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「ゆるい」に違和感が生まれてきた
タイトルのとおりなんだけれども、
2年ぐらい前から「ゆるい」に対して違和感を抱く場面が少しずつ増えている。ここ1, 2ヵ月はとくに頻繁でもやもやさえする。
「ゆるい」について、ちょっと考えてみようかと。
「ゆるふわ」とか「ゆるいつながり」とか「ゆるく生きる」とか、日常に浸透しているよね。
「ゆるい」が持つニュアンスはおおむね
・厳しくない
・縛られない
・角がない
・やわらかい
・ちょっと頼りない
・肩の力が抜けている
・きっちりしていない
・はっきりしていない
このあたりかね。
わたしの友人に、待ち合わせに99%遅刻しない社会人の鑑のような人間がいる。(見習わねば)。
飲み会の幹事もよく引き受けてくれて。
彼に対して「ゆるい」とは感じないよね。
どっちかといえば、きっちりしている印象。
でもね、その彼、7割の確率でドタキャンするのよ。
しかも理由はだいたい二日酔い。
どうよこれ。
わたし3回連続でドタキャンされて、さすがに怒ったわけ。
そうしたらその場にいた別の友だちが言ったのよ。
「あいつまじでゆるいよね」
「まあしょうがなくない?ゆるい仲なんだし」
…ゆるいとは?
ゆるい仲だったら(平気で)ドタキャンしてもいいのかな。
そもそも彼は「ゆるい」じゃなくて「ルーズ」じゃないか?
時間にはきっちりしているけれど、約束にはルーズ。
ルーズも日本語に訳したら「ゆるい」だけど、ゆるいとルーズでは明らかに印象が違うよね。
ゆるいって便利な言葉だからつい多用しがちだけど、何でも「ゆるい」で一括りにするのは違和感のもとだと思う。
わたしだってゆるい部分がたくさんあるし、でもきっちりしている部分もある。
だから「えいみちゃんってゆるいよね」とひと言で表されると、ちょっとモヤる。
ドタキャン男も時間にはきっちりしているわけだから、「あいつゆるいよね」は間違っちゃいないけど、適切ともいえない。
あと「ゆるいつながり」とか「ゆるい感じ」ね。
たしかに楽だよね。
でも明確なルールや縛りがなく、ある程度自由に振る舞っていいとしても、何でもありじゃないと思う。
つい甘えてしまいがちなんだけどね。
そこんとこは自分も気をつけたい。
それに、誰がどの部分でどれぐらい「ゆるい」って、かなりあいまいだから。
「そこはちょっと、ちゃんとしてないと嫌だな」と感じる部分だって出てくると思うのよね。
ただ、ゆるいつながりである以上これがまた伝えづらいのよね。
ゆるいほうに自分が合わせなきゃいけないのかな、と思っちゃう。
そういうちょっとした我慢が蓄積してくると、けっこうしんどい。
だからね、性格にしても人間関係にしても「ゆるい」の一括りのなかの違和感を見逃さないで、(相手に伝えないにしても)言葉にしていったほうがいいと思う。
「なんか違う」状態ってモヤモヤするし、嫌の正体を言葉にできないと繰り返す可能性が高くなる。
よく「好きに理由は要らない」という。
でも嫌には理由があったほうがいい。
自分に対しても、人に対しても、納得力が増す。
「あの人、なんとなく嫌なんだよね」って言われても、何がどう嫌なのか分からないからサポートもできないじゃない。
ゆるさのなかの違和感を見逃さない。
ゆるいからって何でもありじゃない。
自戒の念もこめて。