デイヴィッド・ロスコフ『超・階級(スーパークラス) グローバル・エリートの実態』
われわれの世界では、ごく一部に権力が集中しており、ある意味で地球の命運を握っている数千人のコミュニティが存在する。それがスーパークラスである。分野も国境も越えたネットワークと会合で繋がる彼らは、たいてい同じ言語を話し、同じ新聞を読み、同じリゾートで過ごす。プライベート・ジェットに乗り、広々とした重役室で執務し、政治権力を握る。スーパークラスをつぶさに観察すると、やがて見えてくるのは、スーパークラスは彼らが支配する世界とまったく似ていない、ということだ。少数者の中に権力が集中しているだけでなく、その少数者も世界のごく一部に集中している。圧倒的に白人が多く、絶対的に男性が多い。わずか数千人の均質な人々が、世界のもっとも重要な権力と影響力のレバーを握っている。そして、市場規制や税制から、移動の自由、雇用の自由化、そして、だれが大量破壊兵器を保有すべきで、誰がすべきでないかといった諸問題についての共通の利益と関心を持つ者同士が互いに固く結ばれている。
いったい誰が陰謀など必要とするだろうか。
スーパークラスによる支配は、命令を下したり、直接コントロールしたりという類のものではないし、陰謀や秘密結社を通じたものでもない。自己の利益を図るために影響力を行使するが、それはスーパークラス全体としてではなく、より強い力を持つ活動的もしくは積極的な一部の下位集団によるものではある。たとえば世界がいつまでも石油製品に依存するように仕向けるためにエネルギー政策に影響をあたえた大手石油会社。燃費を飛躍的に向上させる技術の開発をわざと遅らせてきた大手自動車メーカー。社会的影響や政情不安を引き起こすかもしれないことを知っていながら、債務国に負債を返済させる方針を推進した大手銀行。永久戦争の概念を定着させ、世界最大の顧客であるアメリカがライバルの十倍近い軍事費を支出するように仕向けた大手国防関連企業。「キリスト教」世界と「イスラム教」世界のあいだの隔たりを強く感じさせ、国内および国際政治に大きな影響をあたえる巨大教会。市場で競争するための手段や権利を持たない人々への影響をじゅうぶん配慮することなく、四半世紀ものあいだ「市場革命」を受け入れてきたアメリカ。いずれの場合にも、明らかに権力の集中があり、直接的な関係がはっきり見てとれる。
政界と財界の最高首脳たちが緊密な関係で結ばれていて、グローバルな目標を達成しようとするときに、容易に協力できるというのは、いいことである。しかし、その目標が少人数の会議で決められたものだとしたら、見せられるのはゆがんだ結果であろう。政府の首脳が退任して大手国防企業の経営陣に迎えられ、入れ替わりに、その国防企業の友人が後任として政府入りした場合、誰の意見が通り、どこに異論を差し挟む余地があるのか。たしかに国際金融危機に対処するには、民間の大手金融機関のあいだで電話会議を開くのが、いちばん効果的かもしれない。しかし、そこには重大な疑問が残る。その交渉で提示される意見は誰のものか。誰が参加し、誰が参加していないのか。
本書執筆のために調査を進めるなかで、わたしがいちばん驚いたのは、グローバル・パワー・エリートの占める女性の割合が圧倒的に少ないという事実に対する人々の反応であった」
「しかし、このように代議政体が正しく運用されていないという明白な事実に対して、男女問わず、だれも怒りを表さなかった。
世界の大多数の人々がグローバル化の恩恵を受けられないということになれば、人々はグローバル化の敵となってそれを叩き潰すことになるだろう」
「スーパークラスのメンバーたちは、最終的には、このような危険な対立を解消するのにもっとも大きな力を発揮できる人々なのである。彼らが、そうした対立の解消に乗り出さない限りは、市場開放と機会均等を実現するための原動力としてのグローバル化のプロセスと将来性は不完全なままであり、グローバル化の恩恵も失われるだろう。だが、スーパークラスだけでは問題は解決できないし、解決する気持ちも起きないだろう。そのことは歴史が証明している。民衆の意思を代表し、最終的にその制度化を目指す、スーパークラスに対抗する一大勢力があらわれなければ、これからもすっと部分的な解決しか得られないだろう」
「歴史は、富裕な権力者と、富裕ではないが権力を脅かす者との駆け引きの物語である。安定のために支払うべき代償をめぐる交渉の物語である。貧しい弱者が直接交渉の席に着くことはない」
「変化に向けて今度はどちらが先に動くのか? それはどんな変化になるのか? またしてもエリートが別のエリートに取って代わられるだけなのか? その新たなエリートも民衆の名において行動しながら、じつは自己の利益しか眼中にないのではないか? それとも進歩の結果として、自由と正義、成長と公平、市場と国家、少数の指導者と、その指導者の正当性の源泉となるべき一般民衆とのあいだのバランスがとれた、真の恒久的な安定がついに実現したことを示す証拠が提示されるのだろうか?