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言葉について

創作という行為や結果に対してそこに付随させた私の言葉は身震いするほど
薄っぺらいものだと感じています。

自分の作品あるいは創作姿勢に対して必要以上に綺麗な言葉を並べたがるのは
ポエムもどきの自分語りに他ならず
少なからぬ自己顕示欲の顕れに拠るものでしょうか。

ものづくりにおいて自己顕示欲や功名心と言った
他者の介入なくしては成立させられない心の置き所、在り様、作品、
引いては自分自身を
さも高尚であるが如く見せたいという虚栄心は
側から見れば幼稚で無様なものです。

他者の目を気にするのではなく
自分がいいと思うものがあくまでも結果として他者に評価された
というのが本来の在り方だと思います。

否、
評価、在り方だなんて
各々の感覚によって違うのですから
他者に判断を委ねたりする事ではないでしょうし、
言葉を持ってして定義するべきものではないのでしょう。

そもそも
”染め”という表現方法に対し
別の表現方法である”言葉”に
わざわざ変換させるのが不純なのではと思う時もあるのです。

とは言うものの
必要最低限の情報以外に言葉が必要ないかというと
それはそれで情緒がないという想いもあります。

物語。
言葉の通り
物の性質を伝えるには語り(ストーリー)が
あった方が分かりやすいし何より楽しい。
実際のところ
私自身も制作の背景や思想に惹かれることも多いのです。

自分と比べてこの違いはなんだろう。
そもそも比べている時点で既に本質からずれていると思いますが
敢えて言いますと
おそらく今は語る機ではないという事なのでしょう。
正確には
機というよりも
人、つまり私が熟していない。
私が感じる私の言葉の薄さは、
他ならぬ私自身の薄さなのでしょう。

きっと言葉は訪れるもの。
語るべきものを作り、
語るべき中身を持ち、
語るべき時が来たら
その時に言葉は自ずと発露するものなのかもしれません。

それを踏まえてなお
未熟なら未熟なままの自分を垂れ流し
敢えてその恥を残しておきたいと今日この頃です。

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