【矛盾として佇む】
柴田英里
台湾、桃園市大渓区にある慈湖紀年雕塑公園をご存知だろうか。200体近くの蔣介石像を収集し展示する公園である。それでは、なぜ200体近くもの蔣介石像が集められているのか、一体どこから集められるのかはご存知だろうか。
慈湖紀年雕塑公園では、自由と民主主義を侵害した負の歴史の象徴として台湾全土から撤去されている蒋介石像が集められ展示されているのだ。
1949年、台湾島の台北を臨時首都とした蔣介石は、自らを「中国4000年の道徳の体現者」と位置づけ、肖像画、切手や紙幣、そして銅像など、無限に観念としての自己を増殖させ、崇拝を求めた。
民主化が進んだ1987年以降、それらは自由と民主主義を侵害した負の歴史の象徴に生まれ変わり、以後、街の至る所に存在する蒋介石像は撤去が進められている。
バーミヤンの石仏、南部連合軍のリー将軍像、慰安婦像をはじめ、世界中で像や祈念碑の破壊・撤去・設置をめぐり大きな衝突が起こる中、蒋介石像撤去は現地で論争や衝突を生むこともあるものの、その撤去事業自体はおおむねスムーズに進捗しているようだ。
(少々余談ではあるが、なぜ、近年物議を醸し衝突の対象になる像に野外設置された銅像が多いかといえば、具象的な表現や複製がしやすく、野外に半恒久的に設置することが可能な銅像は、室内のようにゾーニングされることや、天候や昼夜の制約なく万人が鑑賞可能であるために、プロパガンダの手段として多く用いられてきたからである。)
阿佐ヶ谷TAV GALLERYで行われたナルコによる個展「静粛的雕像 (せいしゅくのちょうぞう) 」では、台湾を中心としたダークツーリズムの研究と作品制作を行う作家ナルコが、現地でのリサーチの果てに「今の時代に即した蒋介石像」として制作した蒋介石像が並ぶ。全身像、胸像、マスク、数多くの蒋介石像が乱立するギャラリーは、まるで慈湖紀年雕塑公園かのように圧巻かつシュールである。
作家自身が現地に赴き、3Dスキャンにより得たデータを用いて造形されたシリコン製の蒋介石像は、皮膜に包まれたように、あるいはヴェールで覆われたように、どれも細部の形を喪失し、詳細な形態とともにかつて掲げた観念をも失ったようなその身体は、瀕死の政治彫刻として延命措置を受けるかのごとく、医療器具に繋がれたように振動している。ぬらぬらと蠢くシリコン像は、瀕死であると同時に巨大な胎児のようでもある。
「歴史」というのは共同体ごとに常に編集されつづける構築物であり、ゆえに複数存在する。複数存在する「歴史」は時に衝突し、時に友好的に混じり合い、相互に干渉し合いながら形を変えていく。
「正統な中国」として再び中国大陸を取り戻すことを夢見た蒋介石とその野望を託された蒋介石像は、今も中国大陸のある方角を見据えるように立つ。ナルコの造る皮膜に包まれた蒋介石像も同様に、同じ方角を見据え立つが、そのうつろな眼に映る現代の状況は複雑だ。
中国と台湾、かつて「正統な中国」をめぐる争いだったものは、「同じ国か別の国か?」をめぐる争いに変容し、「台湾」は多くの国と交流関係を維持しながらも、国際的に国家と認められない共同体として孤立している。現代の台湾政府が、多くの功績を容認しつつも自由と民主主義を侵害した象徴であるとして撤去する彼は、近年中国本土と共産党で「中国再統一の信念を抱いていた」として再評価されつつある。
シリコン製の、やわらかい、細部の形を喪失した蒋介石像は、そうした歴史や政治、アイデンティティの対立に配慮するかのようでもある。
「政治的公正」と訳されるポリティカル・コレクトネスは、性別・人種・民族・宗教などの差異に基づく差別や偏見を防ぐという使命が課されているものの、実際の運用においては、過度に「性的」「政治的」「宗教的」だとされたものを、「多様性の尊重」という画一性で覆い隠し沈黙させるパラドキシカルなヴェールのようでもある。
——様々な差異に基づく対立に配慮し沈黙を強いるヴェール。
ナルコが造る、まさしく現代的な蒋介石像は、政治的公正(ポリティカル・コレクト)なヴェールに包まれることにより、逆説的に沈黙を強いられた様々なものを想起させる。
AVのモザイクのように、検閲により塗りつぶされた文書のように、何かが覆い隠されることは人の想像力を刺激し、内在するものの存在感はいや増す。
沈黙することで語る。ヴェールに包まれたような蒋介石像は、アイロニーたっぷりに、国際社会で台湾の置かれた状況を体現する。
姥捨てられた瀕死の政治彫刻として、編集されつづける歴史の証人として、様々な対立に配慮する政治的公正さの象徴として、「静粛的雕像 (せいしゅくのちょうぞう) 」は複数の顔を持ちながら同時に顔を喪失し、沈黙のヴェールを被りながらも慟哭するように振動し続ける。
目をそらさず、目を閉じず、そこにある像を見て欲しい。