でした。
忙しいし疲れていたものの、とにかく充実していたし、何よりスポーツクラブのスタッフの方も、会員さんもとても親身になって面倒みてくれるし、会員さんは孫と接するかのように
話しかけてくれて、お菓子や差し入れをいっぱいもらいました(笑)
そしてスタジオレッスンの体験や、トレーニング指導の体験はビビっと電気が走るような感覚があり、「これだ!!!」と思いました。

こんな素敵な世界があるんだと衝撃を受けましたね…
僕もこうなりたい!
トレーナーってカッコイイ!
めちゃくちゃいい仕事じゃんって思ったんです。

実習の80時間はあっという間で、瞬く間に過ぎて行きました。
実習の最終日、寂しいなと思っていたら、その当時クラブの責任者を
していた方から、お前才能あるからトレーナーやりなよ!
バイトしてみたらと声をかけられました。

後で知ったのは、10年以上のベテラントレーナーが2名も退職するとのことで人員不足だったようで丁度よかったんでしょうね(笑)

でも、実習が楽しすぎた僕は即答で「やります!!!」と言いました。

そこからはあっという間に時間が過ぎて
学校が終わったらバイトでスポーツクラブに行く、終わったら深夜に先輩トレーナーと指導の練習やレッスンの練習をしたり、飲みに行ったりという生活に変わりました。
もちろん今までやらなかった学校の勉強にも身が入ります!
学んだことがスポーツクラブでアウトプットできて、それで会員さんに「ありがとう」って言ってもらえることがとにかく気持ち良かったから

「人のためになる仕事って最高だしカッコイイ」と思ったんですよね


仕事して勉強して飲みにいって
スポーツクラブのメンバーとはとにかくずっと一緒でした

そして、2カ月経過したある日、当時の責任者の方が異動になって
新しい責任者の方が着任しました。

ザ・トレーナー!!!!
って言葉がふさわしいような人で
見た目も爽やか、明るくフランクで、指導の技術もレッスンも上手いし別のクラブから車で1時間かけて追っかけの会員さんが来るようなカリスマ的な人でした。

この人と出会えたことでより僕は成長できた気がします。
情に熱い人だったので、「トレーナーならこうあるべきだよなあ」とか、「お前はもっとこれを頑張れ」など色々と助言をくださる方で
僕のトレーナー業にさらに火を注いでくれるような存在でした。

色々厳しいことも指導を受けたのでめちゃくちゃ大変だったんですが、このサイクルを1年くらい続けて僕はかなり成長できたと思っていました。

スポーツクラブのメンバーと

ここまでは順調だったのですが……….
現実はそんなに甘くないのです
就活がまったく上手くいってなかった

当時は専門学校だし、アルバイト経験もあるから大丈夫だろうと高を括っていた僕は、そのスポーツクラブを含めて6社ほど運動施設の面接を受けたのですが全て撃沈しました。

一般企業への就職も視野に入れて母に相談したところ
「好きなことやればいいよ」の一言
本当に寛大すぎますよね

僕はこの一言でトレーナーの仕事を頑張ろうと決めました!
なので就職はせず、フリーターとしてスポーツクラブでのアルバイトを継続することを決めたんです。

今となっては大したことない話なのですが
当時の僕にとっては就職しないでフリーターというのが
世間の目を気にするというか、引け目があって
フリーターになるのが良くないことなんじゃないかと
母に相談するまでは決断にかなり葛藤がありましたが
その決断が今となっては良かったなと思っています。

そして、やることが明確になった僕は
まずパーソナルトレーナーをやりたいと考えました。
とにかく先輩方の仕事ぶりを見ていたのでカッコいい!
これは絶対にやりたい仕事だと思っていたんです。

そして、僕は社内認定試験に合格し20歳でパーソナルトレーナーデビューを果たします。

初めてのセッションはとても緊張したんですが、産後ダイエットを目的にした方で緊張している僕をお客様が優しくサポートしてくれてスムーズにセッションが進みました!笑
(いや逆だとって感じで最初のお客様が寛大すぎるww)
実はこの方は、僕がパーソナルトレーナーをやる前からジムエリアでずっとお話させてもらってた方で、パーソナルの認定をとったら是非受けたいと言ってくださってた方なんです!
事前のコミュニケーションがとれていたから成り立っていたんですけどね
この時の記憶は緊張しすぎてまったく覚えてなくて
お客様にする説明をめっちゃ噛んでたことぐらいしか出てこないですw

そして、少し順調なパーソナルトレーナーデビューを果たした僕は何度が経験を積み、ご高齢の脊柱管狭窄症の方を担当することになります。

ここで僕はめちゃくちゃ悔しい思いをして
トレーナーとして勉強し続けることは大事なんだと思い知らされるのです。

まず、脊柱管狭窄症ってなんだ!?
ってところからです
自分でも調べたし、学校でも勉強していた知識があったので大丈夫だろうと気を緩めていたのですが
現実はまったく甘くはありません。

カウンセリングしてみると間欠性跛行があり
下肢にしびれもたまにある
ただ医師からは運動した方がいいと言われたとのこと

いきなり難しいケースでのセッションが目の前に降りかかります!!

色々と手を尽くしてみたもの
まったく機転も効かず、勉強した内容も出てこなくて初回のセッションはボロボロでした

ろくに評価もできないし、お客様も痛みを訴えるシーンがあり
次何の種目やろう….
やばい….
やばい…..
どうしよう…..

こればっかりです。

そして、次のセッションではもっとプラスになる内容にしなきゃダメだと再度勉強をしたわけですが
お客様から連絡があり
下肢の痺れの症状が悪化したので再度病院にいくとのこと

その後、2回目のセッションは実施されることなく
終わってしまいます。
結局お客様はパーソナルのキャンセルもそうですが、スポーツクラブも退会してしまいました。

何が原因で悪化したのかはまったくわかりませんが
もっと初回で○○なアプローチをしていたら
なんでもっと勉強したり、先輩に相談したりしなかったんだと

後悔の気持ちばかりでした。

今の僕からしたら、最初から勉強しておけって感じです。

本当に悔しい思いもしましたし、何よりお客様に何も貢献出来なかったことが申し訳なさすぎて
泣きました….

ですが、この経験があったから今でも勉強し続けることは大事だと、しっかり本質と向き合えるトレーナーにたりたいと思えているのだと思います。
大きな失敗だったのですが、とても貴重な経験をさせてもらいました。

そんなことがあり、僕はメキメキ勉強し5年ほど23歳までアルバイトを続けて店舗でも中堅クラスになり出来ることが増えていた僕は
パーソナルトレーナー、スタジオレッスン、水中ウォーキング、アクアビクス、ジムフロアの管理、など様々な仕事がこなせるようになっていました。

ここで社内の基準を満たしたため、中途採用でスポーツクラブの社員採用試験を受け、当時在籍していた店舗で社員として働くことになったのです。

ここで本当に衝撃的だったのは僕が社員になるタイミングで
当時いたカリスマの責任者の方が異動になると
結構複雑な気持ちでした…..
ですが、その方のスピリット、トレーナー魂みたいなものをしっかりと受け継いでいたので、俺は大丈夫だ頑張るぞと決意したのを覚えています。

社員になってからの仕事はとにかく頭を使う仕事ばかりで
正直最初は嫌でした。
最初は現場でお客様と触れあう機会が多かったものの、半分は事務作業になり、入会、退会者の管理、スタジオプログラムの管理、業務委託のインストラクターさんとのコミュニケーション、新たな売上施策の企画実行など、嫌すぎて雑な仕事の仕方をしては当時の支配人に怒られてばかりいました。

ですが、嫌なりにも数をこなすと少しづつ出来るようになってくるもので
社会人とは?というものがここでわかったような気がしていました。


皆でスノボーに行くほど仲良かった!


転勤とボディコンテストへの出会い

だいぶ社員の仕事に慣れてきた25歳のときに
初めて異動の事例がでて千葉に転勤になったのです。
あ、ちなみに今までは東京でつとめてましたw

そして、転勤になる店舗はその会社の第一号店
2011年東日本大震災でつぶれてしまい、会社が総力をあげて最新鋭の施設に生まれ変わらせた店舗でした。
復活オープンしてから2年目の売上を伸ばしていく時期に僕が配属になるとのことで、当時の上司がいうには栄転で将来を期待されての転勤とのことでした。


新しい店舗のメンバーと!!

正直俺が!?
って感じでした(笑)

会社として最重要な店舗に配属になるわけですから
もちろんそこにいる他の社員や支配人も強者ばかりで
実際に配属されてみると今まで自分がい他店舗とは雰囲気がまったく違いました。
本当に同じ会社かと思うほどに……

新しく配属された店舗で、当時僕の上司は女性の方でバリバリ仕事人間な方で、この人のとの出会いは僕をまた社会人として人間として成長させてもらったように思います。

とにかく怒られてましたねww

毎日…..

毎日というと言いすぎか
これ本人が見ていたらまた色々言われそうなので控えめに書きますが(笑)

でも仕事へのこだわり、数字へのこだわり、人として大事なこと
とにかくこの3つを叩き込まれたと思っています。

今僕がビジネスセミナーや、マインド系の発信をしてここを大事に考えているのはこの方のお陰かもしれません!

目標数値は必達、ビハインドがあればやれることを思考して実行する
今まで自分は緩かったんだなと思いました
というか、今でも正直緩さはあると思っているので
逆に個人事業主になって全部自分に降りかかってくるから勝手に良いプレッシャーになっているなと思ってますが
本当に当時のこの経験はとても貴重なものでした

スタジオレッスンのイベントのひとこま

まぁそれはさておき
実は、この転勤になるまで卓球もひっそり継続していたんですが
活動していた社会人チームの拠点が東京だったので
卓球が出来ない環境になってしまいました。

そんな穴を埋めるために何かしたいなと思っていたところ
スポーツクラブに業務委託で入っていたパーソナルトレーナーの方にボディビルに一緒に出ようと誘われました。
ここからの約5年間は筋トレ三昧な毎日になるわけです

当時はフィジーク競技が日本でも流行り始めているときで
ベストボディジャパンのチャンピオンだった方達が続々とフィジークに挑戦し始めたときでした。
今IFBBプロになっているような方達とも一緒に初めてのステージに上がっていたんですよね

やるからには勝ちたいし、有名になったら将来自分の店も出して集客できると浅はかな考えで、フィジーク競技に真剣に打ち込み
毎朝7時にゴールドジムに行きトレーニング、その後仕事に行くに繰り返しで酷いときは仕事後にまたゴールドジムに行ってました(笑)

なんやらかんやらで、初めての大会は仙台で行われるフィジーク大会にエントリーしたのですが、僕を誘ったトレーナーの方は絞れてないから出ないと
いいはじめ、初めての大会を一人で仙台にいったわけですwww
誘っておいて本当に最悪だった

この中に誘った人がいますw

まぁ案の定初めてなので減量も、当日の調整も上手くいかず、7位だったのですが、確か15人中7位だったかな?
これが悔しくてこの後も大会に出続けていったんです。
そして、減量しては増量を繰り返し、減量していない時期の僕の体重は15キロも増えましたw
太りすぎです
ここで良くなかったのは、フィジークに夢中過ぎて、トレーニングしすぎ、減量しすぎで仕事が疎かになっていました。
仕事には影響出さないようにと思っていたものの、そう簡単ではなかったんですね

「何かを得る為には何かを犠牲にしなければいけない」

フィジークのプロではないので
仕事を犠牲にしてまでやるのは違うと、お客様や仲間に迷惑はかけないようにしようと
ここで学びになりました。
糖質制限しすぎて屍のようになって仕事してしまったので
案の定こっぴどく怒られました….

でもこのコンテスト出場もトレーニングや減量、食事管理など色々勉強になったし、なんだかんだ、お客様も仕事仲間も応援してくれました。
そして、コンテストにでることで仲間が増えたこと、トレーニングも食事もやりすぎのラインが自分の中でわかったこと
この経験もお客様の指導で安全に遂行するのに役立つなと思ったので
全てが悪いことではなかったなと思っています。

こんなことばっかやってましたw



全然話は変わりますが、この当時はライザップさんのマス広告も盛んにでていたこともあり、ダイエットやボディメイクという言葉や、パーソナルトレーナーがはやり出した時期だと思います。

この辺りから将来はパーソナルトレーナー専門で働きたい、独立したいと思うようになっていきました。


初ボディコンテスト!!

2度目の転勤

転勤して2年半が経過したとき、2度目の転勤
今度は千葉のさらに奥地、規模の小さな店舗でフィットネス部門の責任者としての転勤です。
昇格はとにかく嬉しかったんですが
転勤先は、古く業績が落ち込んでいた店舗で
正直なかなか厳しい状況とのこと
めちゃくちゃ不安で、案の定ここではとても厳しい期間を過ごします

転勤して3ヵ月は様子を見ていたのですが
スタッフはミーティングに参加しない、ユニフォームも着ない
壊れたマシンが放置されてる、プログラムもアップデートされていない
とにかく衝撃的でした
ここを立て直すのかと…..
絶望的でした

とにかく、マイナスをゼロに戻そうと僕は改革を始めます。
時間を守る、ミーティングは絶対参加する、ちゃんと掃除する
壊れてるものは直す、ユニフォームを着る
とにかく基本的なことからでした
今までの環境が変わっていくので当然既存のスタッフも不満に思ったのか辞めていく人が後をたちませんでした。
たぶん半年で10人辞めたw

どんどん人は辞めていく
田舎の店舗だから求人も少ない
自分の首がしまっていきました….

それに追い打ちをかけるかのように
古くからの会員さんからのクレーム
色々変わると人は嫌がりますよね
毎日クレーム対応していました
最初は本当に精神がすり減っていて、毎日出勤したくないと思っていました。

一日中現場で働いて、クレーム対応して、売り上げは低いから本部からはつつかれる

けっこうギリギリの状態です

ですが、6カ月ほど経過したところでだんだん言われることに慣れて来たのかストレスを感じにくくなってきたように感じました。
というか、今思うと、そうしないとやってられなかったのかもしれませんが….

基本的に責任者は管理業務が5割以上でなくては仕事が回らないのですが
8割現場でていました(笑)

そんな僕を当時新卒1年目の社員の子が
一緒に頑張りましょうと支えてくれて
終電を逃しては車で送ってくれたり
深夜にラーメンを食べにいって仕事の話を遅くまでしたりと
励ましてくれたからこそやり切れたと思います。
それに、僕に与えられたミッション(店舗の売上を回復させる)をクリアしたいという気持ちと、過去の経験から今取り組んでいることは絶対に結果に繋がると自信があったのでとにかく精神がすり減ってはいたけど頑張りました。

1年ほど経って徐々にスタッフの採用が上手く行えて
とても優秀な人財が増えて来たし
一から教育することで、仕事の仕方や、チームワーク、ルール、風土を作っていくということが積み重なってきました。

それに、予算をかけてジムエリアのリニューアルや、故障したマシンの入れ替え、新しいプログラムの導入でお客様の流れが徐々に変わっていくのが分かりました。

お客様からのクレームも減ってきましたし、退会者数は減少してきました。

1年経過してやっと成果がでたなと感じた瞬間でした。

結果もある程度出て、この時すでにやり切った感がとてもありました。
アスリートでいうと引退がよぎる的なやつですw

僕は夢に抱いていた、パーソナルトレーナーになって独立するという方向に舵をきります。

ついに約10年在籍した会社を退職することに決めました。
当時在籍していた店舗は1年半という短い期間の在籍だったため
割と未練なく辞めれそうかなと思っていたのですが
いざ、退職を告知すると、お客様からは、辞めないでくれ、レッスンは他にだれがやるの?寂しい!今までで一番楽しい指導だった!
とても嬉しい声を沢山いただきました。
そして、最後のスタジオレッスンの日には、花束や、会員さんからのメッセージがびっしり詰まった色紙、お菓子、プロテインなど沢山の品を頂いたり
今まで、ずっとクレームばかり言っていた関係性の悪いと思っていた会員さんからも、激励の言葉を頂いたり
とにかく感極まって泣いていました。

自分のやってきたことはしっかり届いていたんだと
間違ってなかったと


どん底の経験

28歳でついに僕はパーソナルジムに転職します。
以前は社員数1000名以上の企業だったのですが
3店舗都内に展開する小さなパーソナルジムに入ることにしました。

今まで大きな組織で活動していたため、将来の独立を見据えて
小さな会社で会社を大きくしていくことを自分の手で体験していきたいと思ったからです。

ですが、この決断はとても良い面もありましたが、
ベンチャー企業のなかなか厳しい現実を目の当たりにすることとなるのです

初めは店舗に配属され、一人で運営していました。
新規オープンの店舗で問題なく集客もできており、会員様も順当に増えていきました。

まず、ここでの活動で良かったことは
ある人との出会いです。
圧倒的に専門性も高く、とても指導力が高いトレーナーの方がいたのです。
僕は同じ店舗で活動させて頂くことになり
とにかく専門性の高さに圧倒されていました

これはとても衝撃的で、10年スポーツクラブでやっていたからある程度通用するだろうと思っていたのですが
上には上がいるのだと改めて思い知らされた瞬間でした。

その方のセッションは的確な評価と、エクササイズを実施し
より無駄のない効率的な動きを指導される方で
僕が指導で困ったことにいつもアドバイスを下さっていました。
そして、その方の研修が社内でも受けられる体制となり
この頃からさらに僕の学びの段階が一つ上がったのを感じましたしトレーナー教育の仕事も良いなと感じ始めた時期でした


当時の勉強会の様子

学びにも力が入って順調に半年経過したころに
店舗拡大も行うのでマネージャーをやらないかと言われました。
スポーツクラブでの経験や実際の店舗運営結果を見て
声をかけて頂けたのです。

将来独立したい思いもあったので良い経験だと思いすぐ引き受けました。

そこからはトレーナーを採用して、研修して、店舗のフォローに行ってという管理業務の日々
忙しかったのですが、新たにパーソナルトレーナーになる方達のサポートをするのも悪くないなと感じていたので
そこまで苦にはなりませんでした。

ですが、そんな日々が徐々に狂い始めます。

当時、店舗数も少ない会社だったので
代表との距離はとても近く、色々と意見も交わす機会が多かったのですが
意見のスレ違いが起きてきたのです
代表の方の目指す会社の方向性と、マネージャーとして僕が描いていたトレーナーたちが活躍するビジョンがずれていたのです。
僕は、今まで自分が結果を出してきた経験もあるからとにかく反発しました!
それだと絶対に失敗すると
今思い返すととにかく失礼極まりないくらいに代表の方に反発していたと思います。

おそらく自分で結果をだしてきた経験と自信が悪い方向に働いてしまっていたのだと今になって反省しています。
とにかく口を出してしまっていたのでいい関係性を保てるはずもなく
喧嘩別れのような状態で、2年半在籍した会社を悪い辞め方をしてしまいました。

この経験があって、僕の思考や仕事の仕方は控えめに変わってしまったように感じました。
すこしネガティブな変化で、自分の意見を言わない、主張しないという
良くない変化です。

そして、この辞めるタイミングで独立もよぎりましたが
何せ勢いで辞めると言ってしまったため
独立の準備も何もしていませんから
出来るわけもなく
とにかく次の仕事どうしようと途方に暮れていました

そんな時、フィジークコンテストの仲間がとあるジムで活躍している話を聞き、自由度の高い、個人に裁量を任せてもらえる環境で、FCオーナーとしての独立支援もあるとのことだったのでとても魅力を感じていて
そこの入ることに決めました。

筋肉仲間と

ここでもぼくは衝撃的な事態に見舞われるのです

入社する前、当時、新型コロナウイルスのニュースが話題となっていました。
この記事をご覧のあなたも、記憶に新しいコロナです

そして入社してすぐ、過去の経験もあることからすぐに新店舗の立ち上げを任されました。
はじめは決済の方法など研修をしてもらいましたが、入社して2日目で一人ですでに店舗を運営していましたww
本当に自由な風土だなとww
でもなんだかんだで楽しくて
その店舗は美容室の中にあるとても斬新なスタイルで
毎日、他業種の美容師さんともコミュニケーションをとりながら店舗運営したのでとても楽しい日々でした。

店舗の売上も上がってきて2ヶ月目のタイミングで
最初に気にもしていなかったあのコロナウイルスの影響で
店舗を締めなくてはいけなくなりました。
せっかく軌道にのりそうな流れができたこのタイミングで….
世の中の人々が皆活動を自粛し始め
僕も自宅待機

いつまでこれが続くのだろうと
とにかく不安でした
せっかく心機一転で新しい環境に飛び込んだのに
また気持ちはネガティブになっていきました。
毎日、家のこもって、ニュースではコロナばかり、外にでて空気を吸ったらコロナになるんじゃないかと思うくらいに神経質になっていました

そんな時、もちろん当時の代表の方や、メンバー全員が不安であろうなか
試行錯誤でオンラインパーソナルトレーニングがスタートしなんとか仕事が繋がり始めます。
当時、深夜2時くらいまで皆でZOOMをつないで飲みながらミーティングし
大丈夫だよ、大丈夫だよ
と励ましあっていたのが今でも記憶に新しいですw
なんとか、コロナも落ち着いてきて、自分の気持ちも少し上向いて
店舗の営業が再開できることになりました。

これは本当に嬉しかったのですが
コロナ過ということもあり、全然お客様が集まらなかったのです
既存の会員様もまだ自粛する方もいましたし
もちろん新規の方も来店がない

とにかくまずいと思いました。
このまま売上がたたなければ閉店の可能性もあります
コロナで会社のキャッシュも厳しいであろう状況
なんとしても売り上げを作らないとまた悪い状況に逆戻りしてしまう
これは絶対に嫌だと思いました。

だけど、新規は来ない

八方ふさがりの状況で僕はとにかくどうやって集客するかを必死に考えました。

「ポスティング」「近隣テナントへの営業」「美容室とのコラボ企画」「SNS発信」「お客様からの紹介」

とにかく経費を使わずにやれるこを考えて
実行しまくりました。

この経費を使えないという状況が
今となっては良かったのかもしれませんが
お金を使わずしていかにお客様を集めるのかという力がみについたと思います。
そして、とにかく人との繋がりと信頼は財産なのだと感じたのでした。

がむしゃらな行動も少しづつ実を結び
お客様からの紹介、美容室からの紹介、近隣テナントからの紹介
と紹介でお客様が集まってきたのです。
結果的に年間で15名以上の方をご紹介頂きました。
個室パーソナルジムは30名~40名も会員数がいれば黒字化してきますから
その半数を紹介してもらえて、無料で集客できたというのは
とても大きな結果だと思っていますし
この経験が大きな自信となりました。

美容室のスタッフさんたちとトレーニング!!

周りの方達のサポートもあって店舗の売上も軌道にのってきたころ
会社は急成長を遂げていきます!
飛ぶ鳥を落とす勢いで出店が加速したのです。

そんな状況で会社の運営メンバーを増やしたいとのことで
僕は採用とエリアマネージャーの業務の担当になりました。
立ち上げた店舗の日数を減らすのは寂しさがあったのですが
以前失敗してしまったマネージャーの仕事のリベンジをしたいと燃えていました。

採用は苦戦しましたが、面接の仕方や、求人の出し方など学ぶべき点がとても多く充実しいたのですがマネージャーの仕事は別でした。
再起するために燃えていたものの
以前の経験がトラウマになっていて
自分の意見や思いを発言することができない状態になってしまっていました。

会社のメンバーとのMTGでも、店舗のオーナーさんとのミーティングでも
関係性を崩さずに穏便に事をすまそうとしすぎていたのです。
これが後に大きな事態を招いてしまいます。

コミュニケーションが上手くとれない方とは距離をおいてしまう傾向にあり
早急に確認や報告が必要だった伝達事項をギリギリまで伏せたりしてしまいました。
情報伝達が行われず、すでに物事が進行してしまっており
トレーナーやオーナーさんにも大きく迷惑をかけてしまうようなことが起こりました。
売上の損失にも繋がりましたし、これが人の信用を大きく失ってしまう事態になり、正直この時の僕のメンタルはボロボロでした。
(それよりも迷惑をかけてしまった方達の損害の方が大きいのですが)

失敗を恐れてしまい、コミュニケーションや挑戦を避けてしまっていた自分が情けないと思う気持ちと、結果的にこれが多くの人の信頼を失い損失を与えてしまう事態になっていたことに落胆してしまいました。

なんてことをしてしまったんだと…….

僕よりもより厳しい環境を生き抜いてきた方たちにとっては
こんなことで甘い事いってんじゃねぇと
言われるかもしれませんが

この時の僕にとっては、本当に精神が崩壊しそうなぐらいに
様々な要素が相まってどん底の状態でした。
別に、自分が借金を背負うとか、そんな物理的な損害はないんですが

「挑戦を避けたこと」「人の信頼を失ったこと」

この二つが重く重く背中にのしかかっていていました。

この時は常に胃がキリキリしていて
寝てもこのことばかり脳裏に浮かんで、ほぼ寝れていなかったです。
一気に気持ちが落ちてしまい
会社を辞めようか、そもそもトレーナー業界を辞めようか
そこまで追い込まれていたと思います。

口では「独立したい」「トレーナーを育てる仕事がしたい」

と何度も言ってきたわけですが

結局口だけ人間で、挑戦もしないし、人の信頼も失うようなクソ野郎だと

本当に最悪だと思いました。

そんな時にまた会社に変化が起こります。
これも本当に仲間に救われたんですが
会社内の人事でより個人の得意なポジションで仕事しようということで
僕はトレーナー教育担当をさせて頂くことになりました。

ここから水を得た魚のごとく僕の調子が上がっていきます!
もともと、トレーナー経験も長く勉強もそれなりにしていたこともあり
研修のカリキュラム作成や、人に教えるという行為は好きでした。
そもそも、トレーナーという仕事は人に教える仕事だから
この「教育する」「指導する」という行為がとにかく得意だったんだと思います。

ちなみにマネージャーの仕事は「管理」です。
人、物、お金を動かし管理していくのが仕事
店舗を持ち独立するにはこの能力は必要な要素ですし
以前マネージャーもやっていたからここは大丈夫だと思っていたんですがこの時の経験から僕の本当に得意な行動って「教育」なんだと感じました。

とにかくこれを極めて行こうと
それがわかったとたんに仕事に対して取り組む姿勢や、メンタル的な面でもポジティブに変わっていきました。

それからは、未経験者でも研修を受けて一定水準に達すれば現場にデビューできるカリキュラムを構築し、とにかく未経験者の研修と、既存トレーナーで売上に課題のある方に対してのアップデート研修をひたすら繰り返し行っていったのです。

KPIが低く売上が上がらないトレーナーも、研修を受けてどんどん変わっていきます!
未経験でも研修を受けた方達が、お客様と楽しそうにコミュニケーションを取りながらセッションしています!

それを見るのはとにかく楽しかったし充実していました。
どんどん自分に自信がついていくのが分かりました。

トレーナー研修のひとこま
だいぶ若い頃と比べると老けましたねww

独立

1年ほど経過しトレーナー教育の仕事もだいぶ落ち着き、社内の教育環境も整ってきました。

実はそれより少し前に、妻の妊娠が発覚し、第一子が産まれることが判明していたのです。

この時から僕は、以前から考えていたた独立を意識し始めます。

その理由は「時間」「収入」「やりたいこと」
この3つが頭に強くよぎっていたからです。

今まで別に収入には困っていなかったのですが
将来的に家族を養うとなると、もちろん一家の大黒柱として収入を増やしておきたいところですし、今まであまり休まず週6稼働を続けていたこともあり家にほぼいなかったんです。
このままだと妻の育児の負担も強いし、家族との時間もとりにくい
そして、時間が経過するにつれて自分のやりたいことに挑戦しにくくなるという焦りがありました。

そして、妻のお腹も少し大きくなってきた頃に僕は会社を辞める決断をします。

もちろん、自分が作り上げてきた会社の教育の仕組みが崩れるわけなので
会社への負担も大きかったはずなのですが
快く退職を後押しして頂けて当時の仲間には感謝の気持ちでいっぱいでした。

そして会社を辞めてどうしたのかというと

トレーナー教育系事業の立ち上げでした。

もちろん、いきなり収入が0になるのは家族もいてさすがにリスクがあります。

ご縁を頂いたジムに業務委託契約でパーソナルトレーナーとしてお世話になりながら、それ以外の時間は自分の事業を構築することに集中していったのです。

今までずっと16年間会社員としてトレーナーの仕事をしてきた僕にとって、個人事業主として活動することは本当に大きな変化ですし
会社員を辞めるということがとにかく不安でした
本当に個人で活動して人が集まるのか、僕にそれだけの価値がある人間なのか
自信がもてなかったんです

小さいことではありますが一から事業を立ち上げるのは僕にとってとても大きな挑戦でした。

そしていままで「トラウマ」になっていた、「挑戦や」「主張」することに対して
守りに入りリスクをとることを恐れていた僕ですが、家族のお陰で「やりたいことに挑戦する」決断に踏み切れたと感じました。

現状のパーソナルジム業界では、20代前半や社会人1年目でも業務委託契約(個人事業主)でトレーナー活動するのが当たり前のように起こっている業界なので、僕よりも若くして個人事業を行っている方達からすると
何言ってんだと思われるかもしれません。

でも、今までの経験があったからこそ今の自分があるし
出会って来た大切なお客様や、仲間がいるわけで
人と比べたら遅いタイミングでの独立かもしれませんが
これで良かったと思っています。

送別会の様子!

BloomTrainers

時間は会社員時代に少し戻りますが
現状のパーソナルジム業界は参入障壁が低く、個室ジムの業態でどんどん拡大を遂げていました。
それと同時にトレーナーになる方も多くいて、未経験の方を教育して現場デビューをサポートしていたわけです。
ですが、個室ジムという特性上、未経験からいきなり現場に出たトレーナー達は、自分のセッションが良いのか、スキルが向上しているのか、お客様は満足しているのか、これがわかりません。

僕の駆け出しトレーナー時代はあたり前のように先輩トレーナーやトッププレーヤーがいて、学んだり、アドバイスをもらえるような環境だったのですが、これが今のパーソナルジム業界にはありませんでした。

実際に、現場のトレーナー達は成長実感がなく、結果もだせないし、収入もなかなか増えないこともあり、せっかくデビューしたのにも関わらず1年足らずでトレーナーの仕事を辞めていきます。

当時お付き合いのあったトレーナースクールを運営する企業の方とも意見交換させて頂いたところ、トレーナースクール事業の売上は前年比を大きく上回っているが、1年以内にトレーナーを辞めてしまう方が多いと

やはりこれを解決しないとこのパーソナルジム業界はこれ以上伸びないのだとそこで感じました。

トレーナースクールが主宰するカンファレンスの打ち上げで沢山の方と意見交換できました!

これが、今のBloomTrainersを立ち上げるに至った一番の要因です。
トレーナー向けのオンラインサロンは数多くあり、どのサロンも専門性が高くとても素晴らしいコンテンツばかりです。
ですが、情報を発信するだけで、それをどう活用するのか、それ以外のケースでどう対応するのかなど細かな点は不足しているように感じました。

だから僕は「学べる」「相談できる」「繋がれる」この3つの柱をコンセプトにしてサロンの設計を行っていったのです。
もちろんアーカイブ動画でセミナーは視聴できるんですが
オンライン面談を通じて、指導中の悩みや、売上対策、キャリア相談など
ができる環境にしました。
悩みを解消することで結果に繋がる行動ができると思ったからです。
それに僕も先輩たちからそうやって育ててもらったように
相談できず悩んでいる駆け出しトレーナーの力になりたいと思いました。

そして、メンバー限定のチャットルームで他のトレーナーとコミュニケーションをとったり、指導中の相談事もチャットで気軽に相談し
サロンオーナーの僕以外の意見や、考えも聞けるように設計しました。

月1勉強会では、ただ専門知識の講義をするのではなく
メンバーが考え、他のメンバーとの交流も持てるように沢山のワークや、ディスカッションタイムも設けています。

やりたかったことが徐々に形にできてBloomのコンテンツが完成していくのがとても嬉しかったし、困っている沢山の駆け出しトレーナーに届いてほしいと思い
この頃はとにかく認知を広げるためにSNS発信と無料セミナーを開催していました。
ここにかなり工数をかけていたものの、約5か月は売上0円です。
当時の僕のInstagramのフォロワーは600人で
誰にも見向きされないのではと思い始めたところ

そんなある時、まったく無名の僕のSNS発信に共感して頂き
Bloomに入ってくださる仲間が一人二人とでてきたのです。
これは本当に感動しました!
オンラインサロンだからいきなり直接会えるわけでもないんですが
一人一人握手したいくらいに感動していました。

無料セミナーの様子

諦めずに挑戦して本当に良かったと….
トラウマになっていたリスクをとる、挑戦するという経験がこれを通じて少し払拭できたように感じました。



今ではそこまで大所帯ではないものの、トレーナーのオンラインサロンとしてしっかかりと活動するようになっています。
これからももっと困っている沢山のパーソナルトレーナーにBloomを知ってほしいし、Bloomメンバーの皆にはより結果をだして、
「お客様」「仕事仲間」「家族」を幸せに出来るようになってほしいと思っていますし、僕もそのビジョンを体現できるようにしたいと思っています。


サロンメンバー限定勉強会!
体系的に学ぶオフラインセミナー

最後に

超絶長い文章を最後までご覧頂きありがとうございました。
もう酔いがさめてしまった方もいるのではないでしょうか?笑

このブログが、これから挑戦しようと思っている方
トレーナーとしてのキャリアを考えている方の力になれたら本当に嬉しく思いますし、僕みたいなビビりな人間でも行動や挑戦をすれば何か結果を残せるし人に貢献できるんだということが伝えられたら嬉しいです。

正直独立するという行動はリスクが伴います。
怖いですよね
でも怖いのは独立するのに何が必要か、最低限どれだけ収入があれば問題ないのか、事業を作るうえで固定費や支出はいくらかかるのか
この辺が整理されていけば不安は消えてきます!

あとは、ビジネスを作るうえで重要な顧客の不解消を意識したマーケティングができているのかがポイントだと思います。

僕はいまでもビビりです
だから少しずつリスクをとり
リスクをとる行動に自分を慣れさせようと思ってます。

少しずつなら大丈夫!
僕の挑戦はまだまだ続きます!
まだまだちっぽけではありますが、自分のやりたいことに挑戦していきます。

そして、僕たちパーソナルトレーナーが結果を出せるようになり
「お客様」「仕事仲間」「家族」を幸せにできる世界を必ず実現していきたいと思っています

そんな想いに少しでも共感し賛同頂けたら大変嬉しく思います。
共感頂けた方は是非「いいね」押してください!笑

最後までご覧頂き本当にありがとうございました。


息子と愛犬

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安藤貴弘  | トレーナー育成の専門家
【略歴】
・トレーナー歴16年
・大手フィットネスクラブで店舗責任者・110店舗展開パーソナルジムのトレーナー教育担当
・REALWORKOUTトレーナーズアカデミー講師
・パーソナルジムReViNa外部講師
・パーソナルトレーニングスタジオU教育サポート
・トレーナー、セラピストのコミュニティ『period』セミナー講師
・業界最大級のトレーナースクール2ndpass主宰「トレーナーズサミット」に講師として登壇
・パーソナルトレーナーのためのオンラインサロンBloomTrainers主宰

【SNS】
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▼YouTube
https://youtube.com/@takahiroando2767?si=4rkYd2pL9_uAwO9K
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