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編み物で主体的になる

あむ手帖のテーマのひとつが
 ”主体的”になれること

自主的や自発的など 類似語がありますが
ここでは
”主体的”になることを少しだけ目指します

これまでの私は
[言われた通りの事をちゃんとする]
[きっと周りはこう思ってるだろうからそうする]
それはちゃんと責任感をもっているつもりでした
言われた通りの事をちゃんとするのですから…
そして
今でもこの感覚は消えてはいません
消えてはいませんが
新しい感覚も芽生えています
[言われた事を取り入れながら
       自分のやり方でする]
[きっと周りはこう思ってるだろうけど
           私はどうだろう]
一見 わがままになった ともとれそうですが…

大きく何が変わったかと言えば
これまでの私は
[自分がした事の”責任は周り”にある]という感覚
変化してきているのは
[自分がした事の”責任は自分”にある]という感覚

これまでの私は
ある意味 楽な生き方をしていたのだと思います
みんながそうだから
あの人が言ってたから
私には責任ないでしょ
結果に責任をとらなくて良いのは大変”楽”です
でも
それでは周りを傷つける事があります
自分も見失います
自分を見失う結果 自分も傷付きます
“楽”を選んだ結果 “苦”が待っていました

“主体的”に生きるという感覚を手に入れられたのは
心理学に出会ったことがきっかけですが
それまでに編み物をしていたことも
大きく影響している事に気付きました

私がしていた編み物は
とても“主体的”だったのです
自分で決めて→行動する→結果に責任をとれる
責任をとるなんて とても大げさな表現ですが
やってみれば そうでもありません
どんなものが出来上がるか想像して編みますが
その通りにならない事も想定します
想定内の仕上がりの時もあれば
想定外の時もあります(良くも悪くも)
その仕上がりに対して
OKを出すかNGとするか
NGならそのあとどうするか
始める時から終わる時まで
自分で”決めて行動する”
そこには
誰のせいでもなく 誰のマネでもない
自分の責任があるのです
やってみると
難しいことはありません
編み物は自分完結ですから

編み物で実感した”主体的”な行動を
ゆっくりとじっくりと確実に
社会生活に取り込んでみてください
きっとそれは
“楽”な選択ではなく
“楽しめる”選択に変化していることでしょう

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