運動神経が悪いと仕事も出来ない 運動神経が悪いということ Vol.2
なぜ、こんなに出来ないのだろう。家庭や学校など、人が生きるうえでぶち当たる壁にもさまざまあるだろうが、私にとってそれは仕事だった。同じ職場に務めて14年間、配属先のお払い箱となって1年で異動を余儀なくされた経験が、1度ならず2度もある。年末年始の休暇が明けると、途端に寝付きが悪くなり、胃腸が振るわないのが恒例になった。若いうちならいざ知れず、すでに30代も終盤だというのに、不安や迷いなど弱まるべきが強まり、意欲や充実感など強まるべきが弱まっている。
私が仕事を通して味わってきたのは、苦手な数学の授業を1日中受けているような無力感と、打てず守れずで何の役にも立てない草野球に駆り出されたような肩身の狭さだ。人事考課とは、私たちの労働力としての価値が査定され、極端に言えば人が商品と見なされる機会だと受け止めているが、この10数年間で自分の商品価値がいかに低いか、痛切に思い知らされた。
運動神経が悪い。それゆえの悪影響が、中年になったいまも尾を引こうとは。自信が持てず、あらゆる人付き合いを避けているうち処世の術が身につかなかったことは、間違いなく仕事で苦労している一因だと思う。加えて、いかにも中途半端だから辛い。仕事で行き詰まったとき、もっと優秀なら突破口を見い出せるだろう。いっそのことさらに愚鈍なら、救いの手も伸びるかもしれない。批判の標的になりやすいのは、 ベンチを温めている選手よりも、辛うじて試合には出場するものの今ひとつ実力が足らない選手なのだ。
仕事を通して人の世に晒されるかぎり、絶えず風も吹けば波も立つ。幾度か暗礁に乗り上げたわが船体は浸水でもしたのか、遅々として進まず、微かな衝撃で止まってしまう。せめて、進むべき路を示してくれる羅針盤が備わればいいのだが。
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