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1年でいちばん好きな希望の日

徒歩圏内に本屋がある。
本屋さんの匂いと雰囲気が好きだ。本屋さんに住みたいとさえ思う。
お店からすれば単なる冷やかし客かもしれないが、週に1度は必ず本屋に寄る。
そしてたまに、読みたい小説やボディビル雑誌「IRONMAN」などを買って帰る。小説については本屋さんに貢献したいとの思いから、Amazonで発注すれば明日にでも届くものをわざわざ店舗で取り寄せることもある。

でも先日その本屋さんでみてしまったのだ。
「閉店のお知らせ」を。

衝撃だった。
歩いて気軽に行ける本屋さんがなくなってしまう。
ちょっとした、でも確実に心が潤うひとときだった本屋さんタイムをとれなくなってしまう。とてもかなしい。

これからは本屋さんに行こうと思ったら自転車で20分ぐらい走るか、車に乗っていかなければいけない。
それはわたしにとって「気軽」ではない。
午前中あるいは午後、夕方を空けて行くぐらいの大仕事だ。

わたしはこれから小説とIRONMANをどこで買えばよいというのだ…。

∽∽∽

本屋さんは一例だが、このところマイナンバーカード紛失未遂やら、車検の予約がとれないやら、夫の親族が危ないかもしれないやら、もうすぐ帰省するというのに母が風邪で寝込んでいるやら、プライベートで嬉しくないできごとが続いている。

多少の一喜一憂はしても、心配な気持ちがたまにひょっこり顔を出してきたとしても、そこまで揺さぶられることなくいられるのは、冬至を過ぎたからだ。

「冬に至る」と書いて冬至。
これからますます寒さは厳しくなるし、寒いのは大の苦手である。
けれども、日暮れが遅くなるのは嬉しい。
冬は寒いけれども、冬至を過ぎればもう希望しかない。これからどんどん明るくなっていくのが冬。だから冬も冬至も好きだ。

昔の人はうまいこと暦をつくったもんだ。
「これから寒さは増すけれども、日は長くなるぜ!だからがんばろう!」と希望を持つために、わざわざ設定したのではないかとさえ思う。
「冬」に至るのではなく、もはや「冬の頂点」に至ったのだと。
春分の日と秋分の日は祝日なのに、冬至が祝日でないのは解せない。冬至こそぱーっと祝うべきだ。
祝日を司っているのはどの省庁か知らないが、そこんとこ頼むよ、偉い人。

だから、これからはきっと明るいことがいっぱい起こる。
子どもたちにとってはクリスマスが待っているし、多くの大人にとっても年末年始の冬休みが待っている。
今年ぱっとしなかった人も、嫌なことぜんぶ今年に置いていけばいい。そういう節目がすぐそばまで来ている。みんなに幸あれ。

あと、これは個人的なイベントなのだが、なぜかわたしのまわりには冬生まれが多い。ぱっと思い浮かぶだけでも6人はいる。
お祝いごともまた気分が明るくなるものだ。


…なお、言わずもがなだがわたしにとって夏至は1年でいちばんかなしい日である。
夏至を過ぎたときのことは、そうなってから考えることにする。

とにかく、冬はもう極まった。春に向けて走り出そうぜ。うぇい。



今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたが1年でいちばん好きな日はいつですか?

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