バカ野郎!ひとりにしないでよ。アメリカで夫に先立たれた妻のバイブル (8)
厄介なおもい
『家族を亡くしたあなたに。死別の悲しみを癒すアドバイスブック』の著者キャサリン・M・サンダーズは、死別の悲しみのプロセスには第一段階《ショック》第二段階《喪失の認識》第三段階《引きこもり》第四段階《癒し》第五段階《再生》の五つの段階があると述べています。
死別の経験は二つとして同じものはなく、ほとんどの人は実際に愛するものを失うまで死別の悲しみがどんなものか、本当にわかっていません。
故人とどれくらい親しかったか、亡くなった人の、あるいは残された人の人生のどんな時期に死が訪れたのか、どのような状況で死がもたらされたのか……これらは死別の悲しみに違いをもたらし、乗り越えるまでの時間もそれぞれ異なってきます。しかし、どの死別にも共通する事があります。
それは【苦痛】です。
愛するものを失った人の誰もが耐え難い感情的苦痛を味わいます。この苦しみから逃れる方法はありません。苦痛から癒やされるために苦しみを【経験】し、乗り越えなければいけないとわかっていても、どう対処してよいかわからず、肉体的に頭痛・胃腸障害・動悸・めまいなどの症状が出たり、自分ではどうにもコントロールできない【パニック症状】に襲われることもあるのです。
心理的な症状としては、不可能と知りながら個人を取り戻したいと願ったり、泣いたり、怒ったり、フラストレーションを感じたり、罪悪感や恥の意識を持ったりといった症状がおこります。
自分にとって大きな意味を持つ人を失うと、社会的に孤立したように感じたり、仲間はずれにされたような気持ちになったりします。これは、死別を経験する前の自分とは違うと感じることが原因で、夫や妻を亡くすと、それまで暮らしていた地域社会や友人の輪の中における自分の役割が大きく変化します。
私の場合もひどい孤立感を感じました。いいえ、正直にいうと今も感じる時があります。夫と共有していた仕事関係の人との関係が変化した事も、自分の友人だと思っていた数名から夫を亡くした私を腫物のように扱われた事も孤独を深める原因でした。
どのように接してよいのかがわからない。それならいっそのこと、そっとしておいた方が良いと思ったのかも知れません。しかし、それは臭いものに蓋をする心理と同じです。死はタブーであり、そのイメージは陰気臭く、残された家族の悲劇など見たくないのです。幸せな自分とは違う。そんな不幸に私はなりたくない。死とは全ての人に訪れる現実なのに、その事実から目を逸らしたい。距離をおくことで自分自身の不安に蓋をする。目に入らなければ、聞かなければ、不吉なイメージである死は自分とは関係ないものです。
「あなたの服装は黒っぽいものばかりなのね。だから不幸を呼ぶのよ。私のように明るい色を着なきゃだめよ」「意識は現実を呼ぶものなのよ。私は絶対に不幸にならないの」「幸せだけを感じるために私は地球に生まれてきたの」
私が実際に言われたスピリチャル大好き友人の言葉(セリフ)です。どんな服を着ようがあなたの知ったことじゃないし、不幸を呼びたい人間なんて、世界中探してもいるわけないじゃん。私の意識が夫の死を呼んだとでも言いたいの? あなたが人の死をまだ見ていないだけで、世の中の全ての人が死ぬ運命なんだよ。永遠の命なんてないのに。夫に死なれた私は不幸を感じるために地球に来たとでも言いたいの?
心の中で【???】たくさんの疑問符が込み上げてきましたが、その場では何も言いませんでした。夫を亡くした直後でショックを受けていたというのもありますが、良い人だと思っていた彼女との友情を失いたくなかったからです。でも、そもそもこの友人は私のことを思ってくれていたのでしょうか?
悲しみを乗り切るには、友人の優しさは大きな慰めとなります。傷つけてくる友人もいれば、いつも愛してくれる、元気な時も落ち込んだ時もありのままを受け止めてくれる友人もいます。そんな心優しい友人の存在はとても大きいです。時差があるのに私の時間に合わせて電話をくれる日本に住む友人、いつも思っているよと言って寄り添ってくれる在米の友人。彼女達には感謝してもしきれません。そのような友人たちの愛を感じた事は救いであり、生きる支えとなっています。
このような状況から、その人本来の性質を知る事が出来たことは私の人生において、本当の意味での学びなのかも知れません。