【ゲスト:角田光代さん × はらだ有彩さん】『信長の野暮』緊急アフタートーク!前編
ゲストは、小説『八日目の蝉』や『紙の月』などで知られる作家・角田光代さんと、『日本のヤバい女の子』の著者でありテキストレーターのはらだ有彩さん。実際に『信長の野暮』を観劇いただいたおふたりをお迎えし、アナログスイッチ主宰の佐藤慎哉とともに、物語やキャラクターの魅力について語っていただきました!
当初30分程度の予定でしたが、おふたりの鋭い分析やジェンダーにまつわる話題で盛り上がり、最終的には1時間近く熱いトークを繰り広げる結果に。この記事ではリアルタイムで聴けなかったという方に向け、配信の様子を前編・後編に分けて、ほぼそのままにお届けします! (実際の会話をもとに一部編集をしています。収録されている音声と一言一句同じではないことをご了承ください)
『信長の野暮』には、“晴れ晴れとしたさみしさ”がある?
ーー本作のプロデューサー中村が進行を務めさせていただきます。このたびは、お集まりいただきありがとうございます。それでは最初に、皆さんの自己紹介をお願いできますか?
角田さん:こんにちは、はじめまして。角田と申します。佐藤慎哉くんの近所に住んでいる者です。よろしくお願いします。
佐藤:ちょっと! ちゃんと小説家って言ってください(笑)。
角田さん:あはは(笑)。仕事では小説を書いています。よろしくお願いします。
はらださん:はらだ有彩です。2018年に『日本のヤバい女の子』という本を出してから、主にフェミニズムの観点からこの世のルールを疑うことをテーマにいろいろ書いております。アナログスイッチの舞台は、今回で2回目の鑑賞の初心者ですが、よろしくお願いします。
佐藤:よろしくお願いします。めちゃくちゃしっかりした自己紹介だった(笑)。
はらださん:めちゃくちゃ緊張してます(笑)。
佐藤:私はアナログスイッチの主宰で、脚本・演出を担当しております、佐藤慎哉と申します。どうぞよろしくお願いします。
ーーでは、今回のアフタートークをおふたりにお願いした経緯を、佐藤さんからお願いできますか?
佐藤:もともとお二人とは繋がりがありまして。角田さんとは、今言っていただいたようにご近所さんではあるのですが、もともとは僕が劇作家の鴻上(尚史)さんの元で演出助手をやっていた時に、河野(丈洋)さんという方が劇伴音楽を作っていて、その奥さんが角田さんだったんです。河野さんとご飯を食べるときに角田さんもご一緒して、それ以来ご近所で飲むようになったという繋がりですね。
角田さんの小説はすごく読んでいて、逆に読んでいない作品の方が少ないんじゃないかというくらい好きではあったのですが、そんな繋がりでまさかこうやってご一緒できるとは思っていませんでしたね。それで今回『信長の野暮』を観に来ていただいて、ぜひお話を、ということでお願いしました。
はらださんは、2016年にアナログスイッチで『愛でもないし、 youでもなくて、 ジェイ。』という作品を上演した時に、舞台に出ていただいたQ本かよさんという女優さんがご友人という縁で観に来てくださっていて。Twitter上で登場人物のイラストを描いてくれていたのを見て以来、はらださんのエッセイやイラストをチェックし始めたんです。今関西にお住まいとのことなので、今回の大阪公演に来ていただいてぜひお話を聞きたい、ということで今回の場を設けました!
ーーありがとうございます。きっと『信長の野暮』を観てくださった方も多いと思いますが、初めての方もいらっしゃるかもしれないので、改めて佐藤さんから物語の説明をしてもらえますか?
佐藤:説明しづらい部分も多いのですが、本能寺の変で追い込まれた織田信長が、現代の京都の本能寺跡に建っているアパートにタイムスリップしてくるところから、この物語は始まります。その部屋に住んでいる住人との共同生活が始まるんですが、最初勇ましかった信長がどんどん堕落していくというのがベースの話ですね。
ーー結構笑いあり、涙あり……というほどじゃないけれど、最後は少ししんみりするような、アナログスイッチらしいコメディですよね。
佐藤:そうですね(笑)。コメディかつあたたかい話、みたいな。
はらださん:私、アナログスイッチさんの観劇自体がまだ2回目なのに勝手に語りますけども、いつも楽しさのなかに、晴れ晴れとした寂しさがあるなと。これは佐々木倫子先生の『動物のお医者さん』で、菱沼さんが卒業式の日に言っていた言葉なんですが……(笑)。
角田さん:“晴れ晴れとした寂しさ”か。いい言葉ですね。
はらださん:冬の朝のような、晴れ晴れとした寂しさと、でもやっぱりよかったなと思う何かがあるなって勝手に思っています。
佐藤:よくTwitterでは、観終わったあとにあったかい気持ちになるとか、ほっこりした気持ちになると書いていただくのですが、いいですね、さすがですね! 晴れ晴れとしたさみしさ。このプラスにマイナスを掛ける感じ(笑)。ありがとうございます。角田さんはどうでしたか?
角田さん:私は初めて観たんですよ、佐藤さんのお芝居を。近所の人だと思っていたので。
佐藤:脚本書いてるって言ってたでしょ(笑)。
角田さん:油断して観に行ったら、すごく面白くてびっくりしたんですけど。すみません、ちょっと2分だけ話してもいいですか?
佐藤:ぜひぜひ。
このお芝居の鍵は“穴”。意識しないで書いたなら天才だと思う」
角田さん:このお芝居って、視点が変わるじゃないですか。3方向ありますよね。
佐藤:そうですね、3つの部屋で物語が進行するので。
角田さん:そう、3部屋で。田中家から始まって、隣の太田家、上の武田家と視点が3つから始まるわけじゃないですか。これ、今やっている(是枝裕和監督の)『怪物』という映画でもたまたまそういう作りだったんですが、一つの事柄を他視点から描いていく手法ですよね。調べたら「羅生門アプローチ」っていうんですってね。
佐藤:え―! 初めて聞いた……。
角田さん:正確には、一つのできごとを他視点から描くことで、真実が迷宮化するというような手法らしいので、『信長の野暮』は厳密には違うのかもしれませんが、ともあれ三方向からひとつの事象をくり返し描いていく。その別々だった視点が一緒になるときに、何か一つ束ねるものがないと同じ時間軸だってわからないじゃないですか。それがこのお芝居では、“穴”なんですね。
(物語の中で)横と上に穴が開くことで、その三者の芝居の貫通点になるというのかな。3つの時を束ねる役目を、穴で作っているんですよね。(通常であれば)隣の部屋は見えないから一戸の部屋で完結してしまうところを、穴を開けたことによってまさに風穴というか、他の生活を見られるようになるわけじゃないですか。
その手法がすごいと思って。私これはね、佐藤さんが10年前に書いた脚本だって聞いて、その「羅生門アプローチ」からアイディアを得て、さらに考えて書いたのだったら、ものすごい優秀な人だし、知らずに書いたなら天才だと思ったんですよね。ごめん、それだけは今日言いたかったんです。10年前に書いたっていうのは本当なんですか?
佐藤:これはそうですね。10年前に劇団(アナログスイッチ)で初めて『信長の野暮』を上演したときは、まだ2階がなかったんですよ。田中家と太田家という2つの部屋の話でしたが、すでに穴はありましたね。そのあと2018年に、外部の商業舞台でこの作品をやることになった時に、(キャストの)人数をもうちょっと増やしてほしいというオーダーがあって、そこでまるっと2階の武田家を増やしたんですよ。
角田さん:へ~! そのときはもう2階建てで?
佐藤:2階建てでやりました。ちょうどそのときに、今回の主演のspiさんが出てらっしゃってすごく評判がよかったので、またいつかやりたいねって。そこで今回、劇団でやろうということになったんですよね。
角田さん:じゃあ、2階が増えたのは人数を増やすため?
佐藤さん:そう(笑)。そうなんですよ。あまりかっこよくないから言いたくないんですけど、2階を増やしたのはもっと人数が出ないとダメだというオーダーで、無理やりあとでくっつけたんですよね。
角田さん:でもすごいですよね、それにしたって。
はらださん:私、2階があるのがすごくいいなと思ったんですよ。それによって、緯度と経度が生まれるというか。より時と場所の座標がたまたま合わさって、巡り合ったみたいな感じが出ていいなって。
角田さん:うんうん。じゃあ、あの2階のどうしようもない男の子いるじゃないですか、婚約者の。
佐藤:(笑)。徹(とおる)ですね。
角田さん:あの人は(最初の公演のときは)いなかったんですか?
佐藤:いなかったんです。
はらださん:じゃあ、赤影馬の芯もいなかったんですか?
佐藤:いなかったんです。
角田さん:いなかったの!?
はらださん:私、赤影馬の芯が一番好きだったんですが……。
佐藤:雨宮(赤影馬の芯役・雨宮沙月)、聴いているか! 褒められてるぞ(笑)。
角田さん:はらださんはジェンダーについて書いてらっしゃるってお話されてたけれど、このお芝居のすごく肝だなと思うのが、赤影馬の芯や織田信長の家臣の力丸が、もともと男の子だったけれど女の子の体に入り込んじゃったじゃないですか。それで不都合がうまれたり、うまれなかったりというのがすごく面白いなと思ったんですよね。たとえば、力丸はお兄ちゃん(蘭丸)と仲良くなっちゃったりとか。そういうのが今っぽい……と言ったらおかしいですが、若い方の感性だなと私は思いました。
佐藤:若い感性、というと?
角田さん:その辺りって、もうちょっと古い頭で考えると、ジェンダーにすごくこだわってしまって、男の子の魂が女の子の体に入ったことに対してもっと書こうとしたりとか、言い訳しようとしたりとかしてしまいそうだなと。でも(この作品では)、すごくシンプルに受け入れているというか。「女の体に入っちゃったんだからしょうがないじゃん!」という力丸の台詞もあるじゃないですか。そういう部分もやっぱり、私の世代だともっとジェンダーの変換についてくどくど書いてしまいそうな気がするんですよね。だから、すんなりとストレスなく観られて面白かったです。
「赤影馬の芯の社会との接し方や在り方に救われた」
はらださん:私は、赤影馬の芯について語っていいですか?
佐藤:お願いします(笑)。
はらださん:私は、赤影馬の芯の存在にすごく救われたなと思っていて。まず、この物語の登場人物全員が「こんなはずじゃなかった」と思いながら生きているシーンが必ずあるんですよね。実はキャラクター名と直面する「こんなはずじゃなかった」リストを作ってみたんですけど。
佐藤:めっちゃ考えてくれてる!
はらださん:やっぱり全員それぞれ「こんなはずじゃなかった」って思うところがあっての“今”を生きていたり、話の途中でそう思うシーンが必ず描かれているなと思っていて。それって、自分のことを許せていない状態だと思うんですよね。作中で天衣(あい)ちゃんが「自分のこと許したらええやん」と言っていたと思うんですが、それができていない状態から、できている状態にそれぞれが移行していく話だなと。
その自分を許していく過程でのキャラクターの行動には、違いがありますよね。社会によって野望を潰えさせられるというか、「こんなことしても無駄だな」と思わされるときの、ままならない世界に対する抵抗の違いがあるなと思いながら観ていたのですが、登場人物も私たちも、今いる場所の価値観に影響を受けて生きているじゃないですか。その常識と闘う話でもありつつ、同じく女性として生きている人の体に入ってしまった力丸との対比の上で、赤影馬の芯の社会との接し方や在り方にすごく救われるなと。
私、力丸の「女性の体に引っ張られて女性として生きちゃう」という台詞にすごく引っかかっていたんですよね。場合によっては体に引っ張られることもあるかもしれないとは思うんですが、私が勝手に想像するに、実際には力丸が入っている現代人の女の子が社会の中で置かれている状態と、力丸自身が「女」というものに抱いているイメージとに引っ張られているのを、彼の肌感覚では「体に引っ張られている」ように感じているということじゃないかと思うんです。
力丸は、過去でも現代でも、自分が何に縛られているのかわかっていない。でも馬の芯は、自分が何に縛られているのかをわかっている状態なんですよね。「しょぼい家柄」に生まれた武士で、槍を持って前進しないといけないってぼやいたりしていましたけど、戦国時代で自分の置かれている立場を理解してる。現代に飛んできた後も、あえて意図的に古めかしい言葉遣いや振る舞いを使い分けて、順応したふりをしている。それって、何によって順応したふりをさせられているのかも、わかったうえでやっていると感じますし、望んでもいない世界でなんとか世界と接して確かさを見つけると考えたときに、馬の芯のスタンスがすごくいいなと思って。だから2階ができてよかったです(笑)。
佐藤:すごい分析してくれている。
ーーたしかに私も最初に観たときに、馬の芯の存在がすごく違和感だったんですよね。今はらださんがお話してくださったように、それは意図的に使い分けているから、あの世界でいい意味で浮いているというか、際立って見えたのかなと思いました。
はらださん:普通に生きていたら、何に自分が縛られているのかとかをこんなに理解することはなかなかできないですよね。だから(赤影馬の芯の存在は)、どこか稀有な感じに見えるのかなと思いました。
佐藤:たしかに馬の芯は、冷静にいろいろなものを見てると言われたらそうですね。書いている僕がほうほう……となってしまいました(笑)。実際、会社でも冷静だし。
角田さん:(現代で)ちゃんと仕事もできるようになっちゃっていますもんね。
変わりゆく社会。女性像を描く上で意識すること
佐藤:この流れで聞いてみたいことがあって。今の世の中で女性の権利やあり方がいろいろと問われているなかで、女性を書くときに「この状況は引っかからないか」とか「このセリフは登場する人物に言わせるのか酷だな」とか、すごく考えているんです。特に最近は、僕自身も引っかかりながらセリフを書くんですよ。今回でいうと、2階にいる大家さんの妻の直子さんは、コメディだからというわけではないのですが、最初は一歩後ろに下がって旦那さんの言うことを聞いているというテンプレート的な設定で書いていて、それが後半で逆転する面白さみたいなのはあると思うんです。
でもこの直子さんを書くときに、「今こんなテンプレートみたいな女性像ってどうなんだ」とか、「こんな台詞言わせるなんて脚本家としても問われるぞ」と思いながら書くことがあるんですよね。コメディだから、テンプレの方がわかりやすかったりもするし、いろいろバランスをとりながら書くんですが、おふたりは女性像を書くときに気を付けていることとか、今僕が話したことを聞いてどう思われるかを聞いてみたいです。
角田さん:でもね私、ほら年齢がかなり上なので、30年くらい小説を書いていると、世の中がすごくすごく変わってきていることに直面しているわけです。30年前は問題視されなかったことが、今だとものすごく問題視されることも多い。私が普通に書いていても「これ古くなっちゃったかな」と思うことがすごく多いんですよ。ただ、古いのは承知だけどそう書かないとここでこうならない、みたいなことはどうしても出てくるじゃないですか。
それに私個人の感覚と、小説のなかの登場人物は別なわけだから、登場人物全員が、ジェンダーやセクシズムについて今風にきちんとアップデートされていて、ただしく問題視しているとは限らないし、昔のままの考えの人もいるはずですよね。
たとえばおっしゃっていた直子さんという女性に関しても、非常にステレオタイプの女性かもしれない。昔の昭和の奥さんに見えるかもしれないけれど、でもだからこそ、濃姫になったときに「お~!!!」って解放感があるわけじゃないですか。あの解放を見ている者に与えるには、やっぱりある程度、あの年配のご夫婦には「すみません、ちょっとテンプレートを背負ってください」にならざるを得ないんじゃないかなと思うんですが、どうですか? はらださん。
はらださん:私、最近その話を角田さんのインタビューで読んだなっていうのを今思い出したんですけど。
角田さん:ほんとに!?
はらださん:『好書好日』という本のメディアで、角田さんが『ゆうべの食卓』を出されたときのインタビューですね。
角田さん:はいはい、あの記事。ありがとうございます!
はらださん:それを今思い出して、「進研ゼミでやったところだ!」みたいな気持ちになりました(笑)。めちゃくちゃ意訳すると、角田さんがインタビューでおっしゃっていたのは、「変わっていっているのはどうしたって事実だから、それを受け止めて書く」ということかなと。その感覚が自然な感じで『ゆうべの食卓』のお話の中に息づいていて、(記事を読んだ時も)すごくしっくりくるなと思っていたんですよね。
佐藤:え、なになに? ちょっともう一回教えてください!(置いていかれている......)
はらださん:(笑)。角田さんが最新作の『ゆうべの食卓』で、コロナ禍で生活を送る人々の食事を巡る日々を書いていらっしゃって、すごくあたたかい気持ちになりながらもほんの少しだけ寂しい、でもやっぱり「ああ、こんな風に生きられてよかったな」と思う、アナログスイッチさんの舞台と近いものを勝手に感じていて。それで角田さんが作品にまつわるインタビューのなかで、時代はただ変わっていくから、それを自然と反映させる、というお話をされていたんですね。
角田光代さん「ゆうべの食卓」インタビュー コロナで一変した生活、でも人生は無味乾燥じゃない
角田さん:そうなんですよ。
はらださん:すみません、私が全部喋っちゃって(笑)。
角田さん:いえいえ。たとえば20年前だったら、誰がご飯をつくると書かなくても当然女性だという前提になっていたけれど、やっぱりこの20年でだいぶ変わって、「女ばっかりやっているのはおかしいよね」とみんながハッキリ口に出すようになってきましたよね。だから自分で書くときも、男性が家事をやる家も今はふつうにあるんだ、だからこれはだれが作ったご飯かを書いておこう、みたいに意識をしないと、昔の感覚に戻っちゃうということがあるんです。はらださんはたぶん、それを自覚して書いているなとわかってくださったということだと思うんですけど。
はらださん:そうですね。しかも変わっていきつつある現在や、今より少し多く変わった未来でもある近未来が、するっと自然な感じで目の前に出てくることに、希望が持てるなあと感じたんです。
佐藤:その記事読みます。
角田さん:いいんです、読まなくていいんです! でも佐藤さんがおっしゃったように、「こういう人の書き方はちょっと古いかもしれないよな」と自覚があって書くのと、「女ってこういうふうだよな」って無自覚に書くのとでは全然違って、観る側もわかるじゃないですか。たぶん女性は、ある種の嫌悪感でわかっちゃうと思う。そういうのがこのお芝居にはまったくなくて、ストレスフリーだったという感覚が私にはありましたね。
佐藤:僕もいろんな本を読んで情報を得て、なるべくアップデートしながら書くようにしています。
はらださん:『信長の野暮』には笑うタイミングがいっぱいあると思うんですが、笑いって特に難しいなと思っていて。笑いの中に「ウウッ」って引っかかる部分があるのはすごく気になるけれど、でも古い状態を書いてはいけないわけではないし、さっき角田さんがおっしゃっていたように書く上で自覚するっていうのは、最低限マストだなと思います。
***
後編では、はらださんが感動したという劇中のオリジナル曲の裏側や、エンターテインメントのこれからについて語った様子をお届けします。どうぞお楽しみに!
文:むらやまあき
劇場でご覧いただいた方も、配信ならではの新しい発見があるかもしれません。ぜひお楽しみください!