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想い出は苦手だ

今さらだが、この春放送されていたドラマ『イップス』を全話見終えた。

酷評の多さに驚きつつ、わたし個人的には楽しませてもらった。

書けなくなった作家と解決できなくなったエリート刑事がバディを組み、事件の真相を暴いていくミステリー。
犯人があらかじめわかっているスタイルもまた古畑任三郎っぽくておもしろかった。

ふたりとも、ある事件をきっかけにイップスに陥ってしまった。
イップスとは「できていたことができなくなってしまう」心理的症状。

イップスと聞くとわたしはなんとなくアスリートを思い浮かべてしまう。
あなたはイップスの経験があるだろうか。

∽∽∽

わたしにはイップスの経験はない。
けれども、強いてあげるのなら「過去の振り返り」に比較的高めの心理的ハードルを感じるタイプだ。

そもそも近頃は昨日のことさえ覚えていないような毎日なので、思い出せといわれてもだいぶ思い出せないけれど。

ただ事実のみを思い出すのならまだしも、「楽しかったできごと」とか「つらかったできごと」とか、感情にひもづいた過去を思い出すことに、非常に抵抗がある。

日頃から手帳には事実だけでなくそのときの感情もあれこれ書き散らかしているものの、手帳を使い終えたときに「読み直そう」という気には到底なれない。

旧友と会っても、学生生活のあれこれ思い出話に花が咲くどころか芽すら出やしない。

「あのときは楽しかった」かもしれないが、振り返ったところで過去の話であり、もう二度とその時間は帰ってこない。
浸れば浸るぶん、逆に悲しくなるではないか。

ましてや悲しいできごとやつらいできごとなど追体験したくない。
今も未熟だが、もっと未熟だった自分の嫌なところをまざまざと思い出したところで自己嫌悪の沼に足をとられるだけだ。
当時もうじゅうぶんに悲しんだのだから、もうおなかいっぱい。おかわりは必要ないし、自分を否定したくない。
それに、わざわざあらためて確かめるまでもなく涙の味はいつだってしょっぱい。

自分の過去をコンクリート詰めにして海の底深くに沈めているため、飲みの場などで延々昔話で盛り上がっている人たちの気持ちが理解できない。

そりゃあわたしにも多少はある。
あのときはのたうちまわるほど笑ったとか、あの日のビールは最高においしかったとか。
でも10分も30分も引っ張るような話題ではない。
…友だちが少なくてひとりでニヤニヤしているほうが多いから、誰かと共有できる思い出の少なさも影響していると思うが。

それに自分は「楽しい」を追求するよりも「悔しい」を跳ね返したい気持ちのほうが大きい気がする。
振り返るまでもなく、あのときの悔しさもこのときの悔しさも、永遠に味のなくならないガムのように心のなかに現在進行形で居座っている。

どんなにコンクリート詰めにして水底に沈めても、悔しさの出汁はどんどんにじみ出る。

過去を振り返るのが苦手というわりに、残念ながらめちゃくちゃ過去に足を絡め取られて生きているわたしだ。

お盆も近いことだし、不要になった感情には早いとこ成仏してもらって、ガソリンになるものだけを残して進んでいきたいね。



今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたはどんなイップスを経験しましたか?

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