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見て見ぬふりをしてきた悔しさ

荒れている。
最近のわたしはちゃんと荒れている。

シンプルに悔しいのだ。
今まで自分をだましだまししていたのは、薄々気づいていた。
「大丈夫、ちゃんと成長しているから」と、できるだけよい面だけを見るようにしてきた。


でも先日、ビジネスコーチにばしっと言われて、目が覚めた。
「えいみさん、もっと稼げるって。きついよ今のままじゃ。がんばってるんだから変えていきましょ」と、実にさらりと。
コーチのひと言はまるで三井寿のスリーポイントシュートがごとく、計算されつくしたような鮮やかな弧を描いて、心のゴールに吸い込まれていった。


Zoomの画面が消えてからも、どれぐらいだろう、ただただデスクトップの壁紙をどこに焦点を合わせるともなく眺めていた。


実は、同じようなことを言われたのは今回がはじめてではない。
1回、
2回、
3回目。

むくむくと、悔しさがこみあげてくる。

Twitterで「今月◯万円稼ぎました」みたいな報告を見かけても、誰が仕事の調子がいいとか大きな仕事が決まったとか耳にしても、別になんとも思わないのに。

わたしは今まで何を積み重ねてきたんだろう。
わたしがんばってるよね?
誰かがどうとかじゃなく、正しく努力してきたよね?
手も動かしてきたよね?
なのに、なぜ。
なぜだ。
こんなはずじゃない。


コーチはまたさらりという。
「グラスをひっくり返して水を入れ替えるべきフェーズがあるから。えいみさん、勇気を持って踏み出すときよ」と。

一度濁ってしまったグラスの水は、薄めても薄めても濁っていることに変わりはない。
グラスをひっくり返さない限り透明度100%にはならない。

整理整頓
断捨離
手放す

要は今手元にある仕事を見直しましょうと。
手放さなければ、あたらしいご縁は入ってこない。
だからグラスをひっくり返せ。

日頃あんなに時間の余裕がほしいと思っているのに、いざ整理していくとなると急に心細くなる。
もしも仕事がなくなったら、わたしなにをして過ごせばいいんだろう。


「先のことなんて考えられないぜ!『今』を積み上げたらなんとかなるっしょ」
と、ここ数年やってきたけれども、どうやらそうもいかなくなってきたみたい。
こんなことが起こると予期していたかのように、今月の頭にちょうど5年後の目標を描いたところだ。

今が5年後への、第1の階段を昇るときだ。


そんな矢先に2週間ほど帰省する。
仕事もかなり調整してセーブした。

グラスの水を入れ替える前に、頭をからっぽにしてこいという、どこかからのお告げなのだろうと思う。


来月から2024年にかけて、勝負の年になるはず。
しっかり充電してこよう。
思いっきりぶつかろう。
だめならそのとき考えたらいい。

悔しい思いはしたくない。
できるだけ穏やかにゆとりを持ちたい。
でもちゃんと悔しがれば、悔しさは強烈な弾力のロイター板になってくれるはずだもの。



今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたは最近、悔しい思いをしましたか?

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