人生ログインマーク
今日は殴り書き。
文脈も、表現も、正しさに則って書けないだろうと思う。
ただ思ったことを思ったままに書く。
昨夜、発作が起きた。久しぶりの、本当に、3年ぶりくらいの発作だったのではないかと思う。
私の心の病について書いたnoteには、度々出てくる “発作” だけれど、その症状は過呼吸や身体の痺れ、それが限界に達すると “解離” する。
私は解離性障害を過去に患っている。
トラウマが蘇ったり、フラッシュバックが起こったり、ストレス値がカンストしちゃうと人格がパカッと解離するの。
防衛本能のようです。
精神疾患は完治がないって言われるけれど、それは確かにその通り。
まず、私の体感から言うと、一度心を病むと ”病み方“ を覚えるんですよ。
あ、これ今つらいわ。苦しいわ。病むわ。って。
それが分かることには利点もあるのだけれど、五分五分くらいの割合で、病むことが生きる癖みたいになって負の迷路に迷い込むことが屡々。
対策とか、予防とか、そんな風には働かないことも多い。
昨夜は、そうだな。
そもそも昼間の時点でかなりストレスにさらされていた。
昨日も昨日とて母の死後の身辺整理に向き合って、過剰にイライラしていたし、余裕がなかったし。
そのあと仕事をしていても何かと母のことと関連付けて考えてしまって、突然涙がこみ上げてしまったり、自暴自棄になったりしていた。
そして夜中、1時とか2時とかだったのかな。
( ヤバい、これは病むやつだ。一人で居たら死ぬやつだ )
って思って、彼に電話をかけた。
でも応答はなくて、諦めて友人に電話をかけた。
折り返しをくれた友人と話していると、いよいよ段々と、異常事態な雰囲気が増してきた。
泣いていたから呼吸も不規則になって、手足が痺れだして。
私は朦朧とする意識のなかで、上手く出せない声を振り絞って「 救急車を呼んで 」って言った (のだと思う) 。
『 分かった 』
『 大丈夫やからな、息だけはしててや 』
『 生きてるだけで偉いからな 』
って、友だちがずっと声をかけてくれていた。
救急車のサイレンが近づく音がして、安堵を感じたのを覚えている。
早く助けが欲しくて、私はなけなしの力で玄関まで降りると、扉を開けてグレージュのハイヒールを一足、アパートの廊下部へ放り投げた。
此処だよ、って。ここに居るよ、ってSOSとして。
そこで力尽きて、私は固く冷たい玄関の床に倒れ込んだ。
その後のことは、もうよく分からない。
救急隊員の人が何か言っていた気がするけれど、覚えていない。
私は今これを、自室のベッドの上で書いている。
思うことは、3つ。
1つ、人間の心が正しく育つには、3つの愛が必要だ。
母の愛、父の愛、そして周囲の大人の愛。
三分の二を欠けて育った私が、健康的で安定的な心など持ち合わせているわけがない。
複雑 of 複雑な家庭環境に生まれた時点で、それは諦めるべきだ。
2つ、社会生活の離脱を、マーク1つで表せたら良いのに。
ほら、Facebookのmessengerって、ログインしてたら緑色のマーク付くじゃん。
あんな風に、社会生活にもログインを知らせる機能があれば便利なのに。
マーク1つでON/OFFを表せることができたら、今、自分がしんどい状況に居るとか、わざわざ周囲の人たちへ言葉にしなくても伝わるのになって。
そして3つ、私はいよいよ病んでいる。
母が亡くなって3週間と1日、不気味なほどに冷静で、淡々と事をこなしていた私だったけれど、昨夜からはもう涙が止まらない。
頭の中はどうやって死のうか、しか考えていないし、食欲も性欲も感じられない。
この3週間、過剰な食欲と人並みにあった性欲は、一種の防衛と生存本能で、 “High” を保つ為に半強制的に起こしていた欲求なのではないかと思う。
母が好きな歌だった。
お母さんの死という絶望を、越えるものはもう何もない。この先も生まれない。
どうせ、これからも私は懲りもせず誰かを愛して、恐れ知らずに気の向くまま、好奇心のままに、夢を追っていくのだろうと思う。
その先で何かを失おうとも、裏切られ、傷付けられようとも、母の死の絶望に比べれば、痛くも痒くもないんだろうな。
死ぬこと以外かすり傷 って、死んじゃったんだからもう、取り返しがつかないよ。
お母さんの側に行くことが、私が今望む幸せだ。
ハッピーバレンタイン
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