9時間 中田力先生
15年程前、医療系企業で働いていた時、広報誌の取材で医師の方に会う機会がよくあった。その中で今も忘れられないのは中田力先生である。
東大卒業後、アメリカに渡り長年脳外科医として臨床現場に立ちながら、MRIの開発にも関わる脳研究の第一人者とのことだった。当時、新潟大学にできた脳研究所の脳機能研究センター長になり日米を行き来していた。
取材数日前に挨拶のメールを送ったら即座に返信が来た。
「わたしのことはよくご存知でないでしょうから、この本を読んでいただくといい」
と一冊の著書が記されていた。図星だったから慌てて買って読んだ。ホームレスも受け入れるカリフォルニアの公的病院での奮闘記だった。
当日初めて顔を合わせると、こちらの関心度合いを測るかのような鋭く、でも優しい目をしていた。
まず現在に至るまでの出発点は…というような質問をすると
「東大飛び出した人だからね。東大ってのは権威の塊なのよ。東大だと論文書かされて臨床はしないから患者治したいってヤツはみんな出ちゃった。◯◯先生なんて結局一回も手術しないで教授になっちゃったしね」
「湯川秀樹から筑波に来いって言われたけど、筑波の連中が『東大の人間はヤダ』とか言ったらしくて。東大の権威主義も嫌だからアメリカで臨床やるって飛び出した」
と、のっけから業界の裏話も含め止まらないこと止まらないこと。
アメリカでは病院と大学での研究・教育のダブルワークで休みもほとんどなかったらしい。
「医者という仕事を選んだ以上はしょうがないよね。2日も休むと気になって戻っちゃう」
脳を研究するモチベーションは「こころがどこにあるのか知りたいから」と言う。
“こころ”が凄まじい臨床現場や物理学で第一線を走る先生の根底にあるものなのかと思った。先生が影響を受けたライナス・ポーリング博士(ノーベル賞2回取ってる人ね、と先生)とアメリカ時代の『ボス』についてはことさら熱かった。
「今でも師匠。医者であり哲学者。偉大なる物理学者は偉大なる哲学者でもあるから」
という言葉は今でも覚えている。
その後も先生は喋り続け、結局取材はノンストップで9時間も続いたのだった。
写真を撮る際、
「白衣も権威の象徴だからね」
と着なかった。
権威のど真ん中ともいえる所にいる先生が、権威の象徴というものを極力排除しているようだった。撮影時に白衣を着ることを定番として疑わなかったわたしたちは、無意識に権威の象徴を求めてもいたのだと気づいた。
この取材では最後に好きな言葉を自筆で書いてもらっていた。難しい四字熟語か英語の言葉を書く先生が多かった。
中田先生が書いたのは、「優しさ」だった。
実は私が一番、大事だと思っている言葉であった。当時ですら陳腐に響くような単純な言葉を先生が書いたのに驚いたし感動した。
「なんか日本に帰ってきたら、日本の人、昔のような優しさがなくなってきちゃってる気がするんだよな。どうしちゃったんだよって」
と言っていた。
「こころ」と「優しさ」は、物理学者であり哲学者である先生の根底にあり、支柱でもあるものなのだろうと思った。
もう一度仕事で先生に会うことを目標にしていたが、数年前に急逝された。日本人が昔に比べて優しさが欠けてきたと嘆いていた先生。あれから随分経ったが、今の日本を先生はどう見るだろう。