新、進

現在イギリス在住の日本人ミュージシャンの「小袋さん」が昨日29歳になられたタイミングで書かれた記事。
たまたま「シンニホン」という本を読んでいて、
その内容と少しかぶっていた。

もちろん小袋さんの方が気楽に読みやすいので「確かにな」という感覚を気軽に感じられた。
もっとも「なるほど」と思えたのは「新しい価値観が導入しやすくなる、受け入れられる、それこそ新しい当たり前になる」ということ。

そして「シンニホン」で共通しているのが「若者の可能性」だ。「シンニホン」では「異人」が未来をかえると述べていて、「特に若い人がその未来を変える力をもっている」という事実をエジソンや過去の著名人を例にしたり、若者はミドルエイジの方と比べて既知が少ないため新しいアイディアや疑問が思い浮かびやすい状態にある、ということを例に挙げたりして説明している。

つまりたまたまよんだこの2つのコンテンツで共通しているのとまとめられるのが「若い世代は未来を変える力をもっていて、今まさに変わりやすい時代になっている」ということ。

新たな扉が開かれたような、とんでもない時代に生きている。更に27歳になった自分は2人の著者がのべる「若者」に分類している、まさに2つのコンテンツのメインターゲット・主役なのだ。

大学に入るまで海外で生活してきた私は日本で働き始めた当初「?これってなんでこうするの?」(自分は効率が良い人間ではないが)「効率悪くない?」「無責任じゃない?」など様々な疑問を感じた。この2つのコンテンツを読んでその時の感覚が蘇った。

例えば打ち合わせでよく「何もない時間」がよく流れている。または「空気をよめ」タイムがスタートする。打ち合わせではまず議論されて、そのあと解決策やまとめ作業を行なって会議を締める。ただ締まりそうで締まらないふわふわした状態が良くあり、「結局どうするんだっけ?」という突っ込みたくなる時間が30分以上続く時がある。今でも「これって私が分析し切れてないから?空気を読み切れてないから?」と思い焦ってしまう。誰かが「つまりこういうことですか?」とスパッとその空気に喝をいれればいいものの、そのふわふわとした時間に心地よさを感じているのか、責任がない状態なのでただ気楽な状態を維持したいのか、すごく「もったいない、無謀な時間だな」とよく感じる。「そういう文化なんだな」とサラッと流していたが、そういうちょっとした「当たり前」がジョジョに変わっていくのかもしれない。

未来はそもそも未知なものだが、いまこういう世の中になって、その「未知」レベルが宇宙レベルにまで到達しているように感じる。医療関係者や飲食の方、本当に苦労されている方がいるのでこう思うのに後ろめたさや申し訳なさもあるが、この新しい可能性に興味深さを感じる。

本当に世界は変わるのかもしれない、そう思えたし、そういう感覚は今後そうそう感じることはできないかもしれない。



Nariakiさんの記事:

【URL】新時代|Nariaki #note
https://note.com/nariaki0296/n/n5b50a842af4f


シンニホン:

【URL】シン・ニホン AI×データ時代における日本の再生と人材育成 (NewsPicksパブリッシング) https://www.amazon.co.jp/dp/4910063048/ref=cm_sw_r_cp_tai_ovgREb0RAVRB4