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100オンラインは、1オフラインにしかず【POOLO卒業制作】
1月8日のキックオフから始まり、9月24日の卒業式までの9ヶ月間、私はPOOLOという旅人コミュニティに入っていた。
POOLOってなに?と聞かれると一言で表現できないので答えにくいのだが、旅が好きな人たちが一緒に学び語り、各々の道筋をより太くしていくコミュニティだと思っている。
詳しくはこのサイトを見てみてほしい。
このnoteは、そのPOOLOでの9ヶ月間を振り返るものとする。
あれ?最近復学して実験レポート書いてたからか、文章が固くなっている⁉︎
それは置いておいて、今回はPOOLOで感じいてたことを素直に書いてみようと思う。
POOLOとの距離感が分からなかった。
実は、私はPOOLOでどう活動したいのかよく分からないまま終わった。
私にとってPOOLOは、休学期間という特別な時期に活動していたことの1つでしかない。「特別POOLOに入ったから自分が変わった!」って感覚は持てていなかったのが本音。
この9ヶ月の間に自分のやりたいことがだいぶはっきりと見えるようになったが、それはPOOLOに限らず色んな人と出会ってたからでもある。
だから「POOLOでの活動を振り返えって卒業制作としてnoteを書く」と言われても、何について書きたいか全然思いつかなかった。
自分のできる範囲のことしかやっておらず「なんでPOOLOに入ったんだっけ?」と途中から分からなくなっていた。
なんかずっとモヤモヤしていた。不完全燃焼で終わった感覚が残る。
でもそのモヤモヤの正体がわからないまま、そっと横に置いておいていた。
だから9月17日の個人発表では、POOLOで感じたこととかではなくて、単純に私が今思い描いている未来やVisionをひたすら語った。
ここで未来予想図を語っておけば、これからもみんなと関わりやすいと思ったからだ。それはそれでよかったと思う。
でも、ずっと横に置いていたPOOLOへのモヤモヤが、9/17-19の淡路島での旅であらわになった。この気持ちを整理したくて、近くにいた人にちょっとずつ話すと、蓋をしていた本音がポロポロと出てきた。
そうだった。私がPOOLOに入った理由はもっとシンプルだった。
一緒に旅ができる仲間がほしい
見ず知らずの旅仲間がいる。そんなワクワク感に突き動かされて入ったのだ。
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Slackにそこそこいる人だったけど。
休学中である程度の時間もあったし、Slackにはよく登場していた。やってみたいと思ったことはすぐ企画するし、全く苦でもない。
noteもくもく会も、読書会も、ダンスレッスンも、どれも自分がやりたいからやった。
ひとりひとりの人生や、今感じてることとか、彼/彼女が見てる世界を覗くのが好きで、1on1が私の好物だった。
オンライン企画にはそこそこ登場してたし、Slackへの出現率も高い。POOLOへのコミット度は高い方だと、みんなから見えていたと思う。
でも本当は、オフライン企画でみんながどんどん仲良くなっていくのを見て取り残されている感覚があった。
たくさんの人と1on1した思い出や、チーム活動での思い出もあるが、今回はあえて口にしていなかった本音メインで書く。
そう感じていたんだと意外がられるかもしれないが、私自身この本音に気づいたのはここ10日間での話。もっと早く気づけばよかったと思う。
モヤモヤしていたことを卒業制作noteとして素直に書くことで、成仏させて、後悔を捨てて、前を向く。
そして、もしかしたら私以外にも似た気持ちを持っていた人がいるかもしれないと思って勇気を出して書く。
諦め続けたオフライン参加。広がる温度差。
本当は、もっとみんなと旅したかった。
この本音に気付かされた9/17-19の淡路島企画。
心情の変化が分かりやすいように時系列順に振り返ってみる。
1月8日、POOLOが始まった。まだお互いのことを何も知らない時期で、1on1が盛んだった。当時、私は旅をしていた。愛知、香川、奈良、和歌山、広島あたりを転々としていた。
1on1を重ねて場の雰囲気を知り、慣れはじめた3月、オフライン企画が増えてきた。西新宿でのエアビー企画に参加した。
はじめて対面で会った人ばかりだったし、まだ1on1すらしたことない人もたくさんいた。新鮮だった。ボードゲームで盛り上がって、夜が明けるまで語った。
エアビーの翌日、みんなは箱根に行くらしい。
スケジュール的には本当は参加できた。でもお金がなかった。
移動はみんな特急を使うらしい。宿代もそこそこな値段になりそうだ。移動ももしかしたらレンタカー借りるかもしれないとのこと。1泊2日の企画で2万円はかかりそうなのが分かった。
当時、日常的に旅をしてた私には到底出せる額じゃなかった。
休学中の私は月7万で旅暮らしをしていた。
住み込みスタッフで宿代を浮かせ、移動は絶対に夜行バス。1人でご飯を食べるときはおにぎり1個120円。
休学中に、いろいろと活動をしていたものの、お金のためにやっていなかったので常にお金がない。
みんなとは旅のスタイルが違う。ライフステージも違う。
この頃にはそう感じ始めていた。
私は、住所不特定という名の半地方勢でもあり、大学生というマイノリティでもあった。
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4,5月、星取り旅と山梨キャンプでPOOLO全体の温度感が変わる。
星取り旅も本当は参加できた。GWは広島の宿にいたから、会いに行こうと思えば会いに行けた。
でも、ただでさえ値段の跳ね上がってるGW中。いつも以上に移動にお金がかかる。宿代もそこそこしそう。せっかく〇〇にいるなら美味しいもの食べたい、色んな体験がしたい。そんな空気を感じて、参加をためらった。
4/30の講義。鳥取砂丘から講義を受けているカオスさ。楽しそうで羨ましかった。
5月の山梨キャンプも、本当はスケジュール的には参加できた。でも参加しなかった理由は同く、金銭面の心配があったから。
まぁ、LAC八ヶ岳は行ったことあるし……。大人数苦手だもんな……。そう思って、参加ボタンを消して、様子見で入っていたグループを退出した。
でも、山梨キャンプを楽しみに準備しているみんなのワクワク感を見て、気持ちが揺らいだ。やっぱり参加したいなと思った時には、もう他の予定を入れてしまっていた。
山梨での思い出の写真がSlackに流れてくる。きっと濃い時間を共有したのだろう。POOLOの結束力がだんだん強くなっていくのを感じると共に、その輪に私はいないと、うすうす感じてしまっていた。
「〇〇ってさ、こういうところあるよねー」
「△△に行ったときさ、あんなことあったじゃん!」
「あれをもじって変なスタンプ作っちゃった」
そんな共通言語も、共通の思い出も、私は持っていなかった。
そして6月頃からPOOLOの雰囲気はまた変わる。
「みんな、もう充分に仲良くなったから、これからは共創の時期だよね。」
たしかにオフライン企画で顔を合わせたみんなの仲は深まっていた。でも私はまだ、みんなのことを1on1で知ったところで時間が止まっていた。
POOLOへの温度感は、まだ3月のエアビーで止まっていたのだ。そして1on1でこの質問が流行りはじめる。
「えみぞうは、POOLOだと誰と仲良いの?」
当時の私からすると、まだ、みんなと1on1で自己紹介したくらいの感覚で止まっていたから、正直言葉に詰まった。みんなのことを同じくらい知っていて、同じくらい、かなり好きだった。
どうやら、旅を重ねる中で仲良しメンツができていってたらしい。この人とは気が合うなーってのが分かりはじめていたのだろう。
それ以降も、ディズニー企画や、登山企画や、フォトウォークや、おいでよ企画、さまざまなオフライン企画が立ち上がった。
でもどれも同じ理由で参加をやめた。もはや参加しないこと対して、違和感も抵抗もなくなっていたのかもしれない。
大人数での企画は基本、集団行動。みんなで同じことをするから、金銭面の融通は効きにくい。それに私は、大人数でいるよりも、サシでじっくり話す時間の方が好き。
1on1は、相手のことをよく知れるし、お金もかからないから一番満足度が高くできた。オフライン参加は諦めて、1on1で一人一人と向き合う時間を大事にしようと思った。そうやってPOOLOでの活動の仕方を模索していた。
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でも心のどこかでモヤモヤが残る。
「そういえば、私ってなんでPOOLOに参加したんだっけ?」
たくさん立ち上がるオフライン企画。でも私は参加できない。
企画が立ち上がるたびに「行きたい!でもお金がない……。もうすぐ今月の引き落としだ。バイトしなきゃ。」と葛藤していた。主催者に予算を聞いて諦めることを繰り返した。
正直辛かった。めちゃめちゃ辛かった。悔しかった。
お金のことはPOOLO活動に限らず苦労していた。どこに行くか、何を食べるか、どう移動するか。考えるたびに「お金がないのに」と選択を迫られる。企画の情報が流れるたびに心が揺さぶられていた。
Slackには、私が行きたかったはずの企画で盛り上がり「楽しかった!POOLO最高!みんなありがとう!」という投稿が流れる。
なんでそこに私はいないのだろう。
社会人になってからだったら、もっとPOOLO楽しめたのかな。
そう割り切ることで気持ちを整理した。割り切った途端、気持ちがPOOLOから離れていった。
周りは「POOLO最高」「POOLOで新しい自分に出会えた」「POOLO卒業したくない」とさらに盛り上がっていく。
広がる温度差。
温度差を感じとると、不思議と私の温度はさらに下がっていった。
そして第4タームが始まった。POOLOに対する自分の気持ちは、まだ整理がついていなかった。
このままでいいのかなとモヤモヤとした感覚がずっとあったけど、その原因がどこにあるのか当時は分かっていなかった。
みんなと出会えたことに心から感謝しているし、これからも仲良くしていたい。だけど「POOLOであること」への帰属意識は、たぶん弱かった。
9月には大学に復学して忙しくなる未来も見えていた。
冷めてしまっていた私の心は素直で、残酷で、POOLOのために何かをするということに対してのモチベーションがいまいち湧かなくなっていた。
第4タームもボヤッとした参加になってしまったし、卒業旅行も行くのを諦めてコンテンツ企画もやりきれなかった。申し訳ない。
POOLOが終わったら、このモヤモヤから逃げられる。温度差を感じなくてすむし、金銭面で迷う頻度も減る。そう思ってしまっている自分がいて、悲しかった。
でも本当は、みんなと遊んで語って肩組んで泣いて笑っていたい。
このままじゃ後悔するよ?と私の心が叫び始めた。
運動会企画も、1泊2日でざっと2万円。ルーティン通り参加しないつもりだったが、急遽行くことにした。
のびのびと楽しんだ!ありがとう!夜は体が悲鳴をあげるまで踊った。やっぱり、宿泊ありでみんなと時間を過ごすと、ぎゅぎゅっと距離が縮まる気がする。
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それでも、まだPOOLOに対するモヤモヤの正体がわからなくて、卒業制作noteで何を書くか迷っていた。
淡路島企画で溢れ出てしまった本音。
卒業ムードで盛り上がる中、冷めている自分の気持ちに気づいてしまっていた。
そんな自分に「おいおい、マジかよ」と思いつつ参加した9/17-19の淡路島企画。第2タームで一緒だったのすけと、5月からずっと一緒に企画していた。
私にとってはPOOLOで初参加の大型旅企画だった。というか気づいたら大型企画に参加しないまま9月になっていた。
この旅で、今まで蓋をしていたはずの感情が、次々と溢れてきた。
17日の最後の個人発表。本当は私も、思い出をひとつひとつ振り返って、POOLO参加してよかったありがとう!と伝えて感極まって泣くタイプ。
でもとても冷静なテンションの自分に違和感があった。"THE☆不完全燃焼"という感覚がズンと来る。
旅の途中、POOLOを振り返る時間が来る。「〇〇に行った時あんなことがあってさ、△△に行った時はさ……」「あーーわかる!!」という会話には入れない。
その思い出は、私にはない。
ずっと感じていた「私はPOOLOの輪の外にいる」という蓋をしていたはずの本音が浮かび上がる。
もう一度蓋をしたかったけど、本音に気づいてしまったからには向き合うしかない。この違和感&勘違いをどうにか処理したくて、同じ配車だったクラコーに感じていることを伝える。聞いてくれてありがとう。
そして、今までお金を理由に諦めていたことが、たくさんあったと気づく。
きっかけは淡路島の海辺でのSUPだ。参加費は税込5,500円。ただでさえ移動や宿代でお金がかかっているのに、たった1時間の体験にそんな額は出せない。
1年間の休学期間で磨いてきた"財布の紐閉めスキル"によって、SUPの話が出た企画段階から、あたりまえに諦めていた。
お散歩とか、お散歩とか、お散歩とか、お金をかけなくても楽しめる方法を知っていたし、他のSUPしない子と深く話せるいい時間になるだろうから、あまり迷いはない。
……はずだった。SUP会場につくと「落としてやるぞー」とみんなのテンションがさらに上がる。「いいな、お金があったら私も参加したかったな」と本音がもれる。
また蓋をしてたはずの気持ちが表に出てきた。
すると、みんなでちょっとずつお金出すから参加しなよ!!と言ってくれた。
ためらっていた私の背中を押して、真っ先にSUPの受付の方に「今からでも追加できますか」と聞いてくれた、まさきけん、ありがとう。そして、払ってくれたみんな本当にありがとう!直前に予定を変えたのにシフォンケーキのお土産をくれた、えなもありがとう!
本当に本当にありがとう。
こうして参加できたSUPは、めっちゃめちゃ楽しかった。落としあったり(ほぼ落とされた)、SUPの上でヨガしたり、一つのボードに複数人で乗ったり、紐にぶら下がったり。
いやいや、POOLO生の遊びへの想像力豊かすぎるじゃん!って笑いながら、全力で楽しんだ。何度も海に落ちて、たくさんの海水を飲み込んだ。
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お金がなくても楽しめるし、別にいいもん!私なりにPOOLO参加するもん!と強がって、ピーーーンと張っていた糸が、この日、プツッと切れた。
何が「大人数苦手だから参加しない」だボケ!強がってんじゃねーよ!
たぶん、このお金との葛藤や、オフライン企画に本当はもっと参加したかった、みんなと旅したかったという気持ちが、一番隠したかった本音だったのかもしれない。
家に帰ってから、涙が止まらなかった。帰った日も、次の日も泣いた。そしてこのnoteを書いてる今も涙が止まらない。
なんでもっと早く本音に気づけなかったんだろう。もっと早く、1回でもPOOLOの旅企画に参加してたら気づけたのに。素直にヘルプを出せばよかった。
もしPOOLO期間中にみんなと旅をしていたら、堂々とした気持ちで卒業式に出れたのかな。
もっと、私が休学中に感じていた不安や焦り、迷いとか、そんな悩みを共有していたら、さらに深い関係になれていたのかな。
「えみぞうって、こういうところあるよねー」って知ってもらって、もっとみんなの「〇〇って、こういうところあるじゃん」って知れたのかな。
しょうもないタラレバが卒業後の今、頭から離れない。
だからこの卒業制作noteで、本音をまんま書き出して、成仏させたいと思った。
ほんとだ!POOLO最高じゃん!
淡路島で気づいたことがもう一つある。
ほんとだ!!!!POOLO最高やん!!!!!!!!!!
今までは、POOLO生ひとりひとりへの想いはあったけど、「POOLOへの特別感」とか「POOLOへの帰属意識」みたいなのが、いまいち持てていなかった。
みんなが最高なのは当たり前なんだけど「POOLOだから〇〇」って言われると、正直ピンと来なかった。(運営の方々ごめんなさい、POOLOが嫌いとかそういうことじゃないんです本当に。)
団体での企画にはあまり参加していなかったから、POOLOならではの空気感っていうものを味わっていなかった。
私にとって淡路島企画はPOOLO活動の中で転換点と言えるくらい、気持ちの変化が大きかった。
周りが「POOLO最高」「POOLOで人生変わった」みたいにテンション上がっている理由が、やっとわかった。私の心の温度も上がった。
それぞれの個性やクセを、好きなときに好きなだけ出している。一緒にいて笑いが止まらない。
「POOLO好きすぎて、みんなと一緒にいたい、離れたくない」って気持ちも分かった。淡路島企画が楽しすぎて帰りたくなかった。今でも写真を見てにやけてる。
温度差を感じて、離れようとしていたけど、むしろこれから、改めてPOOLO生のみんなと話したいと思った。
POOLOに参加した理由を思い出させてくれた淡路島企画。たくさん企画してくれた、のすけ!ありがとう!!!!!
POOLO卒業後、どうするか。
時は流れる。
しょうもないタラレバは、もう味わいきった。
大事なのは、これからどうするか。
もっとみんなと旅したい!!という本音は大事にしたい。
ただ9月から大学に復学して、それなりに時間と場所に縛られている。研究室に慣れるのに必死で、まだペースが掴めていない。
ハルナが声を上げてクラファンをしてくれたおかげで、大学生の参加しにくさを心配してくれる人が増えた。声をかけてくれた方々、本当にありがとう。心が救われた。
えみぞうもクラファンしたら?という声もあり、真剣に考えた。ただ結論から言うと、
クラファンはしません!
でも、みんなともっと話したいので、もしよかったらご飯誘ってください!!(お気持ち分おごっていただけたら嬉しい……)
という気持ちです!
クラファンをしない理由は、
①集めたお金でPOOLOに寄与するほど、時間の余裕と自信がないから。
②お金を頂かなくてもしたはずのコミュニケーションを、お金ありきにすることに抵抗があったから。
③POOLO卒業後の今になってやるのは違う気がしたから。今後は大型企画も減るかもしれない。
そしてご飯誘ってください!の意味はシンプルで、「みんなともっともっと話して、見てる世界を共有しあいたい!」これに限る。もちろん旅もしたい。
正直、お金がなくて、日々選択をためらう悩みは今後も続きそう。
東京での定住に戻ったから、すぐにバイトを始めたいところだが、研究室の実験のスケジュールが全く読めない。
週2,3ペースで働く余裕は、しばらくない。薬学部のヘビースケジュールを素直に伝えると、大体のバイトは受からない。
実家にいる分、旅していた頃より生活は楽になるが、それでもPOOLO生と金銭感覚は違う。選ぶ店も宿も移動手段も違う。
私はみんなとおしゃべりできれば充分なので、ぶっちゃけ公園で会うのでも嬉しい!散歩も大好き!サイゼとかトリキとかでいいし、おにぎり1個でも幸せ感じれます!笑
なので、もし、また改めてしゃべりたいなーと思ってくれる方がいれば、いつでもお誘いお待ちしています🎶
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さいごに
いやー、想像以上に長くなってしまった。
私のnote相棒コージーから「ながいよー」と愛あるツッコミをもらえそうだ。笑
最後に、POOLO卒業について、私なりの言葉でまとめてみる。
どうやら今日でPOOLO3期が一区切りだったらしい💭
— えみぞう (@amy_amy_twi) September 24, 2022
もしかしたらコミュニティとして、集団としての色は、これから薄くなるのかもしれない。
でもその分「個」との時間をもっと大切にできるのかも🌱
POOLOという括りがあってもなくても、一人一人の旅路と向き合ていればそれで私はいいのだ☺️#POOLO pic.twitter.com/3GKwKxsXub
この9ヶ月間はあくまでも出会うきっかけ、知るきっかけ。
— えみぞう (@amy_amy_twi) September 24, 2022
この期間で何が生まれたか、何が変わったかなんて正直今すぐには分からない。
きっと何年後かにちょっとずつ花が咲く。
そんな予感だけはしてるよん🌱
みんな!出会ってくれてありがとー!
これからこそよろしくね😛
きっと、私以外にも、参加したかったけど参加できなかった人がいると思う。同じく大学生だったり、地方勢だったり、平日休みのお仕事だったり、仕事が本格化して余裕がなかったり。
9ヶ月間ずっとフルコミットなんてそう簡単にできるものではない。みんなそれぞれの生活がある。「POOLOに応募した」という事実があるだけで充分だと思う。
そして、今、卒業制作に何を書いたら良いか迷っている人もいると思う。この9ヶ月で得た学びを実感できるのは、もしかしたら今すぐではないのかもしれない。うまく言葉にできなかったり、まとめられなくても仕方ない。自分のペースで、POOLOと向き合えば良いと思う。自分と向き合えば良いと思う。
きっといつか、芽吹くから。
POOLO3期
えみぞう