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空と木と朝食と

みなさま、はじめまして!庵トニオと申します。
一人で小さなお店を営みながら細々となんとか生きている毎日です。

さて、今回はなぜnoteを書き始めようと思ったのかというと、

気付いてしまったんです…
私、

一人がとんでもなく寂しいということに!

いやぁ…、遅い!とても遅かった!なぜ始める前に気付かなかったのか…。

今まで自分自身との対話が全く足りていなかった…、
というより本気で向き合おうとしてなかったのでしょう。
情けない。

人生 流れに流れてここまで来てしまった。
お店を出すなんてとんでもないことで。

一人の時間がとても多くなり、ようやく人生の折り返し地点で自分自身と今までで最大の対峙をすることに。

毎日手に汗にぎる戦い。
足の裏にも汗。足に汗にぎる。

みなさまはどうでしょうか?
汗かいて自分と戦い戦っていますでしょうか?

まるで高い所から宙吊りにされて、落ちるとヤバいぞー!
てな状態。

あっ、高い所が怖くない方にとっては逆にエキサイティングな状況でしょう。

私、高い所は非常に苦手。
夜景がキレイに見える高いビルのレストランの窓際の席、観覧車、ましてやタワマンなんて住むのは絶対に無理!
そもそもタワマンに住むような財力は残念ながら無いので要らない心配。なのでただの空想になる。

と、世間一般的には素敵でロマンティックなシチュエーションは私にとっては普通に地獄。

空想といえば、小さな頃から空想や妄想にひたることがよくあった。

ドラゴンボール世代で、毎週の放送が楽しみだった。自分も気を扱う練習を本気ですればカメハメ波や魔貫光殺砲が出せたり、
オラに元気を分けてくれぇって元気玉を作ったり、空だってシェンロンと一緒に飛べちゃうかもしれない、なんて思ったりしていた。
でも空なんて飛べるようになったら高い所が怖い自分はきっと途中で失神して落ちてしまうでしょう。

いや〜、飛べなくて良かった!あれ以上練習しなくて良かった!

でも空が飛べなくて幼いながらも悔しかったのか、木登りはよくしていた。
自分世代の小さい子ども達はみんな木登りしてたような…。

当時住んでいた家には庭があって木も植えてあった。楽しくてよく登っていた。
でもそんなある日、
無邪気に油断して、朝起きてすぐに木に登ろうとして、無邪気にジャンプして掴んだ枝がバキッ!と折れて背中から落ちた。
一瞬気を失った。
目が開いてそして、聞こえてきた

「朝ごはんできたよー!」


あっ、
うん、ムリ…、ごめん、動けない
背中を思いっきり強打していた。
それでもなんとか起き上がり、ゆっくりゆっくりと食卓に向かった。
朝食は目玉焼きとパンとソーセージ、そして牛乳。

なぜだか恥ずかしくて、木から落ちてものすごく痛いと言えなかった。今でもまだ家族の誰にもそんな出来事があったなんて言っていない。しばらくゆっくりしか歩けなかったし、近所の友達と遊んでも自分だけ走れなかった。
子供ってとりあえず走るよね。

そしてそれから木に登ることはもうなくなった。


登って、枝が折れた木は
マンゴーの木

庭にマンゴーの木なんて植えてあるわけないだろうって思うかもしれない。
でも植えてあった。
高く屋根の高さまでよく育ったマンゴーの木。

私が生まれたのは南国フィリピンである。


美味しい果物がたくさんあって、自然も豊か。

その国で10歳まで祖母母の妹達弟達と大家族で暮らしていた。

うん、そう
生まれて物心ついた頃には親という存在がいなかった。
父親はすぐに生まれて初めての私のクリスマスを祝う前に交通事故で亡くなってしまったのだ。そして母はすぐに家族の為に日本へ出稼ぎに行った。
親を見たことがなかった。

父親がいないことは幼いながらもわかっていたが、自分には実の母親という存在がいるということを知るのはもう少し先のことになる。

みんながお祖母ちゃんのことをお母さんと呼んでいて、自分も同じようにお母さんと呼んでいたからだ。
お祖母ちゃんを母親だと思い込んでいたのだ。

それが自分にとってごく普通の暮らしだった。



続く↓




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