娘が「発達グレー」だと指摘された私の思い
娘が発達障害を指摘された私の思いは・・
発達障害を指摘されたきっかけ
娘が発達障害を指摘されたのは、大学3年生になったばかりの21歳の
初夏。
大学2年の秋頃、耳が聞こえにくいと言い始めた。
高校でも2度聴覚検査に引っかかり、その度に耳鼻科を受診して詳しい検査をしても異常なしの結果。
異常なしと言われても聞こえにくさに変わりはなく、その後は私にもそれ以上を言わないまま困りながらも工夫して生活していたようですが、大学の授業が大講堂であったり、グループディスカッションが始まりいよいよ困り始めたという時期でした。
ダメ元で受診するもやはり3度目も異常なし。
もう医療機関を頼れないと考え途方に暮れていましたが、縁あって心理士の先生、大学の支援課の担当さんのアドバイスから『聞き取り困難症・聴覚情報処理障害(LiD/APD)』の情報を得て、専門医のいる大学病院を受診できることになりました。
発達障害と関係が深いLiD/APD。
主治医の勧めで発達検査(WISK)を受けることになり、その結果ASDとADHDの傾向が強いという指摘を受けることになりました。
指摘されて思ったこと
発達障害を指摘されて最初に思ったことが
「やっぱりそうだったんだ」だった。
わが子を発達障害と思って育ててきたわけではないけれど、ずっと感じてきたふたりの弟との違いや、なんとなく感じる育てにくさの答えが分かったという感じ。
大人しいし聞き分けがいいのに、なんだか通じ合えない。
頭がいいし優しいのに、空気が読めず周りから少しずれている感じ。
幼稚園、小学校、中学校、高校・・・いつも、少しだけど友だちの輪に入れずひとりぼっちで、トラブルを抱えることが多い。
初めての子だから?
女の子だから?
私の子育てが何か影響してる?
娘を育てる中で母として、心配や不安は尽きなかった。
長男と次男には感じることがない感情を、いつも抱えながら育ててきた。
その答えが分かったという感じ。
そして、次に襲ったのは、抱えていくしかないんだという現実。
現在の所ASDやADHDは、特異的な脳の気質とされているらしい。
(専門家ではないので、この表現でお許しくださいね)
ということは、「治癒」という言葉は、当てはまることはない。
専門書を読んでも、いかに自分を社会になじませていくか、周囲に理解してもらうか、ばかりが書かれている。
では、なじめなければ?
理解してもらえなければ?
未だ手探り
何から手を付けていいかわからないまま、本を読み、心理士にアドバイスをもらい、いいと思う方法を自分の中に決めてかかり、それをそのまま娘にぶつけた。
結果、娘は猛烈に反発し、大暴れの日々がしばらく続いた。
はたちを超えて、家庭内暴力って何よ?!って、私もいきりっ立った。
ひとつ進んだと思えば、3つ後戻りしている。
ひとつ理解できたと思えば、5つ衝突する。
少し近づけたと思えば、遠く離れていく。
指摘から2年半経った今も、手探りのまま。
あんなに大切に育てたのに。
あんなに可愛がってきたのに。
今も変わらず私の宝物なのに。
でも、この気持ちをきっとこれからも娘は理解できない。
だって、ASDだから、ADHDだから。
それは娘の特性で、脳の問題だから。
グレー娘の母は、本心虚しいかもしれないね。
でも、私だけじゃなく、娘も同じ気持ちかもしれないね。
悲しいけど、いろいろなこと割り切りながら、やっていくのだ。
大切な娘に、大事なわが子に変わりはない。
親である私はがんばるのだ!
「わかったこと」は向き合う方法を知ることができるということ。
「向き合う方法を知る」ということは、将来が見えるということ。
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