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TKの『ゆれる』の感想の続き。

こっちの方が感想としての本編になりそうだ。
前略。
2024/08/25更新


決定的な違い。

一晩、いや数時間寝てから目覚めたら、大分頭の整理が付いて、
それからある気持ちが擡(もた)げてきた。
昨日書いた、
『彼の過去が私の未来で、私の過去が彼の未来』
『互いが生きている間に出会えるか出会えないかぐらいの最重要人物』
その結論に至ったのなら、私もその自伝に答えるべき事があると。

私と彼の間には決定的な違いが存在する。
それは『破滅』だ。『破壊』とも言えるだろう。
そして『本当の意味での世界の広さ』だ。それは『知見』とも『経歴』とも云う。

音楽と芸術とカメラとの関わり。

私は本当の意味で見境なく芸術を好んだ。
ピアニストの未来を蹴って保育士になった母と、
松任谷由実とゴスペラーズが何より好きでJ-POP好きな父と、
音楽番組を食い入るように見つめていた私は、
音楽が大好きで好奇心旺盛な子供だった。

母は今もセミプロの合唱団に入っていて、教会でアカペラの宗教音楽をやったりしている。(あとは、どこから取り寄せて来たのか分からないくらいの、聞いたことのない言語と楽譜の合唱曲をいつも歌っている。)
幼稚園から小学低学年の時と強豪校での中学の合唱経験と、プロの合唱団の曲をコンサートホールで何度も聞いた事は声楽何たるかを学ばせてくれた。
今でも合唱曲、特に男声アカペラのグレゴリオ聖歌が気に入っている。
幼稚園から高校生までやったピアノは何度もぶたれたから嫌な思い出が強いけど、実家に帰ってからそこに置いてあるアップライトピアノを無心で弾いたりする。音が好きだ。
好きなピアノ演奏曲を聴くだけのプレイリストが幾つかある。奏者によって解釈がこんなにも違うのかと思う。
管弦楽のコンサートも物心つく前から何度も行った。
年少くらいだろうか、突然楽しくなり過ぎて客席を走り回った事があるのを覚えている。
オーケストラの奏でる音はいつでも新しい発見がある。楽しい。
室内楽も大好きだ。チェロとクラリネットの音色が特に好きだ。
好きなJAZZ奏者を聴くだけのプレイリストも幾つかある。そして延々繰り返している。
別に何か勉強しているとか、そういう事をしろとか言われてやってない。
気付いたら、頭の中のリフレインするフレーズが何だったかなと思って再生したり、何だかそういう気分だったからってやつだろう。
チベットのシンギングボウルやティンシャ、シンバル、環境音だけのプレイリストもある。しかも全曲聞いてから選出された曲達なので、無秩序ではない。
ちなみに般若心経のプレイリストもある。落ち着くから。

音楽だけに飽き足らず、本を沢山読んだ。
美術館も大好きだった。現代美術館にも県立美術館にもひろしま美術館にもよく通った。

中学の合唱部が終わると同時に現代美術館にドハマりした。
現代美術は新しい視点を沢山くれる。
勿論、全てが全て自分のお気に入りになるとは限らないし、
その違和感を考える事が大変有意義だ。
違和感とお気に入り、常に思考する。そして直感と感覚にも向き合う。
だから何度も面白い。

その現代美術館に向かう道筋にヴィレッジヴァンガードがあった。
当時は出来立ての一見よくわからない店だった。
しかしデカデカと書かれた『本屋雑貨』の看板のお陰で入る事が出来た。
本屋は当時から大好きだからだ。
店内は本と雑貨の絶妙な距離感が大変魅力的だった。
そしてそこにしか売っていない写真集と、見た事のない世界を特集する雑誌を一日中読んでいた。
またトイカメラとの出会いはその頃から始まる。

最初に手にしたのはKodakのモノクロフィルムしか入らない、しかも正方形の被写体しか撮れない、Holga 120Nという、今思えばピーキーなカメラだった。

ニュージーランドのホームステイ。

それを片手に高校生の夏休み期間、私はニュージーランドのDunedinという南極に近い街に一か月と少しくらいホームステイをした。
夏休み期間中だったから南半球は真冬で、コートを深く被った。
人間より羊の多い街。
初めての海外だった。

毎日氷点下の日々、雪が降った後の曇った朝。
学校に向かうバス停までの濡れた石畳。
割れないくらい硬く凍った水溜まり。
雨の日、ホストファミリーの車に乗っている時に打ち付ける雨と、その向こうに見える広い草原。南極行きフェリーの看板。
宛がわれた赤い壁紙の部屋は娘さんの部屋。
夜は山盛りのグリーンピースとマッシュポテトと凄く美味しい牛肉のステーキ。
学校に持っていくサンドイッチのランチをCindyという別の同じホームステイの中国人と一緒に作った。小さなポテトチップスの袋と共に。
それから風邪を引いた。
学校の園庭でフエラムネを吹いたら、小鳥が鳴き返してくれたのを笑いあった。
牧場に凄く大きいウサギがいて、抱っこさせてもらった。
その時持っていたカメラで写真を撮ってもらった。晴天だった。
ラジオで偶然流れた曲に一目惚れし、新譜ホヤホヤのColdplayのViva La Vidaを現地で格安で買った。
街の露店と、まだしっかりと聳え立っていた教会。
謎の曲がる鉛筆。

街は何もかもが大きくて、自分の高身長(当時176cm)が目立たない、サイズ感が同じで、良い所だと思った。
日本と違って、皆違っていて良かったから、良い所だと思った。

東京風景。

生活の詳細は上京と帰ってからの話にある為、省略する。

東京という場所は生粋の広島人からしたら随分と現実離れしたような、
それはテレビでしか見た事のない、幻の世界のような。そんな場所だった。
だから実際にテレビで見た事のある風景を見て、本当にあったんだ!と思った。大変な田舎者である。
それから前述した、ヴィレッジバンガードで永遠見ていた写真集とは、中野正貴さんの『Tokyo Nobody』だった。
この写真集は東京の風景の写真なのだが、人が全く写っていないのだ。
ただそこにあるありのままの東京の街が切り取られていた。
どの写真も気に入り過ぎて、自分の欲しい景色を初めて感じた瞬間だった。
高層ビルと高速道路のジャンクションと廃墟の写真が大好きだった私は、
初めてロックを聞いた時と同じ衝撃を受けた。

芸術と生身の人間。

何年も沢山の芸術や文芸に触れあったお陰で、また占いというツールのお陰で、作品がどうやっても生身である事を痛感する。
その人物の根底は変わらないかもしれないが、人間という生き物である以上、変化し続けるのだ。
大好きな音楽が聴けた瞬間、既にそれは過去なのだ。
追いかける事でしか存在出来ない、不可逆で不確かな存在。
もし今ライブに行けても、自分の好きな音は存在しないかもしれない。
いつもそれを頭の片隅で考えている。

変化は外的要因だけではない。
内側から或る日突然変化することもある。
「(予言めいて)何となく確信があるし、それが実現するようだ。」と親友はよく言うが、それが本当に起こるなんて人は稀だ。
受け取る側は常にアーティストに振り回されている。
意図的に振り回す人も沢山いる。
挑戦したい気持ちを汲んで、それを再度解釈し、何度も咀嚼を繰り返して、やっと作品を受け入れられるようになる事なんて数え切れない程経験した。
その後、過去の路線にピッタリと戻って来た時には、懐かしさも感じるが、逆に、前に聞いたあの音はどこへ行ってしまったのだろうと切なくなる気持ちもある。

実は振り回されたいのかもしれない。
私にとって可能性を模索し実験を繰り返している様は、現代美術めいていて、いつもより輝いていると思う事が多いからだ。
『変わらないで欲しいけど、変わって欲しい』の相反する二つの思いが交錯する。
今の音も勿論大好きだけど、今よりもっと好きな音が増えるかもしれない期待。でも本当に好きだった音が無くなって変わり果ててしまった事も沢山経験した。
しかしそうなってしまったとしても、大好きな音は変わらずに自分の中で鳴り響き続ける。
だからその時を何度も切り取って大切にしている。
耳に入った全ての感覚が既に過去という当たり前が、その人物をたらしめると思っている。

だから本著を読んで思ったのだ。
防衛本能が強すぎていると。
私は人生で沢山の絶望と崩壊が外的要因でやって来たのが原因なのか、
『ままならない』というのが当たり前過ぎたからなのか。
新しい刺激に期待する割には、殻を破れない、と。
私も接客業自体の嫌いさはないので、もしその感覚が似ているなら、
クライアントが要求するものを提供する洞察力は、恐らく舌を巻くレベルなのだろう。
的確に要望を捉える力は本物だと思う。
だからと言って自分のこだわり、違うと思う音を嫌がる気持ちも分かる。

只、間違いなくこのままでは潰れる。
絶対に乖離していく。
既に解離の兆候が見えている。

最初から余計なお世話である事を重々承知で話を続ける。
多分、足りないものは『自分という呪縛からの開放』だ。
薄々気付いていると思う。
この本の内容をシンプルに捉えれば、
恐らく、割り方を知らない。
そして周りに誰も割ってくれる人がいない。
むしろ、割らない事を良しとしてしまっている。
誰もそれを問題だと気づいていない。気づかれていない。

何より問題なのは『呪縛』は只の音楽の方向性という意味だけでなく、
己の身体を確実に蝕んでいる。既に痛みを伴っている。

無視されている。
沢山の人がそこに居るはずなのに、何故そのままにしているのか?
何でこんな状態になるまで放っているのか。
怒りがこみ上げた、何度も。何度も。

孵化するコウテイペンギンは自力で殻を破れない。
自然の状態では両親が少しずつ嘴(くちばし)でヒビを入れる。
人工孵化では孵化の兆候が出た段階で少しずつ優しくヒビを入れる。
ゆっくりとピンセットで殻を避ける繊細な作業の末に、やっと雛が孵るのだ。
私から見た姿は正に抱卵嚢で揺り動かされている卵だ。
生まれるのをまだ夢見ている。
何も始まっていない。

本著で書いていた『長い時間という幻』は正にその通りで、
今まで何をして来たのか。他人に何をされてきたのか。
……でも仕方が無いような気もするのだ。
殻の存在を認知したとしても、どうすればいいのか分からない。
経験が無ければ何が必要か不要かなんて分かりようもない。
どうしようもなく居合わせた偶然が突然降りかかってきて、
殻の存在を認識させてくれ、それをどうすべきか知る人に導かれて、やっと殻は破れるのだから。
只、それを待ち望んでいるだけではずっとそのままだ。
だからと云って、無暗に無秩序に走り回ろうとする。
体力があって大変結構だが、それでは本質を掴めない事も分かっているのだろう。
大人しくしろとは云わない。好きな事や気に入った物は閃いた瞬間に掴むべきだし、実際私もそうしている。
だが徒労が多過ぎる。
私は数日前に書いた、内面プロフィールという記事で前述した通り、
他人には、必要以上の苦労を出来るだけ少なくしたい性分なので、
つい色々考え込んでしまう。

もし違う運命を望むなら、
卵から孵りたいなら、私はその手伝いが出来る。
初めてヒビを入れる事が出来る。
そして絶対に救う。

反復。

私は中学生の時から音楽が大好き過ぎて、ギターの音が好き過ぎて、
何度も何度も自分の人生を救ったこの音楽の為に、
全てを捧げて音楽の道に行こうと考えていた。
音楽の専門学校も沢山調べ上げていた。
でも本当にそれで生きていけるのか?という不安は、
鬱病が深刻だった私にとって、容易い程簡単に諦めてしまった。
芸大に行く道でさえ、
「あんなに上手く描ける人がいるのに、自分が必要とされる訳がない。」と。
私がもしあの時、彼の様に謎の自信と楽観性を持っていたら、違う道であったと思う。

それからやっぱり自分は音楽と写真と芸術と文章の世界に戻って来た。
しかし今はSEという経験と肩書きを。
いざとなっても生き残れる道をこの十数年かけて作って来た。
これは沢山の場所を駆けずり回って、不器用に、でも実直に作り上げた結果だ。
もっと近道は沢山あっただろうけど、納得出来なかったと思う。そういう意味では後悔はない。
そして今は変な話だが、他の道を沢山模索したお陰で、音楽と芸術以外の道は自分にはやはりなかったと分かった。
過集中に感覚過敏。感性が強すぎる。発達障害。
全てが『どうしても』を構築した。
向き合わなければならない時が来たと。

やはり予想通り自分を見つめる事にもなった。
この本を他の人はどんな気持ちで読むのだろう。
『ものすごく共感しました!』か?
『孤高でカッコイイですね!』か?
『おしゃれ!』『カッコイイ!』『やっぱり天才!』とか?
『案外普通の人ですね。』という感想はまだしっくりくる。

『自分が書いたかと思った。』はやっぱり頭がおかしいな。

でもしょうがない。本当に最初の感想がそうなのだから。
今まで沢山本を読んできたから尚更。

取り敢えず一旦ここで区切ろうと思う。

追記:占術的観測の最重要事項。

もしこのままの状態で進むなら、彼は45歳前後で声を失う可能性が高い。
失うまではなくとも、同じ声は出せなくなる可能性が高い。
その次の年、もしくは同じ時期に耳も聞こえなくなる。
今よりかなり重篤になる。
実は難聴になった時期が予測と一致していた。
まさかとは思ったが、やはり避けられなかったのかと一人呆然とした。
無力だ。無力さが何度も襲ってくる。

サカナクションの山口さんが鬱病を患った時期も、
フジファブリックの志村さんが人生を終わらせた時期も、
自分の祖父母が亡くなる時期も、分かっていた。そしてそうなった。
本当は自分の命が終わる日も知っている。
だけど私は自分の運命を変えている。だから生きている。

起こってからでは元に戻れない。
運命を変えたい。
もう失いたくない。
幸せに天寿を全うして欲しい…。


後日談:この記事に当たって、20数回は編集と更新をし続けた。
こんな拘りの強さと完璧主義な所まで同じなのかとただ茫然とするばかりだ。不思議な事だ…。





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anaki168
こんな場所で出会えたご縁に感謝します。貴方に幸せの雨が降り注ぎますように。