宇宙の秩序か、人類の崩壊か
ニュートン物理学が人類のパラダイムになって以来の到達点あるいは極限が現代の世界のありようではないでしょうか。
支配従属関係による秩序、経済原理による秩序、原子のような独立した実体である利己的な人間が力の相互作用で関係している世界。
そのような世界観、人間観の上で生まれた経済、政治、思想、文化、社会の辿り着いた世界がいまの世界ではないでしょうか。
独立して自由意志を持つ個人がそれぞれの利益を最大化しよとするのが人間社会であるという人間観、社会観。
しかし20世紀に生まれた量子力学によって、そのような独立した実体がないというパラダイムシフトが物理学に起こり、いまやその世界観のシフトが人類の意識に徐々にインパクトを与え、新しい人間観、社会観にが生まれてきているように思います。
人間は、独立した確固とした実体ではなく常に他と繋がり、全体の影響で変化している境界も曖昧な存在であるという人間観、社会観は、かつての東洋哲学の新たな再発見でもあります。
宇宙全体は初めから不可思議な秩序(道)の中で動いており、人類だけが、分離し独立した個々バラバラの実体であるという夢見(我執)の中で混乱状態を作り出している。
その集団的な夢があまりに宇宙を統べる不可思議な理から離れ、悪夢と化してしまい、まさにいま人類はその悪夢から目を覚しつつあるように見えます。
アドヴァイタ哲学(不二一元論)、老荘思想、禅、神道など、どれもが、宇宙、自然全体は元々調和の働きそのものであり、その調和の働きが私たち一人一人を活かしていることを自覚することを促していると思います。
いまやその宇宙を統べる調和の働きを自分の中にも自覚するだけでなく、その自覚によって社会、世界を、その働きに添わせていく時代になったのだと思います。
その動きに沿った社会へとシフトすることに私たち人類が失敗したら、それは宇宙の理によって崩壊し、無となるのでしょう。
しかし実はとても簡単なことだとも思います。私たちの中に働いている調和の働きは、利他的な言動を心地よく感じるように私たちを活かしています。
私たちが自分の中に働いている自然の理を自覚し、集合的にそれを生きることができれば、宇宙船地球号は、最初はゆっくりとしかし徐々に大きく方向を転換し、宇宙の理にかなった方向へと動いていくでしょう。
そしてその方向が何よりも幸せであると感じるように私たち人類は作られているように感じています。