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生粋の飽き性なのにストレッチが続いた。3つのルールと誰にも参考にされない1つのコツ

この3ヶ月、ほぼ毎日ストレッチと筋トレをしている。飽き性を極めている私がここまで続けられたのは奇跡に等しい。

ストレッチと筋トレ(以下スト・トレ)の目的は、習っている&教えているタップダンスを、よりカッコよく踊るためだ。

私は典型的な反り腰である。反り腰とは骨盤が前に傾いているため、下腹が前にせり出し、おしりが後ろに突き出ている体型のこと。それゆえに、前ももが必要以上に発達し、逆におしりから裏ももにかけての筋肉がユルユルになる。

その結果、私のおしりともも裏の間には境界線がなくなり、むしろ境界線があるべき場所にぜい肉がつき「第二のしり」とでもいうべき謎の肉の層が発達していた。

そんな私は昨年10月、この謎肉層に象徴される背面の柔軟性・筋力不足のために、自分の膝の曲げ伸ばし力が非常に弱いこと、それゆえに脚を素早く細かく振り子のように動かすことが下手だということに気付いた。つまりこのままでは、いま以上に素早く細かく、タップ音を鳴らすことができない。これ以上、上手くなれないということだ。

タップダンスをこれからも頑張っていきたい身として、これは由々しき問題なので、奮起した。内もも・裏もも・臀部の柔軟性と筋力の強化のため、コツコツ続けること3ヶ月。その効果はなかなか目に見えて出てきている。

おしり周辺なので写真でお見せすることができないが、セルライトを帯びながらたるんとしていたおしりがちょっと持ち上がるとともに、もも裏が少し引き締まったことにより、境界線がはっきりと生まれつつある。謎肉が消滅しつつあるのだ。めちゃくちゃ嬉しい!


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生粋の飽き性、三日坊主常習犯の私がスト・トレを続けられているのは、3つのルールと、あるコツのおかげだ。

まず3つのルールを紹介する。いたってシンプルだ。

1.3回でいい
10回×3セットなんてむり。でも3回ならできる。3回やると、なんと時々5回やれることもある。目標回数を約7割増でこなした自分が誇らしくなり、モチベが上がる。

2.1種類でもいい
やろうと思っているスト・トレは全部で4種類ある。やるのはそのうちの1種類だけでいいことにしている。もちろん、余裕があれば全部やってもいい。「1種類、3回だけやろう」と思うととりかかりやすい。そしてやり始めると、大体全種類やってしまう(3回でいいから!)。

3.ながらでいい
我が家はラグなどが敷かれていないため、全床が冷たい。かといってマットを敷くのはめんどくさい。めんどくさい要素がちょっとでもよぎると、ぜったいに続かない。
あと、わざわざストレッチの時間をとる、というのさえも、めんどくささに通ずる要素だ。

なので、風呂上がりに髪を乾かしながら立ったままできることだけをやることにしている。

ちなみに「スト・トレをやらなくていい日」もある。それは「酔っ払っている日」だ。片脚で立つ動作があるのでコケたら危ないからだ。

「スト・トレをやりたくないから酒を飲む」という方向に舵を切らないか若干心配だが、身体的・精神的負荷を限りなく低く設定しているので、今のところそういう兆候は感じていない。

ようするに、とにかく「1回目」のハードルをめちゃくちゃ下げることが大事だ。なんなら1回だけやる、にしちゃったっていい。1回目が何より重い。そこを超えると、3回・5回、2種類目・3種類目とやりすすめたくなる。オススメです。


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ここまでに挙げた3つのルールは、たとえばダンス仲間や生徒さんに「どうやったら毎日続けられるんですか?」と問われたときの答えとして、比較的共感してもらえる。

でももう一つ、誰に話しても「?」な反応をされるコツがある。誰にも共感・納得されず、参考にしてもらえてない。だがこれは個人的に、革命だと感じている。

そのコツというのは「現在の自分と未来の自分を別人とみなす」ことだ。今の私と、ストトレする私は違う人間だ、と捉えるのだ。

先の3つのルールによって、限りなく「1回目」のハードルを下げていたとしても、やはり「めんどくさい」「今日はいいかな」という気持ちはよぎる。

激ユルスト・トレは、お風呂を出て髪を乾かすときにやる。つまり1日も最終盤の時間帯。あたりまえだが、疲れている。

私は夕方から0時くらいまでに1番エネルギーが湧くタイプで、風呂に入るギリギリまで活動・作業をしていることが多い。

そういう時間を過ごした直後だから、さっさと寝たい。風呂とか髪乾かすとか超めんどくさい。湯に浸かっているその時間は気持ち良いので好きなのだけど、付随する作業が半端なくめんどくさいのだ。

そこにさらにストレッチ?
めんどくさい。やりたくないに決まってる。

特に「頑張った日」は本当にやりたくない。

体力を使った日、大きめの仕事を乗り切った日、自分なりにやったけどうまくいかなくて落ち込んだ日。結果の良い悪いは別にして、心身に疲労を感じるとき、「ストレッチ、やらなくていいかな。だって今日、頑張ったもん、私」と必ず思う。

この感情との戦い、非常に骨が折れる。

だって一応毎日、それなりに頑張って生きてるのだ。疲れてない日なんてないに等しい。しかし、「頑張ったから・疲れてるから今日はやらなくてOK」にしていると、いつもやらなくていいことになってしまう。

どれくらいの疲労度ならスト・トレを免除していいか、その基準を設けるのもなかなか難しい。疲労も頑張りも、数値化できない。体感に頼ると、「あんなに頑張ったらそりゃ疲れますよ。今日はご自分を労ってあげたらいかが?」と軽率ご自愛モードが発動する。

1回目のハードルを下げまくっているというのに、さらにそのハードルの下をくぐろうとする、このユル甘ご自愛精神。

いや自分に優しくするのは悪いことではないかもしれないけど。しかしユル甘な結果、いつまで経っても謎肉はなくならない。タップは一生、うまく踏めない。

なので、ユル甘に流されそうになったときはこう唱える。「今の私と、ストレッチする私は別の人間。いっさい関係がない」と。

確かに私はいま、疲れている。今日、いろんなことで頑張った。それは認める。素晴らしい。

でもいまはその私ではない。「ダンスが上手い私」である。ダンスが上手い私はスト・トレをする人間だ。彼女はいま、別に疲れてなどいない。あるいは、疲れていてもスト・トレをする人間だ。だからやる。

こんなふうに、「疲労を感じている自分」を切り離す。「めんどくさい」がよぎった瞬間、「でもその自分と、ストレッチやら筋トレやらは関係ないしな」と頭を切り替えることで、即座に1回目に取りかかれる。1回目のハードルを下げまくっていることが、ここでも効いてくる。「やらない理由」を限りなく排除しているのだ。

なお注意したいのは「やらなければ未来の私が後悔する」と考えるのはちょっと違う、ということだ。これは未来がいまに干渉している状態だ。つまりいまと未来の自分に連続性が生まれてしまう。連続性が生まれると、いまが未来に干渉する隙を与えてしまう。「疲れてるから」が「やらない理由」として有効になってしまう。だからやはり、切り離すことが大切なのだ。「いっさい関係ない」と。

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このコツは残念ながら、実践してくれた人はおろか納得・共感してくれた人さえいない。なんなら、「スピリチュアルっぽい……」と私がいちばん言われたくない感想まで飛び出す始末だ。

「いまここ」に集中するという感覚に近いと言えばそうかもしれないので、マインドフルネスっぽいところはあるのかもしれず、そういう意味で、「精神性」は高めだと認めるべきだろうか。

でも別に超自然的なものの啓示に従っているわけでも、そのパワーの恩恵に預かってるわけでもない。ただ、自分をその気にさせる工夫を一生懸命考え、実践しているだけだ。すぐにそうやって人の行いに神秘性をまとわせるのはやめてほしい(誰に文句を言っているんだろう)。

もしストレッチや筋トレを続けたいと思っている人の参考になったら嬉しい。特に、「誰にも参考にされない」方のコツ。こちら、専門家的な方がもっと洗練された形にメソッド化してないか、調べてみたいと思います。

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