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豆知識|醍醐天皇がもたらした食への功績
醍醐天皇(885-930)は、文化や政治に加え、食文化にも影響を与えました。
彼の治世は「延喜の治」として知られ、食の多様化と発展に寄与しました。
食材の多様化
醍醐天皇の時代には、中国からの影響を受け、さまざまな新しい食材が取り入れられました。
当時の中国を収めていたのは「唐」という国です。
遣唐使という言葉を聞いたことがある方は多いと思いますが、醍醐天皇の時代には唐は衰退、航海の危険性から894年を最後に派遣されませんでしたが、すでに日本では中国の影響を十二分に受けていました。
特に当時は豆類や香辛料が宮廷料理に登場し、味の幅が格段に広がったとされます。
宴による料理人の競い合い
ある時、醍醐天皇は珍しい食材を集め、宮廷での宴を催しました。
伝説によれば、珍味として蜂の子を提供したそうです
誰もが蜂の子を料理として見るのは初めてだったようで、参加した貴族たちを驚かせたそうです。
また、ある時は宮殿の庭で採れる食材だけを使った料理を作るように料理人たちに挑戦させたと言われています。
これにより、地元のハーブや魚、穀物を組み合わせた複雑な料理が生まれ、料理人の創意工夫とその土地での地産地消による工夫がされ、結果的に地域の独自性を育んだようです。
常に大胆な試みを行い、宮廷のこれまでとは違う食文化に新たな風を吹かせたとされます。
酒の製造と普及
醍醐天皇は、料理だけでなく、酒の製造技術が発展させました。
彼は「延喜式」において酒の製造方法を記録する、いわゆるレシピを完成させ、これを全国に普及させました。
【延喜式(えんぎしき)】
平安時代に編纂された律令制度の規則集。全50巻から成り、国家の行政や儀式、祭祀、税制、司法など、多岐にわたる細かい規定をまとめています。
醍醐天皇の時代に完成し、明治時代まで約1000年間、法令や行政の基準として用いられました。正式な法としての効力はなくなりつつも伝統的な参考資料として影響を残しました。
酒造りでも競い合い
ある日、醍醐天皇は各地の酒を集めて品評会を開きました。
最も優れた酒を提供した村には、天皇自らの褒美が授けられたといいます。これが酒造りの技術向上を促し、地域による個性や品質の向上。
競わせることで酒造業界全体の発展につながりました。
食の儀式と慣習
醍醐天皇は単に作ること、飲食することだけではなく、食に関する儀式を重視したとされます。
季節ごとの行事や祭りで特別な料理を振る舞うことを広めていったとされます。
これが後に「御節料理」の起源となり、正月の祝宴に受け継がれました。
祝いの鯛
正月の宴で、醍醐天皇は巨大な鯛を料理に使うことを好んだそうです。
しかしある時、その鯛があまりにも大きかったため、厨房から運ぶ際に落としてしまい、急遽別の料理が用意されましたが、これがまた大好評だったという逸話があるようです。
醍醐天皇の治世は、日本の食文化に新しい視点と発展をもたらしました。
彼の功績は、現代の日本食の基礎にもなり、今もなお私たちの食卓に影響を与えています。
なにより、このような文化の発展には政治的な安定が必須になります。
これは世界的にみても、豊かな文化の発展には、政治の安定が必ず寄り添います。
その上で、醍醐天皇は夢の中で賢者から「民の声を聞け」とのお告げを受けたとされ、この夢からインスピレーションを得て、彼は言上の制度を開始したとそうです。
結果としてこの制度が国民からの信頼を高め、より安定した政治を後押ししたのかも知れません。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。