朗読劇『若きウェルテルの悩み』観劇レポート

『若きウェルテルの悩み』5月3日の昼公演を観劇しての感想です。原作は高橋義孝訳(新潮文庫)を既読です。

主に山口智広さんの演技にからめての感想になります。

配役
ウェルテル 村瀬歩さん
ロッテ 豊田萌絵さん
アルベルト他 山口智広さん
ヴィルヘルム他 井上和彦さん


今作では、山口さんはアルベルトほかいくつもの兼役でのご出演でした。小さな子ども、若い女性から、伯爵まで、広い年代を演じられていました。いつもながら、対話する相手への視線の送り方や、それぞれの人物らしい仕草や表情まで細かくお芝居されているのが印象的でした。

「人々」や「町の人」といった台詞のなかでは、和彦さんと山口さんの息のあった軽快なやりとりが小気味よく、重苦しい展開の中で緩和の役割をしていて、続く物語との落差もありいいテンポで繋いでいました。

農夫は、仕える女主人のもとに身を置きながら彼女への烈情を抱えて、彼女に拒まれたことから狂ってしまう役でしたが、ウェルテルに対して語る口調が淡々としているのに、その心の奥底に潜む暗い激情が垣間見えると思わせる山口さんの演技でした。

そしてアルベルト。ウェルテルの恋い焦がれたロッテの婚約者としてのアルベルトは、ウェルテルからみても尊敬すべき年長者として描かれていて、山口さんの落ち着いて理知的な雰囲気の声色がとても素敵でした。ウェルテルと部屋でピストルを巡る話しをするシーンで、「しかしながら」という言葉を引き金に、ふたりが論争を繰り広げますが、このときの山口さんの、相手を蔑ろにしたいわけではないけれど、幼くて頑固な、独自の思考に固執しているウェルテルを可哀想に思う表情と口調が印象的でした。改めてこのシーンを読み返したら、アルベルトは、ウェルテルという人間はピストルを手元に置いたら自殺しかねないことを理解していたのだと思えて、ラストの彼の行為がより恐ろしくなりました。

終盤、再び登場する「しかしながら」はウェルテルの行為に対しての非難であり、その行為を受け入れているロッテに対しての憤りも含んでいたように感じました。「ピストルを貸してほしい」というウェルテルからの手紙に対して、ロッテの手からそれが渡るように仕向けたアルベルトの行動に、彼の本心が見えてぞっとしました。ロッテにそう命ずるときの山口さんの冷ややかな視線や声色は、思い出すたびに背筋がすっと寒くなります。


人間という生き物は、それぞれが感情をもち、伝える術をもつけれど、その強さや方向が異なるがために齟齬が生まれ、それゆえに愛情が憎悪へと変わったり、また別の相手との関係が作用して憐憫を感じたりするものです。この複雑な感情というものをもった生き物だからこそ、精神が衰弱したり、狂気を発症したり、自らを殺す行動を進んで選択する。

身を滅ぼすほどのウェルテルの激情を、読者や観客は、憐れんだり、呆れたり、如何様にも捉えられると思います。私も初め、ここまで感情、情動に突き動かされて生きるウェルテルを理解できないと思ったけれど、この物語の語られる手段、手紙を書くという手法のことを考えたときに、まさにいまこうして自分の捉えた感想を記録して伝えようとするこの行為も、まさしく感情の発露に他ならないと思い至って、複雑な気持ちになりました。


劇の最後は、ウェルテルの最初の手紙で締めくくられました。溌溂として、新天地でのこれからの生活に楽しみを見出そうとする若者としてのウェルテル。彼がその先に、ロッテと出会い、淡い恋心から始まった彼女への想いに苦しむことを知っている観客は、冒頭では語られなかった彼の生来の人生観をここで初めて知ります。悲観的ではなかったウェルテル。豊かな感性で、5月に芽吹く自然を喜びをもって受け止めて、友人に宛てて晴れやかな顔で手紙をしたためるこの青年の、悲惨な最期を知っているからこその対比でとても切ない気持ちになるラストでした。


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