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愛すべき無駄をこぼさない

入浴剤を入れたお風呂につかる時間はわたしにとって一種の至福のひとときだ。

限られた24時間のなかで、優先度がとても高い。
シャワーですませるなんてありえないとまではいわないが、限りなくありえないに近い。

ああ、そういうことかと気づいた。
何度読んでも、キッズ版を読んでも理解できなかった『7つの習慣』における第3の習慣「最優先事項を優先する」について。

7つの習慣は、第1の習慣から順番に取り組んでいくものとされている。
わたしは第2の習慣(ミッションステートメントの作成)でつまずいたので、第3の習慣を理解できてもあまり意味はないのかもしれない。

でも、わたしみたいな「人生行き当たりばったり」タイプは、そのときそのとき大切にしたいことから帰納的に人生の目標(ミッションステートメント)を導き出すのでも、あながち間違いではないのでは。

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第3の習慣では、わたしたちが日々時間を費やすものごとを縦軸と横軸の4象限で分類する。

縦軸がものごとの「重要度」
横軸はものごとの「緊急度」
左上が重要度も緊急度も高い第1領域。
続いて右上、左下、右下とZを描くように第2, 3, 4領域と続く。

7つの習慣®「第3の習慣:最優先事項を優先する」 | フランクリン・コヴィー・ジャパン

『7つの習慣』では、4領域のうち「重要だが緊急ではないこと」が分類される、右上の第2領域に時間を割くよう説かれている。

家族との時間だとか、振り返りと計画の時間だとか、「いかにも」な例がならび、辟易していたが…。

わたしにとってお風呂の時間は紛れもなく第2領域に属する。

そして(過度な)インターネットが「無駄」な第4領域に分類されているが、推しのビルダーをYouTubeでニヤニヤしながら眺めて溶かす時間は第2領域と信じたい。

風呂と筋肉以外も考慮すると、心躍ることや穏やかでいられること、そして頼まれてもいないのにこうやって文章をこねくりまわすことが、今度は人生でだいじにしたいこと(第2の習慣)に何らかつながっていくのだと思う。おそらく。

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ここからは長い屁理屈をこねることにする。

『7つの習慣』の初版は1996年。いわゆるインターネット黎明期。

もちろん時代にあわせて内容はアップデートされていると思うけど、初版のころはYouTubeもNetflixも日本にはなかった時代だ。

2024年においては、有益にも無駄にもなるYouTubeもNetflixのようなものが日常生活にあふれていて、第2領域と第4領域の境目はひどくあいまいになっている気がする。

それに、怠惰なわたしにとって第4領域は尻への着火剤である。
8月後半までたっぷりダラダラして一気に宿題を片づける小学生のように、一定の無駄な時間を過ごさないとエンジンがかからない。

それに、たとえば体は元気だけど憂うつでなにもやる気が起きず、ただただNetflixを観て過ごす1日は、単に無駄な1日で片づけられるだろうか。

…本当の無駄は違うところにあるはずだ。

第1領域の顔をした第3領域のほうがタチが悪い。
服が溢れる洗濯機
皿が積まれたシンク
2週間に1回しかないビン缶の回収日…。

わたしにとってはぜんぜん重要でない。
明日はくパンツがなくて仕方なく洗濯したとしても、得られるものは明日はくパンツと少しの疲労感だけである。

そうやって第1領域と第3領域で24時間がどんどん消費されていくから、反動的に第4領域が逃げ場になる。

無理なダイエットでのキレ食いや、がんばりすぎた結果の燃え尽きに似ている。
だからね、第4領域って、必要なの。

むしろ積極的につぶしていくべきは第3領域だ。
だからわたしはスマホも24時間サイレントモードにしているし、デスクトップ通知も限りなくOFFにしている。
通知は朝のアラームだけでじゅうぶん。


月末が近づき、わたしは今日も締め切りにお尻を叩かれてひーひーいっている。
しかしおやつの草餅を食べながらこれを書いているこの時間も、必要なの。

愛すべき無駄が24時間からこぼれ落ちないように、
必要な顔をした本当の無駄を省いていきたい。



今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたの「愛すべき無駄な時間」はどんな時間ですか?

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