編んで、 縫って、 たまにほどいて
編んで、縫って、たまにほどいて
日々の暮らしはそういうもので
計算したような してないような
そんな感触から生まれた どこか生き物っぽいもの
さわると気持ちよくて
持ち歩くと ちょっとたのしい
2016.11.2
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そう書いたのは、4年前。
それで今、いつのまにか「たまにほどく」時間がなくなってるみたい。
アレアレこんな形にしようと思ったんだっけな?
とか思いつつも、もう月が出ちゃうしそのあとお日様来ちゃうし、
あれやらないといけないし、これもまだだし。
過ぎゆく中で、ほどくパーツをおいてけぼり。
でも本当は心の中に
ほどきかけのが、ちょこちょこあるのを知ってる。
親友に会う。
聞いてほしい話がある、なんてこと
一言も言ってなかった彼女だけど
ごはんを食べながら、ズルズルと話が出てきて
蓋が突然あいたように、涙が溢れ出てきていた。
たくさんたくさん溜め込んでいのだよね。
落ち着いた後、歩きながら彼女は言う。
「なにを聞いてほしいってわけでもなかってんけどなぁ」
私はものすごく共感したし、
あぁやっぱりこれ、ほどいた方がきっと良いんだわ、と強く思った。
私もそう思い続けていたのだ。
ねぇ聞いてってわざわざ連絡する程でもないか、とか。
今具体的な言葉にならないし、とか、
やり過ごしていたから。
ハッキリと形がある目の前の色々な事に負けて、
あやふやなほどきかけの感情は
無かったように押し黙っていった。
でも本当は無くなってなんかいない。
おざなりになっていた、ほどきかけ、
ここではヨイショと言葉にする
チャレンジをしてみたいと思っています。
2020.10.23
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