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なくなった景色、生まれた景色(鉄道編①)

普段、暮らしていて当たり前にある風景が、実は変わっていたという経験はありませんか?まちの景観が変わったのに気づいて、「前はどんなだったかなぁ?」と思い起こしても、なかなか景色がよみがえってこない・・・
そんな過去と今をつないでみようと思います。

不思議なローカル線

南海なんかい電鉄・汐見橋しおみばし

 まずは、南海電鉄・汐見橋線から。この路線、大阪に暮らしていても知らない、乗ったことのない方が多いのでは?営業距離は6駅で4.6㎞、都会の喧騒けんそうを避けるかのように走る、都会の「ローカル線」。南海汐見橋線は「通称」で、正式には南海電鉄・高野こうや線の起点駅です!なのに、知名度がめっちゃ低いのはなぜ・・・?

日本経済新聞より
(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO48430140Z00C19A8AA1P00/)

 それは南海高野線の前身、「高野鉄道」の歴史と関係があるようです。汐見橋駅は1900(明治33)年、高野鉄道が道頓堀どうとんぼり駅(現・汐見橋駅)~狭山さやま間を開業したのがはじまり。ちなみに、南海本線は南海鉄道(現・南海電鉄)が運営していました(上の図表を参照)。

 のちに、汐見橋駅は高野山こうやさん方面(高野下こうやした駅まで)に行くすべての列車が発着する、ターミナル駅になりました。10年ほど前に見た駅舎からは、まったく想像できないけど・・・。😲

 ところが、隆盛りゅうせいは永く続きません。南海鉄道が1922年に大阪高野鉄道(旧・高野鉄道)を合併すると、ターミナルが難波なんば駅に集約され、1929年には高野山方面の全列車が難波発着に。そして、1985年の高架化工事がとどめとなり、汐見橋線は岸里玉出きしのさとたまでで高野線と分断されてしまいました。めっちゃ複雑でややこしい〜。

 現在は、2両編成のワンマン列車が汐見橋駅~岸里玉出駅を往復、ダイヤは30分に1本です。この経緯いきさつを理解するのに、どれだけ時間がかかったことか。💦南海だけにホントに難解でしたわー⤵


「つわものどもが夢の跡」からの・・・

 汐見橋駅の駅舎は1956年築。2016年までは、写真のように改札の上に幅3mを超える巨大な南海沿線の観光案内図(昭和30年代の設置?)が掛かっていました。私が実際に見たときは、ここまで朽ちてなかったけど、さすがにこれはコワい!😨

1956年築の駅舎。観光案内図が老朽化してちょっとコワい。産経新聞より。(https://www.sankei.com/article/20210529-V5EMV32DANMXZAXY5G5MXDV33Y/)

 下が、先日訪問したときの駅舎。内装を塗り替え、全体的に明るくなったかな。2021年5月に新設された観光案内図は、とてもコンパクトに。

横幅がかなり縮まったかな

 観光案内図の拡大。先代のイメージを継承しつつ、現在の沿線の特徴が表現されています。和歌山城から延びる、薄いグレーの線の先に鎮座する和歌山電鐵の「たま駅長」をはじめ、りんくうタウンタワー、関西空港、特急ラピート、仁徳天皇陵にんとくてんのうりょう、堺トラム(阪堺はんかい電車)、通天閣つうてんかくなど、古墳こふん時代から令和までの移り変わりを感じる観光スポットが満載で楽しい!

このスペースに大阪や和歌山の見どころが満載!

 2009年には、同駅のすぐ隣に阪神電鉄・なんば線の桜川さくらがわ駅が開業。このタイミングに合わせたのか(は知らんけど)、2011年頃に外壁(無地)の塗り替えが行われたもよう。

阪神電車の桜川駅とはすぐ隣り合わせ

 2020年10月には、沿線企業とのコラボ企画「汐見橋駅アートプロジェクト」として、駅舎の外壁リニューアルを実施。余談ですが、汐見橋線の利用客が最近、少しずつ増加傾向にあるとのこと。桜川駅開業の影響なのか、理由はわからないそう(ここはちゃんと分析してほしいね)。

なかなかおしゃれな駅になった!
以前よりだいぶ垢抜あかぬけたと思う


12年ぶりの乗車

ホームと車内の印象

 あるブログによると、2016年に汐見橋駅の駅名標が現在の非電照ひでんしょう式に更新されたらしい。個人的には、昭和テイストの色濃い駅名標の方が断然好きだけど・・・。🤔

かつての駅名標。『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)より(https://ameblo.jp/s-limited-express/entry-12716475710.html)
非電照式だとコストダウンにはなるけど、建物との調和が・・・

 ホームに到着した2両編成の車両に乗ると、こんな感じ。昼間だからか、終点までで延べ10人ほどしか乗降してなかったような・・・。

昼間で延べ10人ほどの乗降客


木津川きづがわ駅  ~都会の「秘境駅」~

 2駅目の木津川駅です。下の写真は、12年前のもの。かろうじて駅名板は判読できるけど、相当にびて赤茶けてますね。今回は下車せず写真はないですが、駅名板が外されて真っ白でした。でも、それ以外はほとんど何も変わってなかった印象です。
  
 かつての木津川駅は、貨物駅としての役割が大きかったようで、高野鉄道の頃から貨物輸送が行われていました。当時、駅の西側に船着き場が設けられており、高野山や大阪南部からこの駅に集まった木材が木津川の水運を利用して、大正区たいしょうく貯木場ちょぼくじょうに運ばれたそうです。

朽ちるにまかせていたのか?
以前訪れたときの駅名標。電照式です。
12年前のホームの様子。ここはどこ?

 現在の駅名標は汐見橋駅と同じく、非電照式ですね。でも、下の広告を入れる部分は電照式かも。

SDM48-2のブログより(https://ameblo.jp/sdm48hikari/entry-12640874941.html)

 木津川駅を離れて、西天下茶屋にしてんがちゃや駅に。ゴールまであと1駅!それにしてもベンチの塗装のがれ具合がハンパないなぁ。

現在の西天下茶屋駅。ベンチの老朽化が激しい。

 終点の岸里玉出駅に到着。南海本線のホームから北向きに見た写真です。左端のホームに停車中の車両は、私がさっきまで乗っていた汐見橋線の電車です。ご覧のとおり、もう今は右斜め下に伸びる(写真では見えないけど)南海高野線とは分断されてます。グーグルマップで見ると、実にわかりやすい👀!

右斜め下方向に、南海高野線が伸びている

 下の図で、赤い矢印の方にカメラを向けて撮ったのが上の写真です。

 今回は、汐見橋線をざっくりふり返りました。この線は複線なのに、終点まで対向列車とすれ違わずに終わりました。実はこれ、偶然じゃなくて、すれ違う列車を絶対に見ることができないんです。なぜって、2両1編成しか走っていないから。😒これじゃぁ、複線である意味がないような気もしますよねぇ・・・

 この理由は、なにわ筋線の構想とも関係があるのですが、論じるとキリがないので、またの機会にしておきます。💦あぁ、疲れた・・・