バカ野郎!ひとりにしないでよ。アメリカで夫に先立たれた妻のバイブル (2)
搬送までの地獄
風が荒野を吹き抜ける。ウエスタンブーツで颯爽と歩く街。
そんな田舎に移り住んで一番喜んでいたのは夫だった。
自宅庭を駆け回るバイクの音。
トラクターで芝を刈る雑音。
遠くの山間から聞こえてくる野獣(コヨーテ)の遠吠え。
ピィー・ピィと鳴く鶉(うずら)の声。
走り回る野うさぎの兄弟たち。
全ての日常が驚きであり、幸せだった。そして、その幸せが永遠に続くと思っていた。
その朝、救急車のサイレンが鳴り響いていた。
911…夫が倒れてから到着するまでかかった時間、約30分。
その間、息子が必死に蘇生をした。
肋骨が折れるほど、胸を押した。
子供の頃に習った蘇生術がここで生かされるとは、息子も私も考えていなかった。
泡を吹いて気絶している夫の息が何度となく吹き返す。
救急隊がついて、AEDで心臓に電気ショックを与える。
搬送中も絶え間なく行われていた蘇生とAEDで心臓は弱いながらも動き出し、そのまま緊急医療病棟からICUへと運ばれる。
緊急治療室のドクターが搬送までの蘇生を誉める。
「(蘇生)よく頑張ったね。心臓は自力で動き出した。あとは脳のダメージがどれくらいか…これから調べるが、命の心配はない。峠は越したよ」
緊急治療のドクターがずっと夫の担当なら……助かっていたのではないかと悔やまれてならない。
その朝の出来事を思い出すと心臓の動悸が激しくなる。【胸がえぐられる】という表現があるが、こういう事だと初めて言葉の意味を体感する。
この日から私は持病を抱える身となり、一生治る見込みがない。心的外傷後ストレス症候群。PTSDとかトラウマなどとも呼ばれている。
倒れ込んだ夫の症状が尋常でないこと。
それはどう足掻いても消すことの出来ない事実であり、耐え難い事ではあるが現実だ。オロオロしている私は、ズタズタな心と不安を抱え……搬送された救急病院の冷たい待合室で子供のようにただ呆然と震えながら座っていた。