藤井風は天使か、教祖か、「歌う人」か
等身大の藤井風
連続ドラマ『にじいろカルテ』の主題歌「旅路」が話題となり、ますます注目の集まる藤井風。先月、初めての全国ホールツアー「HELP EVER HALL TOUR 」を無事、遂行させた。
貫禄あるパフォーマンスに対し、舌足らずなトークというスタイルが安定してきたようだ。バンドメンバーとの信頼関係がうかがえるステージング、ファンの要望を見据えたような衣装や演出に、観客の満足度も高まっただろう。
社会状況としては疫病への対策が延長され、正確には、あと10日ほどは手放しで喜べない状況だ。それでも、チーム風にとっては初めての全国ツアー。この状況下でトラブルもなく完遂できたことは、十二分に評価したい。
藤井風は音楽の神が地上に遣わせた天使か
「藤井風は音楽の神が地上に遣わせた天使」
ネット上では、そういう賞賛を数多く見聞きする。ベジタリアンを公言し、「HELP EVER HURT EVER 」(常に助け決して傷つけない)を座右の銘とする藤井風。彼自身が発信する”スピリチュアル”な発言は、ファンの間でもしばしば注目を集める。
彼は極めてストイックな生活を送っているかのようにも見える。「たまには肩の力を抜いて、時折、23歳の若者らしくハメを外してもいいのでは」と声を掛けたくなるのは、単なる老婆心だろうか。いや、見えないところでは年齢相応に弾けているはず…と思いたい。
画面越しに見る藤井風は、輝くような生命力を感じさせると同時に、ふとした瞬間には、どこかしら厭世的な雰囲気さえまとっているようにも感じられる。繊細さを内に秘めたその様子が、いかにも悟りを開いた聖人のように見えるのだろうか。
藤井風は理想の人?
しかし、彼は天から遣わされた神でも天使でもなく、ましてや教祖でも仙人でもない。みんなの期待する「理想の藤井風」を演じなくていい。生身の23才の若者であっていいし、そのことを忘れないでほしい。わたしはそう思う。
今回のツアーでは感極まったのか、プロの演奏家でありながら感情をコントロールできず、ステージを中断してしまうこともあったという。
でもそれでいい。望まれる優等生を演じなくていいよ、風さん。最初、耳にしたときは「あの百戦錬磨の風さんが?!」って驚いたけれど。それはわたしが勝手に作り上げていた”パーフェクトな理想の藤井風像”とズレただけだったのだから。
このただならぬ状況下の、しかも人生初のツアーで一分(いちぶ)の隙も無く完璧に演じきるほうが、普通じゃない。
ありのままでも十分に愛される藤井風は、まだ若き23歳。見つめる先には未来への可能性が広がっている。
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『罪の香り』の中で彼は歌っている。
藤井風の楽曲の歌詞は「まるで悟りを開いた仙人のよう」だと評される。でもよくよく読み込んでいくと、上記のような葛藤や迷いがある。
悟りを開いた者に、葛藤や迷いは生じないという
本当に自我を超越して解脱の域に達していないからこそ、このような歌詞が出てくるのではないだろうか。
無垢な心で理想を追い求め、振り絞るようにしてフレーズや言葉が「降りてくる」のだろう。そしてそれは自らを鼓舞させ、自分の内なるハイヤーセルフと、全ての人が「ちょっといい気分」になるためにふるまわれる。
「歌う人」に必要な心身コントロール
声には楽器以上にすべてが表れてしまう。歌い手は何があってもフラットでいなければ歌えないのだ。曲が始まると瞬間的にまっさらな状態に戻り、その歌の色に染まるようスイッチを切り替える。歌っている間は「その歌の物語を生きる」から。
歌う上で一番大切なのは「心身の健康」。心をやられていては良い歌は歌えないもの。「歌う人」は、どんな出来事に直面しても、動じない鋼のメンタルが必要だ。そのためには強靭な心身コントロールが求められる。彼を支える信仰や祈り、ライフスタイルは、「歌う人」でいるためにも必要不可欠なのではないだろうか。
藤井風は、これからどんどんメジャーになる。そうすれば彼を取り巻く環境も刻々と変化していく。「売れる」ことにより、本人の意志とは別の所で、たくさんの「欲」や「思惑」に付きまとわれることになる。
幼少時よりピアノに明け暮れ、上京するまでずっと岡山県の実家にいた藤井風。じっと好機をうかがっていたのだろうが、何の不安もなく過ごしていられたはずはない。音楽を生業にすることは、生活の保証がない明日とも、隣り合わせになることでもある。
畳の上で泳ぎの練習ができないように、「知っている」と「経験した」では雲泥の差がある。大海原に飛び出し、社会の中でさまざまな局面に出会うことで磨かれていくものもあるだろう。それは想像力だけで補えるレベルをはるかに凌駕するはずだ。
良きも悪しきも経験を重ねていくうちに、人間的にも音楽的にも深みが増すに違いない。彼だっていつまでも無垢なままではいられない。キレイごとを飲み込んでのオトナの事情、長いものに巻かれる時もあるかもしれない。
「大人になる」ということは、自分の中で理想と現実との折り合いを付けることだ
藤井風が若く純粋で理想に燃えている期間も、永遠ではないのである。でも、心身をコントロールし、感性を研ぎ澄ましている藤井風ならば、きっと道を踏み外すことはないはずだ。
人間の感情は、周りの環境が変わっても変わらなくても、刻一刻と変化するもの。そしてそれはアーティストもファンも同じ。諸行無常。永遠に変わらないものなんてない。
だからこそ、わたしは「今ここ」で自分の目と耳で味わう感覚を大切にしたい。周囲がどう評価するかではなく、己がどう感じるかだ。初めて彼の歌とピアノを素敵だと感じた時の情動を、ただ静かに見つめたい。
藤井風はピアノと共に生きる限り、美しい調べを奏で続けるに違いない。これからもっと成熟するであろう藤井風の音楽を聴き続けたい。そう願ってやまない2021年2月の夜。
BGMは3年前、藤井風20歳の時にアップされたエイミー・ワインハウスの「Rehab」天使のように歌いかけるわけでも、悟りを促すわけでもない。挑戦的な表情で「見てらっしゃい」と毒づく「藤井風」だ。
3年前、20歳の時にYouTubeにアップされたエイミー・ワインハウスの「Rehab」は、わたしのお気に入りのカバー動画のひとつです。
ちなみにアップされた日は6月13日で、わたしの誕生日。風さん、とんでもなくイカした歌のプレゼント、ありがとうございました(笑)そして、この翌日6月14日は、あなたの誕生日。20歳最後の日に「見てらっしゃい!」なんて、ほんと最高じゃないですか。
当時は一体、どんな気持ちで、この歌を録音したのでしょうね。2021年2月のいま、23歳のあなたは全国ツアーも無事完遂したんですよ!
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