日々
朝、早起きして海へ向かう。
まだ人やものが動き始める前の静けさと、澄んだ空気と空、これから1日が始まろうとするエネルギーを秘めているような水面が見たくて。
前にふらっと近くの海に立ち寄ったときに、何でもない近所の海だけど、すごく綺麗で心が潤ったのを覚えている。
ちゃんと早く起きられた自分、えらい。いい1日のスタートになりそうだ。
来てみると、覚えていた心潤わせる感じとは違ってただただ、近所の海だった。
思ったよりもあたりは日が出てからしばらく経ったような空気感で、空はもやっと灰色の雲がまだらに広がり、空気はじめっと生ぬるかった。何ならもう少しで雨が降りそうなにおいもする。
日々は、こんなことの繰り返しだ。
ふと何気ない瞬間にきらっとしたものが目の前に現れたり、自分を導く新しい扉が見つかった感じがしてワクワクする。
でもそのきらっとしたものや新しい扉は、意を決してもう一度直近に立ってみた瞬間に、スッと消えてしまう。もしくはもう一度見ようとしても、もう見えない。
それでも、せっかく来たのでとりあえず海沿いを歩いてみる。
やっぱりあのときのような心の奥をくすぐって湧き立たせるような海風や、見ていてるだけで体のもやが晴れるような澄んだ海も空も、出てこない。
砂浜の至る所に散らばったゴツくて暗い色の流木や、捨てられて砂にまみれたゴミばかりが目につく。
このまま帰るのも何なので、波の音をもっと近くで聞いて海を感じるために、もう少し海に近づいてみる。
前来たときは綺麗な空や海や景色を撮るのに必死で、海の近くへは行かなかった。波の音も、どんなだったかあまり覚えていない。
もう少しで水に手が届きそうなところまで近づくと、周りの景色は気にならなくなって、ただただ勢いよく、湿った砂の上にザアっと広がってはサアっと向こうに引いていく水と泡とその音の繰り返しが、胸の中にすっと入ってきた。
きらきらした澄んだ感動とはまた違った、少し重みはあるけど、うん、これも何だかいいと思えるじんわりとした感じ。
家に帰ると間も無くして、雨が降り始めた。「ナイスなタイミングだったなあ。」
いつもより1時間ぐらい早くニュース番組を見ながら朝ごはんを食べていると、好きなアーティストが何の告知もされていなかったのに急に出てきて、インタビューに答える所まで見られた。「えっ最高。」
日々は、こんなことの繰り返しだ。
ある人は確かに手に握りしめているように見えるワクワクやきらきらしたものが、自分には中々掴めない気がしてしまう。
それでもまず、歩いてみる。
視界を広く、耳を澄ましていることを忘れないでいたい。そうすればふと、もっと近くで見てみることを思いついたり、聞こえていなかった波の音の良さに気づけるかもしれない。実はその状況がラッキーだったと思えるものになるかどうかは、未来まで分からない。
そんな繰り返しの中で手にした小さな破片は、光を放ってはいなくても、いつか何かの大事なタイミングで、私の動力の一部になってくれるかもしれない。
そう信じながら、今日も小さな光と広い世界への扉を探す。