涙して心打たれて腹満たす-岩手前編-
2024年11月18日~24日の7日かけて、福島県を除いてまだ訪れたことのない東北5県をめぐってきた。
…とはいえ当日まで決まっていたのはそれだけ。どんなルートで、どこで何をして、どこに泊まるのか、ノープランでのスタートとなった。
最初に訪れた宮城県についての旅行記はこちら。
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宮城県を観光して気仙沼に泊まった我々だが、実はちょろっと岩手県にも寄っていた。中尊寺だ。
…その前に、くるみゆべしに目がないわたしはくるみ餡をお餅で包んだ平泉銘菓「辨慶力餅」が中尊寺近くで購入できるとの情報をキャッチし、ちゃっかり購入するのも忘れない。
お菓子屋さんを経て到着した中尊寺。
さすが世界遺産、観光ツアーの旅行客と思しきご年配の方々が多くみられた。
我々も世界遺産だし一度拝みたいと夫婦ともども楽しみにしていた場所である。
寒い寒いといいながら、その澄んだ月見坂の空気を鼻が真っ赤になっても深く吸い込んだ。それに、見事な紅葉のおかげで寒さへの意識がすこし薄れてはいた。
中尊寺といえば金色堂が有名だし、そこを観光のメインに据えて歩いていったわけだが、その手前にある宝物館「讃衡蔵(さんこうぞう)」が非常によかった。
館内は撮影禁止だったから写真は1枚もないけれども、入館した途端に正面で出迎えてくれる、いずれも2m~3mはあろうかという3体の仏像をみて背筋がぞわぁっとして立ち尽くした。
よく感動するときには鳥肌が立つというが、わたしの場合は背筋のぞわぞわがそれである。
スタスタ館内へと進んでいく夫の姿を捉えつつ、深い落ち着きと穏やかさに満ちた仏様のお顔をみていると自然と涙がこぼれた。
まったく波風の立たない美しい湖のようだった。こういう心の状態を目指したい。わたしの心を一瞬でもぴたりと鎮めてくださって、ありがとうございます。
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このあと東へ向かって気仙沼に泊まり、翌朝は陸前高田を目指した。
気仙沼の居酒屋でママから3.11の話をうかがい、「奇跡の一本松はぜひみてほしい。本当に奇跡だから」と教えてもらったからだ。
夫婦ともに、幸いにも3.11で被災せずにすんだわたしたちは、テレビで連日流れるまるで特撮映画のような津波の様子と、同じく連日繰り返し流れる「ぽぽぽぽーん」でしかその異様さがわかっていない。
陸前高田に行ったから、一本松をみたからといって、被害の大きさや悲惨さを理解することは到底できないが、日本人として少しでも心を寄せておきたいとの意見は夫婦で一致した。
奇跡の一本松、実はすでに枯死していて、幹に防腐処理を施すなどして今はモニュメントとして当時と同じ場所に植えられているらしい。
写真の手前にある倒壊した建物が痛々しい。
ものすごい揺れが襲ってきて、どれだけ怖かったんだろうと想像してみたけれども、とても自分にはわからない。
こんなに穏やかな海が、10mの津波を生んだことだって想像できない。
…想像もできないことが、想像もしていない日常で起こって、わたしなら絶望するだろうな。生きようとか、逃げようとか、考えられなくて、諦めるかもしれない。
運よく今こうして生きているわたしは、生きているのではなくて生かされている。
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互いに口数少なく移動した次の目的地は花巻。
宮沢賢治記念館と童話村を訪れるため。
好きだといえるほど作品を読んでいない。だけどふれた作品のどれも印象に残っている。宮沢賢治はわたしにとってそんな人だ。
小学校の学芸会で演じた劇がたまたま『セロ弾きのゴーシュ』だった。
オツベルと象、雨ニモ負ケズ、永訣の朝は中学と高校の国語の授業でふれた。そこで興味をもって、注文の多い料理店と銀河鉄道の夜を買って読んだのだと思う。
「好き」といえるほどでもないから、申し訳ないけれど宮沢賢治のことをほとんど知らない。農業に勤しみ音楽を愛し、仏教や天文を学んでいたことも、はじめて知った。
宮沢賢治が後輩に宛てた手紙が心に残った。
「才能や器量や身分、財産を自分のからだについたものだと思い、仕事を卑しみ、同輩を嘲り、いつか自分はもっと社会の高みに引き上げられるのだと空想ばかりして、現在の生活を味わうこともせずに幾年かが空しく過ぎた」
だから、あなたもじゅうぶんに気をつけなさいと。
「風のなかを自由に歩けるとか、はっきりした声で何時間も話ができるとか、兄弟のためにお金を工面できるといったことは、できない者からみれば神の業にも均しい」
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仏像を拝んで涙したり、復興祈念公園では命について、宮沢賢治記念館では今の自分の在り方についてみつめなおしたり、静かにでも確実に揺さぶられる岩手の旅だが、腹は減るものである。
この日の朝食はコンビニのおにぎり。
相変わらず寒いし、空腹の極みでわんこそばに挑むことにした。
わんこそばは、お椀にふたをしたら「おしまい」の合図だ。
テレビでなかなかふたをさせてもらえずに悶絶する芸能人の姿をみたことがある。
でもそれはテレビの中の話で、番組をおもしろおかしくするためだ。
との認識は、大外れだった。
左手にお椀、右手にお箸を持っているから、なかなかフタができない。
手こずっているあいだに次のおそばがよそわれる。
少しお行儀は悪いが、お椀を机に置いて左手にフタを持った状態にまで持っていき、おそばをかきこんだらすかさずフタをする形で永遠とも思われたわんこそばに終止符を打てた。
記録は65杯。
10杯でかけそば1杯分らしいから、かけそば6杯は食べたことになる。
なお女性の平均が30杯、男性が50杯~60杯だそうだ。けっこう食べたのではないだろうか。
ねぎやわさびのほか、もみじおろし、イカの塩辛、しば漬け、山菜など薬味が豊富だったおかげだ。ちなみにしば漬けがいちばん好き。
夫もわたしも「小結」の称号を得た。80杯~99杯が大関、100杯だと横綱なんだと。
満腹of満腹により体はぽかぽか暖まったものの、外に出ると日も暮れかけていて、手持ちの装備ではなかなか厳しい寒さだ。
ワンコニ負ケズ、寒サニモ負ケズといきたいところだが、常人のわたしはまだその域に到達していない。
宿に向かう前に近くのユニクロでヒートテックを調達した。
そして向かうは北の宿。
運転してくれる夫に申し訳なさを感じつつ、おなかも満たされてまぶたがゆっくり閉じていく。
そのときのわたしの表情は、中尊寺でみた仏様に近いものがあったと思う。
今日も読んでくれてありがとうございます。
最近あなたがおなかいっぱい食べたものは、なんですか?