5分でわかるバリアフリーかあちゃん!!
令和以降にも「バリアフリーかあちゃん!!」の上映が行われることを祝し、この映画を超える不愉快さのものを探すのは中々難しいというレベルでの大傑作である本作品について簡単に紹介していく。
この映画は基本的には多様性尊重の啓蒙を狙っているもので、主人公であるかあちゃんが世間にはびこるバリアを発見してはそれを粉砕していくというあらすじである。しかし「かあちゃんも実はバリアを持っている」というのが重要なキーワードとなっていることを踏まえて見ると、中々に興味深いエンディングとなる。
題材的に一見PC適合に見えなくもないが、要所要所に怪しいところが散りばめられている。例えば途中のカフェにおけるなんらかの障碍があるとおぼしきバイトのシーンである。注文をすぐ忘れるかもしれないが彼は絵がうまいのだと云ったギフテッド的な擁護の仕方は最も危険な類のものであることは今や常識であろう。
さて、バリアをことごとく粉砕していくかあちゃんであるが、お礼の際に「女にしておくのはもったいない」という言葉をかけられ複雑な表情を浮かべるシーンがある。このシーンはある意味で重要な伏線であるのだが、「かあちゃんも実はバリアを持っている」というフレーズを踏まえるならば、何らかの理由で古臭いジェンダー観に基づくさりげない発言を見逃さざるを得ないことで、そのバリアに加担してしまっていることへの自己批判に繋がると予想するのが自然であろう。しかし物語は明後日の結末を迎えることになる。
かあちゃんには一人息子がいるのだが、その息子が突如井戸に転落してしまう。かあちゃんは助けに向かうがその井戸には女は近づいてはいけないという迷信が存在する。ここで「女の出る幕ではない!」という外野からのヤジに対して「私は実は男だ!」と突然のカミングアウトを行う。見た目は女だが戸籍が男なことがわかったためか、みなで一致団結して息子を井戸から引っ張り出してめでたしめでたしという筋書きなのだが、このカミングアウトは一体何のバリアを解決したのだろうか。
ここではどうも「かあちゃんはカミングアウトをすることでトランスジェンダーであるということを隠してきた自分のバリアを破ることができた」ということを言いたいらしい。しかしバリアというのは、多数派に合わせて構成されている社会がある種の少数派にとっては障壁になっていると云った状況における"障壁"そのものを指す言葉である。このルートでは「女だから○○してはいけない」と云ったよくあるバリアを一切解決できていない。従って「かあちゃんも実はバリアを持っている」というのは、単に「女だから○○してはいけない」的なバリアについてはすんなり受け入れてしまっており、そのバリアを構成する側から脱することが最後までできなかった、という意味にしかならない。要は変にトランスジェンダーの要素など入れずに、単に「男とか女とか言ってるんじゃない!」とヤジを斥けることができれば綺麗にまとまったのある。
妙にずれた上からの啓蒙が続いた挙げ句オチがこのような支離滅裂さでは、不愉快以外の感想を抱くことは最早難しい。映画の公開自体は無料らしいのでお財布を傷めずに不愉快になることができるという点だけが唯一の評価ポイントと言えるだろう。