#20 サウナは「生き方の練習」なんじゃないかと思った話
今更すぎる話ではあるんだけど、ぼくはサウナが大好きである。
ハマり始めたのは3年前、転職したての頃、一緒に入社した同期のヤツがサウナをおすすめしてくれてから。
当時ちょうどサウナブームが到来していたので、それにガッツリしっかり乗らせていただいた形だった。
3年経った今も、ぼくの中のサウナへの愛情も、そしてサウナブームも下火にならない。これって結構すごいことなんじゃないかと思っている。
ぼくはキャンプも好きなんだけれど、そのブームはちょっと落ち着きを見せている感がある。いっときキャンプ場にいくと都会より人が多いんじゃないかくらいに混み合っていたりしたんだけど、今はだいぶガラッとしてる。
だけど、サウナはそうはならない。
なんとなくだけど、一過性のブームから生活にうまいこと馴染んでいるような気がしている。
これはなぜなのか?
サウナに入り、水風呂に浸かって、アディロンダックチェアに腰掛けながらムンムン考えてみた。
そこで行き着いたのが、「サウナは生き方の練習」という突拍子もない結論だ。何を言いたいのかはこれから説明するから、そんな顔をしないでいただきたい。
生きるということは苦しいことの連続である。
学校だって部活だって仕事だって。
ストレスをかけられてしんどい思いをして、それでも耐え抜く。
その結果成果が出たり、周囲から認められたりする。
いわゆる「ご褒美」をもらえるわけだ。
この「しんどい思いをする⇨ご褒美をもらえる」というプロセスを
最省力、かつ最短距離で体験できるのがサウナなのではないかと考えたわけだ。
サウナに入る。
普段体感しないような高温、高湿度の環境に身を置く。
体からは汗が吹き出す。
もう出たい、もうやめたいと思うがそれでも我慢する。
そして水風呂に浸かる。
これまた普段では体感しないような冷たい水の中に体を浸す。
少しでも体を動かすと、急激に冷たさが体を襲うのでじっとしている。
だんだん吐く息が冷たくなっていく、、、
端的に言って地獄なのである。
何が悲しくて自分の体温上げて、その後下げないといけないんじゃ!!
あとで下げるんだったらそもそも上げんな!!!!
体にストレスしかかからんわ!!!!!!
そう思う。
が、水風呂を出てサウナ椅子に腰掛けた瞬間に文句が全部吹き飛ぶ。
めちゃめちゃ原始的な「最高にきもちいいいいいい」というご褒美が待っているわけなのだ。
ぼくも何度サウナに感情を弄ばれたかわからん。
しんどい思いが始まってから「最高にきもちいいいいい」になるまで時間にして大体10分くらい。
仕事で成果を出したり、学校で成績を上げたりするより、よっぽどタイパよく人生の喜びを感じることができる。
そりゃサウナ人気でるよな、ってなもんである。
これがぼくの考える、サウナの人気が落ちない理由だ。
ほんでね?
サウナは「生き方の練習」なのであるから、ここで感じた「喜びプロセスを」本番、すなわち実際の人生に活かせばいいわけだ。
普段の生活の中でもしんどいこと、苦しいことってあると思う。
そんな時に、「あ、いまぼくはサウナの中にいるなぁ」とか「あ、今水風呂に入ったなぁ」と思えるか、ということ。これがサウナから学べることなのかもしれない。
人生でしんどい時間が続いて、挫けそうになっている人よ。
もうそろそろ外気浴の時間だぞ。
・・・お後がよろしいようで?