明日やめてもいい温度感で働きたい
2023年の後半あたりからほぼ毎日noteを更新している。
noteを投稿すると「◯日連続投稿!」と表示されるが、たぶん今70日か80日を超えたあたりと思う。
書きはじめた日も覚えていないし、今日で正確に何日経過したのかもわからない。
この記事を公開したとき、ポップアップを見て、ああ◯日目だったかと思い出すのだろう。
別に明日やめたっていいと思っているから、数字に興味がない。
明日やめたっていいけれど、なんとなく今日も続いていること。
そうして意外と長く続いていること。
それがまさしくnoteである。
けっこうな記事数になったわたしのnoteは、ライターとしてもしかしたら「実績」になるのかもしれない。
けれども、明日やめてもいいnoteに対して「ためになることを書こう」とも「検索上位表示を狙おう」とも思っているはずがない。
もちろん誰かに読んでもらえたら嬉しい。
でも読まれなくてもあまりなんとも思わないから見出し設定も文字装飾も施さない。
読者にあまり配慮せず、たるぅんとした気持ちと姿勢で好き勝手に言の葉を撒き散らかしている。
何度もいうようにここはわたしの思考と感情の掃き溜めで、いうならばガラクタ集積所、スクラップの山である。
一体どこのどなたに「実績」としてお見せするのだ…。
ビジネスが上手な人だったらホイホイとうまくこの記事たちを活用できるのかもしれないが、あいにくわたしはビジネス能力が発達していない。
逆に「仕事に役立てよう」と意識したら、途端に書くのが楽しくなくなって続かなくなるだろう。
わたしにとってnoteを書く目的は自分の日常観察であり、自己満足だ。
「いつ辞めたっていいけれど、今日も書いちゃおうかな」ぐらいの生ぬるさがちょうどいいのだ。わたしには。
仕事もそんなふうに肩の力を抜いて取り組めたらいいのに、と心底思う。
仕事は明日急に辞めるわけにはいかないし、辞めたら入るものが入ってこなくなる。
辞められないからなんとか続けているだけで、もしも一生暮らしていけるお金が手に入ったとしたら仕事なんて即辞めちゃうかもしれない。
もしくは「楽して稼げる」のなら喜んで続けられるのかな。
あるいは思うような結果が出れば、仕事が楽しくて仕方なくなるのだろうか。
わたし書くのは嫌いじゃないけれど、たぶん働くのには向いていない。
好きな色と似合う色が一致しないように、働くのも嫌いというほどでもないが向いていない。
それでも組織(企業)で働くよりはまだフリーランスのほうが可能性があるから、えっちらおっちら続けている。
どれだけ肩に力を入れて神経を研ぎ澄ませても、仕事ぶりや納品物が評価されるとは限らない。
心血注いでもどっちみち評価されないのなら、せめてリラックスして取り組めたらいいのにな。
今日も肩に変に力が入って、首の筋を違えてしまったよ。
…自然体。
2024年は仕事も私生活も、自然体でやっていきたい。
明日やめてもいいぐらいの軽やかさで。
今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたにとってちょうどいい緊張感って、どのぐらいですか?