非現実を生きる
飼い猫Jは夢に出て来ないし、つつがなく日々は過ぎます。
『ヘンリー・ダーガー 非現実を生きる』を読了しました。坂口恭平さんの寄稿された文章が本編(?)より面白くて関心を引きました。
ダーガーに関する考察では、
『彼は知的障害者で女性経験がなく、女性の身体を知らなかった。だから彼の作品の少女は男性器がついている。作品の中で繰り返し少女を惨たらしく殺していることから、ペドフィリア、サディスト、サイコパス的傾向があった』というのが一般的であると思う。
映画『非現実の王国で』でもその説が語られていたし。
しかし、この説を否定するジム・エリッジ氏の、考えは要約するとこう。
『ダーガーは同性愛者で、少女であり少年、少年であり少女になりたかった。しかしそんな彼は当時のアメリカで異端視されて抑圧された。惨たらしく殺される少女(少年)とはダーガー本人だった。彼は意図的に少女たちに男性器をつけた。敵は自分に対して残酷な大人たちの象徴』
私は後者が正しいと思っている。
だってダーガーは確かに変人だったかもしれないけど、勉強も出来て(出来たらしい)就労したり部屋を借りるレベルの能力もあって、80いくつまで生きた人。そんな人に向かって、「知的障害で女性経験がなく女性の下半身を知らなかったから女の子の絵に男性器がついている」は理屈としていくらなんでも無理があるし、ヘテロセクシャル一辺倒な考え方すぎる。だから後者が正しいと思う(もちろん、この二者のどちらかという話なら)。
というか、後者だったらいいなと思っている。
今日はやけに眠い。