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人の名前ってその人のアイデンティティだと思うんです。
こんにちは。
目を通してくださった方ありがとうございます。
大学の試験勉強が途中だというのに、やる気が出ず投稿をしてしまっています。
タイトルにもある通り、名前って自身のアイデンティティに他ならないと思います。名前がなかったら、その人の呼び方がわかりませんよね。
ある何かがあって、それを共通認識として皆で理解できるようにものの名前ってできましたよね、恐らく。
人の名前って自分自身の代名詞なんだと思います。
人格は「名前」という核に肉付けされていくかもしれません。
小学生の時、普通の子とは違うことに気づいた
私自身は、小学4年生くらいの時から自分の名前がみんなとは違うということに気づきました。
正確には名前というより苗字です。
苗字は違って当たり前ですが、少し、変わってるということです。
それはつまり、自分の住んでいる市町村の名前と自分の苗字が同じということです。例えば、中野さんとか、松本さんとかというのは割と全国にいらっしゃると思いますが、私の場合は、ローカルな苗字なのでわかる人にはこの辺出身なんだとすぐわかってしまいます。今は、その地から逃げてしまいましたが、高校の時まではその地に住んでいましたし、その場所は住みやすくて好きでした。
ただみんなと違うことに気づいただけでなく、苗字に対して非常に強いトラウマを感じそれが克服できていません。
辛い12年間
昔は、いとこに「なんで○○っていう苗字なの?」とか、たいして仲もよくない友達に「○○っていう苗字嫌じゃない?(笑)」って聞かれたりしました。なんでって言われてもこっちが聞きたいし、苗字嫌って言ったって簡単に変えられるもんじゃないから受け入れるしかないんだよ、てかよく直接聞けんなって思いました。
他にもチェーン店みたいな塾に行っていたので、週末に校舎跨いでブロック毎に特訓みたいなのがあると、自分の通ってた校舎と苗字が同じだったので、それを先生に毎週ネタにされてました。親に高額な受講料を出してもらっていたので、こんなこと言われてて本当は行きたくないことも言えず、その日が来るのが憂鬱でした。
また学校で「○○(市町村)の○○学校に通う○○っておもろいよね。そのまま(市町村)長になったら」とか半分冗談で言われてました。ムカついて今でも覚えてるので、ラインの自分しか入ってないチャットの名前は皮肉ってmayor(市町村長)にしてますけど(笑)
家が駅から高校の通り道にあったので放課後家に帰ってきてだらだらしてたら、通りすがりの見ず知らずの高校生に「○○って苗字あるんだアハハハ」って声が聞こえてきたときは驚愕というか何とも言えない気持ちになりました。
また、「○○って苗字書くのうまいなって思ってたけど、郵便の住所書くとき2回○○って書いてるからか!」って言われたときは、確かにって思いました。
仲の良い友達が「○○って○○に住んでるんですよすごいですよね(笑)」って他の人に笑けながら言ってるのを聞いたときは相当ショックを受けました。
複雑な気持ち
そういう冗談を言われると、単純に凄いと思われているのか馬鹿にされているのかわからない気持ちでした。いずれにせよ、いい気分になったことはほぼないです。自分がネタにされ続けるって嫌な人は嫌でしかないです。しいて言うなら、名前を覚えてもらいやすくなるのはメリットでしたね。
忘れようとしていたので、少し涙目になってきました。トラウマというかコンプレックスを克服できていない証拠ですね。頑張ります。
誰にも言えない辛さ
兄弟や親に相談すればいい話でしたが、なんとなく、我が家のタブーというか相談してはいけないことな気がしました。一度母親に相談しましたが、母親は○○という苗字をかなりポジティブに捉えていて、取り合ってはくれませんでした。親に言うのも失礼で不敬な気もしました。
いじめとは違って、先生に「自分の苗字が嫌なんです」と相談するのも違うし誰にも言えずにただ、惨めな気持ちを味わってきました。そして、決して取り払うことのできないトラウマになっていきました。
友達にばれる、、
そして私は、今自分が○○出身ということは隠しています。素直といわれている私ですが、実は誰よりも嘘つきなのかもしれません。
突然、友達に「あなたって△△ってとこ住んでるって言ってたけど、近くに○○って地名あるよね」って言われたときは驚きを隠せませんでした。かなり予防線を張ってるつもりだったので。
それで、実は○○出身ということは濁しましたが、「大地雷踏んだね」って言ってしらけて終わりました。
その子には、私が苗字で非常に強いトラウマを持っているという話はしておきました。そうしたら、「どんな名前でも変わらない、改名したって私は私、あなたはあなただ」って言われました。
模範解答の返しだとは思います。
でもこの苗字でどれだけ私がからかわれて傷ついて、自分自身も否定されるような思いをしてきたか分かってほしくなりました。言い過ぎかもですが、私は人格を否定された気がしてしまうのです。改名してこの経験ごと忘れ去りたいと思いました。
友達の言ってることって大人になったから言えることなんだと思います。
子供の時は、変わっているというだけでからかいの対象になって、心が空っぽになるような気持ちを何度もしてきました。
今の私
未だに、先生などから名前を呼ばれるのが怖いです。激しい動悸がします。小学校の時から出欠を取られる時間が一番嫌いでした。みんなの前に立って発表することも勿論苦手でしたが、それ以上にただ受動的に名前を呼ばれて返事をするというその時間が怖くて怖くて仕方なかったです。
なので、自己紹介も怖いです。高校の時は出身中学を言わないといけなかったので、周りの人は抱腹絶倒でしたし、大人になっても○○という地名を知っている人がいたらどうしよう、また言われる、と考えてしまうのです。
子どもの時の記憶って、本当に侮れないと思います。嫌なことってその情景がありありと思い出せてしまいます。その時期に体験したものが、大人になっても自分に付きまとってきます。それを思い出すたびに心が空っぽになるんです。アイデンティティが崩壊しそうでした。
克服法求む!
何をしたら克服できるのでしょうか?
私は女なので、誰かと結婚すればこういう経験はもうしなくなるとは思いますが、過去の経験は消えることはないと思います。
皆さんへ一言
まず大人の皆さん、子供がトラウマになるような名前のいじり方はしないでください。活発な子でも気にする子は気にしますし、私みたいなおとなしい子は尚更、からかわれたことは忘れません。この名前すごいなと思っても、他の子の名前と同じようにその名前を扱ってあげてください。すごいと感心するならまだしも、笑い飛ばすことは絶対いけないと思います。大人になってもその子に深い傷として残り続けます。
私自身も人の名前のことは、何か思ってもあまり口にしないようにしています。その子が自身の名前に関する話を自分から言ってこない限り。
そして一人で抱え込んでもしょうがないので、私の大切な人にいつか打ち明けたいと思ってます。