愛の歌を歌う
あなむさんが歌を歌わなくなったのは、
まさみちさんと付き合い出したから。
それにより様々な理由で歌う機会も
なくなったのだけど、
それは小さな視点での理由である。
あなむさんは「出会ったから歌わなくなった」ことを
もったいないなとか、残念がるのではなく、
まずはみんなに「良かったね!」と
喜んでもらいたかったのだ。
だって幼い頃から歌って、
毎週の様にストリートライブして、
上京してメジャーデビューして、
ライブ活動でたくさんの場所に足を運んで。
思うように声が出なくて、
それがきっかけでまさみちさんに出会って。
まさみちさんに喜んでもらいたくて歌を作って。
その流れで自分に向き合うために
亡き父のライブなど開催したりして。
そして二人で曲を作って、CDを作って
お披露目ライブして。
まさみちさんを探すために
歌っていたのと気づいたら、
「探してた人と出会え良かったね!」と、
歌の物語〜愛する人を探す旅〜が終わったのは、
ごく自然だったのだ。
「姿」のCDは二人で作った。
歌声の主はあなむさんだけど、
そこに込められているのは
まさまちさんとあなむさんの二人の愛の姿。
二人の「姿」だった。
だから、歌の物語の第二章では
世界中のカルマを背負い歌えなくなってる
瀕死状態のまさみちさんを
受容したあなむさんが
結婚して男女統合をはじめたら
「歌う」に至らなかったのが
想像つくと嬉しい
第二章はほぼほぼ歌わない物語だった。
そのあなむさんが
「歌いたい」と言って歌い出していることを
世界中の愛の人に知らせたい!
そう!まさみちさんの蘇生が
見事完了したことを知らせたい
第三章が始まったのだ!
二人は一人、同一人物と認識してもらって良い。スマホもパコソンもそれぞれ持っているが、中は全部丸見えで、指紋認証も二人共に設定しているから自分のスマホと間違えて相手のスマホから投稿することも多々ある。
隠すことが本当にない。
隠す理由も見当たらない。
あなむさんが歌うとなったのは
死体のままだったまさみちさんの蘇生が
あなむさんの蘇生だったとも伝えたい
死体のままだったあなむさんの蘇生が
まさみちさんの蘇生だったとも伝えたい
二人で一つとして
男女で生きるとは
そういうもの
壁がないのだから
同じになるものなのです
倒れる時は二人でぶっ倒れます
立ち上がる時は二人で立ち上がります
片方が元気なら良い
という訳ではない
あなたも笑っていて
私も笑っている
それが本来の愛の姿
ただ、そこに入ると決めたら
相当の軌道修正となる
一般常識的な振る舞いがほぼほぼ不可能になります。
(↑だからと言ってやらないとは言ってません。
できる限りの常識は示します。)
片目で想像した世界の
あらゆる人間関係
あらゆる趣味
あらゆる仕事
あらゆる好き(嘘・悲しみに基づくもの)が終わる
(断ち切られる感覚)。
周りからは私たち二人が断ち切っているように見える
それらは天に委ね、導きに従うと
全部自動で起こることなのだが、
片目で見る人には全く理解が及ばない
片目の世界とは 両目の世界の半分だと思うのは 間違いである
片目を足したら増えるというのも間違いであり
片目を足したら消える
そして両目の世界とは
死人が生還するほどの眼差しとなる
逆に生きてるはずの人がゾンビだったともわかるようになる
あったものが消えて
なかったものが見える
ゾンビのままでいる人たちとの関係が
自動的に終わっていくのが
愛の人の愛の道
ゾンビの自身を救ってくれないと嘆くことは
怠慢でしかなく
天の力も神の力も誰の力も借りることは出来ない
だってゾンビだから
そこに生きてないから
ゾンビがゾンビを辞めたいのならば
人に声が届くようになりたいなら
人と愛で生きたいなら
ゾンビは自分をゾンビだったと認め
ゾンビだったメリットを書き連ね
今世だけでなく転生後もその先も
ゾンビのままでいるデメリットをゾンビの自分が見出し
ゾンビのまま放置していたことも多いに悔いて
愛の人に戻ることをみなに宣言し
誰の指示がなくとも自らの天と共に
愛の道を歩くことを始めなくてはならない
様々な波に呑まれたままこの世に生まれ、
へっぽこ最弱だった私たち二人が
復活出来たのだから、
2000年くらい時間かけたら
みんなも出来るよ❣️
さぁ✨✨
愛を歌おう🥰
↓あなむさんとまさみちさんの愛の道の指南書
復活の道を歩くなら、ぜひ参考にしてください🥰