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変わりゆく常識 変わらない当たり前

半世紀生きてきて、自分自身を常識的な人間だと自負しています。

仕事をしている中、ここのところ、朝礼などで全員に対して注意を促す言葉で
『なんでこんなことを全体朝礼で言うのか?』
と、疑問に思うことが多くあります。

仕事場にいるのは多くが社会人、若くてもアルバイトの大学生です。

そう言う年代の人々を対象にこんな注意が毎朝あることがすごく不思議でした。

何故、こんなことも気づかないのだろう?

 
でも、こんなふうに感じるのは、自分が歳をとったということなのでしょうか?

例えば
"飲んだペットボトルを片付けない"  とか

"食べたお弁当のゴミの分別ができていない"などなど

やるのが普通だと感じて生きてきたことが、普通ではない、常識が薄れていると感じます。

自分が意識していない当たり前の常識

でも、ニュースを見ていて気づくこともあります。
 
先程、【点字ブロック】のことをやっていました。
目の不自由な人が歩く際、とても大切なもの、路面にある黄色い道です。
 

ほぼ全ての人がスマホを持つ現代、"歩きスマホ"の危険性はよく耳にしていました。

自分自身も気をつけないといけないと思ってもいました。でも、…
 
【点字ブロックの上を多くの人が歩きスマホをしている】
 
ということは意識していませんでした。

少し考えればすぐわかることでした。
つまり、至極当然、当たり前のこと
 
常識と言えることだったのに、私自身、意識していなかったことに愕然としました。
 
そして、絶対に自分がやっていないという自信が持てないことにまた、ショックを受けました。
 
人は無意識にまっすぐ歩こうとするのではないでしょうか?
 
そういう習性があるとしたら、歩きスマホをしている際は、無意識にまっすぐ歩ける点字ブロックの上を歩くことを無意識に選んでしまうとしたら…
 
 
目の不自由な人にぶつかってしまったとしたら…
 
とても恐ろしくなりました。
 
ニュースでインタビューされた全盲の男性が話されていたことに、猛省が湧き上がりました。

「自分達は他に選択肢がないのです」

私たち健常者は自ら選択することがたくさんあるのだなと、改めて思い知ることになりました。


自分は常識人だ、大人なのに、社会人なのにこんな簡単なこともわからないのか?と思うことはものすごいおごりです。
 
"人の振り見て我が振り直せ"

先人の言葉は、なるほどな、と感じるものが多いですよね。
 
 
先を歩いた人々の言葉や想いを自身に当てはめて、行動や考えを見直すことを、意識してやっていかねば、と気づかせてくれた一つのニュースのお話でした。

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