やりらふぃーに嫉妬さえ覚えてて草
なぜこれが…?
YouTubeを見ていると、たまにどうやって選出されたのか疑問を感じる動画がおすすめに上がってくる。
【TikTok】やりらふぃー決定戦
うかつにもこの動画をタップしてしまったがために、やりらふぃーの沼にはまった。
やりらふぃーをひと言で表せばパリピだ。
やりらふぃー決定戦の動画は、要はパリピダンスの総集編であった。
なるほど曲の一節が「やりらふぃー」と聴こえる。
令和で大流行しているTikTokなのに
彼らやりらふぃーから溢れ出る絶妙なダサさは一体なんなのだ。
なぜこんなにも中毒性があるのだ。
こうして寝る前にやってはいけない
「YouTubeの沼にはまる」夜となってしまった。
クラブでこういうお兄ちゃんを傍目に見ているのが大好きだ。
とっても楽しそうじゃないの。
もはや清々しささえ感じるよわたしは。
この身体能力の高さを絶妙にダサい(褒めてる)ダンスに使う身体能力のムダ遣い。いやムダ遣いを楽しめるぜいたく。
見た目もそうよね。
基本的にはピッチピチの上下
スウェットもしくは、もはやダメージの面積のほうが多そうなデニム。
ハイブランドのベルト。
派手なハイカットスニーカー / スリッパ
大体みんな細身。
…街ですれ違ったら目ぇ合わせたくないし、あんまり関わりたくないと思うけど、振り切ってて独特の文化だよねえ。
動画で観るぶんには楽しい。
TikTokで流行ったというこのダンスをじぶんちの部屋で必死に練習したんだろうなと思うと微笑ましいし、だいたい夜のコンビニ前で撮ってるのも生々しくていろんな日常ドラマが想像できる。
そして彼らの日常を、おそらくわたしは経験してこなかった。
もしわたしと彼らが高校で同じクラスにいたとしても、わたしはTikTokを撮っているやりらふぃーたちを映り込まない距離から眺める陰キャである。心のどこかで「楽しそうでいいな」とか思いながら。
そう、こういう感情もまた動画を楽しむスパイスであり、コメント欄がその集合体なのである。
「こういう兄ちゃんがレジで商品渡した後『ありがと~』って言ってくれると嬉しい」
「普通に楽しそうだし学生に戻りたくなった」
「ダメージジーンズどころか瀕死ジーンズの奴おるやん」
「反復横跳びで草」
「自分も出来ない程キレッキレなダンスで草」
「このスタイルの良さ・・草超えて最早麻」
コメントが秀逸で草。
文章を書く者として、コメントのセンスに嫉妬さえおぼえる。
YouTubeやSNSのコメントは「匿名だからって何書いてもいいわけじゃない」とよく批判の対象になっているけれども、なかには思わず唸っちゃうようなコメントもある。
やりらふぃーの人生楽しんでる感
やりらふぃーへのコメントの秀逸さ
なんかわたし、元気出て草。
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