とろみ事件から学んだこと
※(2020.1.26追記)
数名の方から、とろみの技術革新について情報頂きました。
昔はもっと味も悪くてダマになりやすくて、現在のものはかなーりよくなってると。
そうだよね、そこに心血注いで研究して改善してくれている人がいるよね、
その情熱や努力に価値がないと思ってるかのように読めて傷つけたかもしれないと気が付きました。
これまでとろみ改善に携わってきた方にはもちろん大感謝だし、改善の歴史を直接伺いたい。
情報をくれた人にも感謝です。
以下、本文
介護の仕事をするときに最初に受けて資格を取るのが「介護職員初任者研修」
未経験でも取得できて、人の体のことや介護の考え方をスクーリングで学んで、実技で介護技術を学ぶ。
私は2019年10月に通いで取得した。
この1ヶ月の学びでもっとも印象的だった話を。
実技の授業では、体位変換、更衣介助、入浴介助、歯磨き、などなど、いろんなことを練習する。
その中の食事介助の授業で、「とろみをつけた飲み物を自分で飲んでみる」という時間があった。
高齢になって飲み込む力が弱くなる(嚥下機能が低下する)と、食べ物や飲み物が気管に入ってしまう。
この誤嚥が原因で肺炎になってしまう危険もあって、
介護食では食べ物や飲み物にとろみをつけて、ゆっくり流れてまとまって飲み込めるようにする。
介護食用に、常温でも液体に入れるととろみがつくものがあって、
授業では、りんごジュース、ポカリ、ほうじ茶に入れて飲んでみた。
たくさん入れればどんどんとろみが強くなるので、片栗粉入れるのと同じようなイメージ。
適当にとろみをつけてみて飲んでみる。
りんごジュースは、まあ大丈夫、中途半端なゼリー飲料みたい。
ポカリは、しんどいけどまだいける。
ほうじ茶の、あの、、、衝撃的なまずさ、、、!!!!!
びっくりして目が覚める感じがしたほど。
お茶の味がいやーな感じに口と喉に残って、どのテーブルでも、
「、、、まず」「え、これすごい味」「飲みきれない」という声が。
「ちょっとお水とって」って言いたくなったけど、
これが必要な人にとって、飲み物はこれなのだ。
ちょっとお水、ができないからこれを飲んでるのだ。
数秒間の自分の中の沈黙のあと、すごくショックで、悲しい気持ちになった。
「おじいちゃん、おばあちゃんがこんなまずいもの飲んでるなんてかわいそう」というショックではない。
それもあるけど。
誤嚥を防ぐためにとろみをつける、ということは、この授業の前から知っていた。
そしてそれを100%いいことだと思ってた、いいことしかないと思ってた。
「だって、とろみをつけたら嚥下機能が低下しても飲めるんだよ、いいよね、そういう工夫いいよね♪♪」
みたいなかんじ。
その実態がこれだったとは、ポカリが、ほうじ茶がこんなになるとは。
いいことだと思ってたのに、そうじゃない側面があったのだ。
私がショックで悲しかったのは、自分が「いいよね♪」と思っていたことが、どれだけ安易だったかを思い知ったから。
自分の知識や考えてることなんて、現場を知らない人の空想みたいなもんなんじゃん、とがっかりしたから。
これ以外にもこういうこといーっぱいあるんだろうなって思ったら途方もなく感じたから。
でもこれを悲しいと感じるのは、
高齢になってもお茶飲んでほっとする幸せがあるといいと願っているからだし、
当事者のことを理解したいと思ってるからなんだよね。
安易だったけど、安易なのがだめじゃない。
安易なところからでいい。
やってみて、知ってみて、自分が大切にしたいことを胸に、
「これがこうだってことは他のことは?」
「この人たちがこうだってことは他の人たちは?」
見えたことから想像する。
体験したことから、他の人にも、他のことにも、大いに思いを馳せることができる。
違ってたっていい、次の体験からまた次の思いを馳せたらいい。
一つの経験は、それをリアルに知るというだけじゃなくて、想像が持つ展開力にこそ可能性があるのではないか。
社会を考える、他者を思うってそういうことなんじゃないかと思う。
私がこれまでに経験した「介護のなにか」なんて極小すぎるんだけど、
その極小から私が想像する、私の言葉から想像してくれる誰かがいることが尊い。
だから全ての人の、全ての極小の経験に価値がある。
なんていうことを強烈に教えてくれた「とろみ事件」でした。
余談、これ飲んだあとに嚥下機能維持のための口と顔の体操を教わったんだけど、みんな超真剣にやってた。
介護予防って自分ごとになりにくいよね、ってときは、最初に全員でとろみほうじ茶飲んだらいいと思う。
介護職が伝える介護のリアルと介護予防策をセットで提供できたら、企業の役に立てたりするのでは、と真面目に思うので、健康経営に取り組んでいる団体や企業にぜひお話を伺いたい。
(と、やりたいこともとりあえず書いておく)