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素直な自分でいられる幸せ

34日目 5月7日

母を、散歩に誘うようになったのは、80歳を超える母の心身の健康のため。
80歳に超えた両親は、コロナ騒動が起きてから、全く外出をしなくなった。
隣に住み、よく食事を共にしていた私たちも、うつさないよう、実家に出入りしないようになっていた。

そうなると、元々週に2日は習い事に行き、おしゃべりが大好きな母は、鬱々としてしまう。
そこで、外で散歩しながら、おしゃべりをするのはどうだろう、と母に提案をしてみたのだ。
知らない場所を歩くことが好きな母は喜んで、毎日1時間ほど歩くことになった。

こうして、母をほぼ毎日散歩に誘うようになって、1ヶ月ほどになる。

今日歩いていると、ふと母が、感慨深げにこう言った。
「あなたとこんなに長い時間話したこと、これまでなかったわね」

ちょっと、何とも言えない気分になった。

とっさに、
「子供は忙しいからね」
「学生の時は、習い事とか勉強とか忙しいし、社会人になってからは、ずっと会社に行ってるしね」
何なんだ、この返事は。。。。

母のこの言葉に私も少し感慨深い気持ちになった。

子供の頃のことを思い出すと、母と二人でゆっくり過ごした記憶がない。

父方の両親と同居をし、私と兄を含む六人家族の家事を一手に引き受け、さらに個人事業主の父の会計、総務的なことを全てやっていたこともあり、常に動き回り、休んでいるところをみたことがなかった。
母にはとにかく話しかける余地がなかったのだ。

母は、とても子供の教育には熱心で、教育的な目線で私たちを常に見ていた。そんななかで、なかなか、私の方から、思うことを素直に話すことはなかった。
特に、思春期のころは、母と一緒にいる時間はあっても、私が口を閉ざしていることが多かった気がする。

その後、結婚し、子供が生まれ、母としてこのことを思うようになると、母には私たちを教育するという重圧(たぶんこれは結構大きかったのだと思う)があったのだと気づくようになった。

子育てから解放された母は、可愛らしかったり、少し抜けていたり、素の姿がどんどんでてきて、私もリラックスして話せるようになってきた。

そのころ私は、母と二人で時間を過ごしてみたいと思うようになり、旅行を誘ってみるのだが、母は頑なに断った。
全く家事のできない父を慮ってということなのだが、それは、私にとって納得のいくものではなく、なんとなく悲しい気持ちになったのを覚えている。

そういう私も、外の方に向いてばかりいたのだと思う。
子供が親を離れて、外に出て行くのは当たり前だと思うが、
人や社会とつながること、何か社会的に役割を果たすこと、そのことに重きを、自分の価値を置いていて、そのために学んだり、人と会ったり、何かを興したりすることの方が大事だった。

コロナのことが起きて、外へ出なくなり、自然と心も身体も内側へ。

歩きながら、母と過ごす時間。子供の頃から住んでいる街を、思い出や気になること、興味があること、お互いにつらつらと話しながら歩く。
歩いているといろんな話が自然と口から出てくる。これまで聞いたことなかったこと、知らなかっとこと、あの時はそんな風に思っていたんだ、こんなことが好きだったんだ、とか、小さな発見がある。
長い年月をかけて、硬くなっていた土を耕していくような、そんな会話が続く。

ふかふかの土はとても心地よい。
これまでになく素直でいられる幸せを味わっている。




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