
“共通の推し”ができたような生活(生後1ヶ月)
初めての子育て。
親戚の赤ちゃんを抱っこするような機会もないまま第1子を産んだので、赤ちゃんとふれあうのは初めてという状態で日々過ごしている。
1ヶ月・1週間・1日単位で変化していく我が子をを見ていて、メロメロになったり、感激したり、人間の発達の面白みを感じたり、我が子にとっての心地よさを試行錯誤したりと、思考と感情が忙しい。
家族3人、泣いて笑って過ごしていたら、あっという間にもうすぐ生後100日。
0歳の貴重な1年間に起こったこと・感じたことを忘れないように、文章で書き残しておきたい。
👶
娘ちゃんが産まれてきてくれてから、夫と2人で「かわいいねえ」と言い続けている。
「あくびしてる、かわいいねえ」
「目を開けようと頑張ってるけど、片目しか開かないねえ、かわいいねえ」
「服がブカブカだ〜、かわいいねえ」
「くしゃみしたねえ、かわいいねえ」
と、入院期間はこんな会話ばかりしていた。
退院して3人暮らしが始まると、もう少しバリエーションが増える。
「眠たそうなんだけど、うまく眠れないみたい。ミルク足りなかったかなあ?」
「吐いちゃったんだけど大丈夫かなあ?」
「オムツのテープ、これって苦しくないかなあ?」
という心配事について語らうときもあれば、
「見て!パーカーの紐、引っ張ってる!」
「30mlも飲んだよ!!」
「ウインクしてくれた!」
「見て!これが新生児微笑かも!」
「この、“きゅ〜”って声、初耳じゃない!?」
といった、娘ちゃんが初めて見せてくれる行動や表情を見逃すまいと互いに共有しあう瞬間も多い。
”共通の推し”ができたみたいだな、と思う。
私も夫もエンタメが好きで、毎クール何かしらのアニメやドラマを一緒に視聴しているのだが、どハマりするものは微妙にすれ違ってきていた。私がめちゃくちゃハマって語らいたいコンテンツがあっても、夫はそこそこ好きという程度だと語りづらい。
娘ちゃんがやってきてくれて初めて同じ熱量で、愛で、心配し、成長を応援し、遊び、お世話をし、語り合う、ということをしている。これがけっこう幸せを感じるひとときになっている。
夫も私も特に大好きな娘ちゃんの表情のひとつに、”まぶたを開けようとしつつも開くことはなく、おでこにしわをよせているすっごく気持ちよさそうな顔(起きるときによく見かける)”というのがある。
夫がふとした瞬間にこの表情のモノマネをするのだが、”誇張しすぎていて人に伝わらない系モノマネ”に仕上がっているのである。
「娘ちゃんが起きるときの顔!でも誇張しすぎてて誰にも伝わらないよ(笑)」
「こんなに細かく面白がって娘ちゃんの話ができるのは我々だけだね」という話をした。
👶
今の社会では、子育てにおいて”母”に期待される役割が大きい現状があると思う。
私は学習塾のような場所で働いているのだが、送迎にくるのは8割が母親。残りの2割が祖父母か父親。面談に来るのも同様の割合。
「父親も同じくらい子育てに参加する社会になってほしい」と願っている私でさえ、面談に「父親も同席します」と言われると身構えてしまうことがあった。
そんな社会だけれど、今のところは、私も夫も同じ熱量で娘ちゃんとの生活ができていると感じている。
「母乳を直接あげる」という行為は私にしかできない役割として受け入れているけれど、「母乳を直接あげる」以外は私も夫も変わらない。
祖父母世代だと夫も育休を取得して子育てをしているということに珍しさがあるようで、「○○(夫の名前)はどう?」と聞かれることがあった。そのたびに「母乳が出るか出ないか以外、私も◯◯も変わらないよ」と答えていた。
うつ伏せ練習をする娘ちゃんを見て「地面を這う巨人みたいになっててかわいいね(進撃の巨人)」
眠そうな娘ちゃんを見て「ユーハバッハみたいになっててかわいいね(BLEACH)」
なんて、仕草や表情を好きな漫画のワンシーンにたとえあってみたり。
爪で顔を引っ掻いてしまった傷がいつ治るのか一緒にソワソワしていたら翌日には治っているもんだから驚きあってみたり。
ガラガラで遊んだら目で追ってくれるから「この世にやってきてからまだ数週間なのにすごすぎる!」「音に反応してる?キラキラを見てる?」と褒めちぎったり考察したり。
こんな風に、2人で娘ちゃんを見つめながらゆかいに暮らし続けていきたい。いつか娘ちゃんも、私たちとの暮らしが楽しいと思ってくれたら嬉しいな。
夫の育休が終わったらどうなるのか不安な気持ちがちょこっとあるけれど、同じ熱量で推し続けられるよう、努力と工夫をしていきたいと思っている。
(2024年10月〜11月、生後1ヶ月ごろの日記)
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