近代の宗教「時間」
プラトンとアリストテレスの融合によって、どうも現在の時間のありかたが決まったようです。というのも、イデア界から流れでた神の吐息のようなモノが、今度は地上へ染みだしていくように私たちの時間は設計されているからです。次々と「いま」を食べながら前方へ進んでいくのが、私たちの時間観ですが、これはまさしくイデア論の時間認識であって、古来の時間認識は、このような過去から未来へ直線で進んでいくものではありませんでした。
支配産業が農業から金融業へ
いま私たちがつかっている時間は、定時法と呼ばれるものです。定時法と不定時法とあります。忘れられた不定時法から説明します。忘れられましたが、こっちが人類史において、ふつうの時間観でした。日本においても明治の初めまでは不定時法で時間をはかっていました。
不定時法は、陽のでている時間を12で割ります。陽のでている時間は季節によって、あるいは地域によってちがいますね。それを12で割るのだから1時間の長さが、季節によって、地域によってバラバラです。私たちの時間感覚でいえば、1時間が30分だったり80分だったりする。
農業が基盤の社会であれば、太陽光が重要なわけだから不定時法のほうが都合がいいでしょうね。陽の光は神の恩寵、というのが生活の実感です。恩寵にあわせて生活していた、ということ。
ただべつに農業でなくとも普通に生活していれば、むしろこちらのほうが人間の自然にはあっているでしょう。たとえば私が高校生のころ、毎朝おこなわれる0時限目の授業は強制参加でした。冬場など、まにあうためには暗いうちに家をでなければいけません。
私は「こんなの自然に反している」と考えていました。考えていた、というより性にあわなかった。というかイヤでした。それでだいたい遅刻して登校したものです。陽のあたる道を、もはや時間など気にせず歩くのが好きでした。朝焼けの空、2月の乙女の白い吐息、私は詩を練りながら1人、ブラブラ歩いていました。
みんなが定時法にしたがって授業に参加しているところ、私は不定時法の観念でブラブラしていたということです。だから定時法とは、1日を厳密に24で分けることです。季節が変わろうが陽がでてようがいまいが、6時40分は6時40分。「陽の光は神の恩寵」などとノンキなことをいっていれば、電車に乗り遅れてしまう。
目のまえの「陽のあたっている現実」ではなく、その裏に隠された、地球の自転という自然の法則を学びとり、生活に利用する。これは「抽象する」ということです。抽象して自然の法則を見つけだす。現象ではなく抽象を生活に利用する。これが定時法です。
地球の自転(定時法)など、私は「現実」として見たことはありません。ただ「抽象」された数字、時計の数字として知っているだけです。
『中世の産業革命』(J.ギャンベル著 岩波文庫 1978年)によると、イタリアの機械時計導入時期はパドヴァで1344年、ジェノヴァで1353年、フィレンツェで1355年、ボローニャで1356年、フェラーラで1362年です。おそらくはイスラムのイヴン・スィーナーあたりで生まれた定時法が、イタリアに根づいていきます。
なぜ定時法がイタリア全土に侵入していったか?それは、利子のためです。定時法は利子のために発明されたんです。不定時法が農業のためなら、定時法は金融業のためです。カッチリ1秒ごとにマシーン感覚で時間をくぎり、まえへまえへ進出していくのは利潤の最大化のためです。このことを研究したのが、フランス・アナール学派のジャック・ル・ゴフ(1924-2014)でした。
大恐慌が金融業を支配産業にした
イタリアにて定時法が導入された1300年代なかばは、大恐慌の時代でした。金貸しへの需要がどうしても高まる。だから急ピッチで利子=定時法が整備されていきました。この大恐慌は、歴史の教科書などでは、疫病のペストとセットで語られます。
だがどうも大恐慌はペストのせいではありません。ペストがフィレンツェのトスカーナ地方に上陸したのは1347年-1348年。しかし、よくよく調べるとペストの蔓延以前のイタリア、商業都市フィレンツェにおいて当時の大銀行が倒産しています。1345年にバルディ商会、1347年にペルッチ銀行の倒産です。
『中世の産業革命』には、ヨーロッパにおける銀不足、いわゆる通貨危機の発生が、フィレンツェのバルディもペルッチも墜落させた、との記述があります。
銀不足とは?いくつか資料をつきあわせて判明しました。銀不足とは、オスマン朝の勃興のことです。オスマン朝(1299-1922)は、トルコのアナトリアを出自とします。アナトリア地方には、鉄器とともに興隆した古代のヒッタイト王国(紀元前1700年-前1300年ごろ)の中心都市もありました。このアナトリア地方は古来、莫大な量の銀の産地だったんですよ。
『世界の歴史15 成熟のイスラーム社会』(永田雄三/羽田正著 中央公論社 1998年)のp49-p50にて、1326年のビザンツ要都ブルサを獲得した直後に、オスマン朝が初めて銀貨を鋳造した、との記述があります。
この銀貨はアクチェ銀貨と呼ばれました。17世紀まで広く中東世界で基軸通貨(キー・カレンシー)としてつかわれたといいます。なんと300年以上にわたってつかわれつづけたとのこと。これは驚愕の事実ですよ。
どんどん大きくなっていく帝国の、莫大な交易量をまかなうだけの銀をオスマン朝は確保していたことになります。しかもおそらく、その初期から。おなじ通貨が300年以上もつかわれつづけたという事実は、ふつうの国家の歴史では見られません。最初から綿密に設計されてつくられた強力な通貨だったのでしょう。ウルトラ級の優良通貨です。
中央銀行もなしに、14世紀から17世紀まで300年にもわたってつかわれつづけた事実。ウルトラ級に良質な銀貨が、オスマン朝によって独占されました。だからオスマン朝は世界帝国になっていったのです。
反比例で、銀をもたない国々はオスマン朝にしたがうしかなくなり、自国独自の通貨発行権が弱体化してしまいました。これが大恐慌の原因であり、定時法=利子が周辺国のイタリアで導入された理由です。
基軸通貨以外の通貨は、この場合はアクチェ銀貨以外は、信用がおけないのだから誰も欲しがりません。基軸通貨をつかわなければ商品流動が渋滞してしまいます。値段さえきちんとつけられない。しかしアクチェ銀貨が手に入らないとなると、もうどうしようもない。生活はめちゃくちゃだ。盗賊にでもなろうか、という気にもなる。
このへんのことは、現代日本人には、なかなか実感としてわからないんじゃないでしょうか。たぶん外国と直接交易するような職業でもないと、わからないはずです。かくいう私も昨日までつかえていたお金が、今日コンビニでつかえませんでした、という経験はありません。
私たち日本人は、お金にたいする実感をもっていません。通貨というものは、本来、非常に不安定なものです。現代日本人は、円の優秀さに守られてます。そのことが見えないから、他国で起きる暴動も自分たちとはまったく関係のないものだと見えてしまいます。私たちは本当は、守られてぬくぬくとしているだけなんですよ。それだって、いつまでつづくか知れたものではありません。早かれ遅かれ円も壊れるでしょう。
トルコ・オスマン朝の銀の独占が、エジプトーイタリアの好景気を一気に墜落させました。通貨となる鉱物(金や銀)の不足が、交易を衰退させ、交易をになう国家の衰退さえもたらすという現象、これは現代でもおなじです。
アメリカの衰退は、金とドルの兌換を放棄した1971年のニクソン・ショックからはじまりました。ニクソン・ショック以降、アメリカは金融業(=幻想)を発展させ、そして墜落した。歴史のつねで、帝国つまり覇権国サイクルは、金銀の移動から起こります。
現代アメリカ―日本と、14世紀エジプトーイタリアのちがう点は、アメリカと日本は中央銀行という紙幣バラマキの、いわば幻想構築装置をもっていることであり、この幻想構築装置が、死に体のアメリカに延命処置をほどこしている点にあります。14世紀に中央銀行はありません。14世紀、エジプトおよびヨーロッパは、銀不足の影響をモロに受け、ダイレクトに恐慌へと突き進んでしまいました。
悲劇が求めた定時法という幻想
この恐慌が原因で、100年間が荒れに荒れる。さらにペストの追い討ちがある。コロナなんか比ではない。ふんだりけったりもいいところ。
それはあたかも、第2次世界大戦後の日本みたいなものだったのでしょう。原爆を落とされたあとの日本と、おなじ状況だったのでしょう。夢にさえ見たことのない地獄絵。昨日笑っていた母親が、今日は鉛色の肉塊になってそこらに転がっている。
『世界の歴史3 ヨーロッパ中世』(堀米庸三責任編集 中公文庫 1974年)のp434によると、この時代、全裸の男女の集団が聖歌をうたいながら、片手に十字架を、もう片方の手で鉄をしこんだ革ひもをふりまわし、自分の体が破れて血だらけになるまで鞭で打ちつづけるという異常な光景も見られています。
人間が壊れてしまった。「汚れた私。原罪を宿してしまいごめんなさい!どうか許してください!」と自己否定の極致にまで堕ちてしまった。そして機械時計=定時法=利子の導入は、ちょうどこの時期なんです。パドヴァで1344年、ジェノヴァで1353年、フィレンツェで1355年、ボローニャで1356年、フェラーラで1362年。
最高権威のローマ・カトリック教会も、この地獄絵図の状況下、なすすべもみあたらないまま混乱のさなか、ついに壊れた民衆によって機械時計は導入されました。
1時間経過、また1時間経過、チクタクと時間をくぎっていく。地獄の業火のなか、ヨーロッパ人は行動様式の激しい変更をせまられました。そうしないと生きられないからです。ムリヤリにでも、定時法という幻想のキメラ的思想怪物に身をゆだねるしかなかった。
機械時計導入は、銀が手に入らない大恐慌時代の、おいつめられた人類が絞りだしたこたえだったんです。現代の量的緩和政策とおなじ発想です。『中世の産業革命 』は「西ヨーロッパではローマ教会が機械時計を簡単に受け入れたのであるが、中世の産業革命の根幹は新思想に容易に順応するこの傾向によって説明がつく。」などとノンキなことをいっています。
そんな話ではありません。そうしないと生きられなかったのです。機械時計の導入は、輝かしい近代の幕開けなどではけっしてなく、銀が手に入らない時代、おいつめられた人類の、キメラ的幻想への悲劇の身投げだったのです。
私は、「定時法による時間」は、哲学の生みだした最高傑作だと思っています。素朴な哲学=イデアが進化して十字理論のキメラ的思想怪物(プラトン+アリストテレス)へと変貌し、そのキメラがついに時間という幻想世界、完全体となって民衆の生活圏へ入りこみました。定時法は、私たちの21世紀にまでとどく永い夢です。哲学の最高傑作といっていいでしょう。
第9回終わり
次回 反哲学としてのルネサンス~衰退国家で燃えあがった燎原の火~
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