見出し画像

継続断念~ウィーンで浮かんでは沈んでいった思念-4

バロックつながりで、この稿を故・大室幹雄先生の思い出話に繋ごうと考えていたが断念した。結論、まだその秋至らず。

考えていた繋ぎはこうだった。

知人友人間でバロック好きという人がいない。

ある夏(1995年)、ドイツ滞在中の大室幹雄先生と知り合う。

先生は、バロックとくにドイツ・バロック好きで、わたしが見たバロック教会はすべてご存知のうえ、わたしが未知のウィーンやオーストリアのあれこれについて教えを賜る。

大室先生はその著作『劇場都市』において、歴史的事実つまりクロノロジーとは無縁のいわばメタファーとしてのバロックというレトリックを用いて、「漢代バロック」という生産的な概念を提出していた。

その後、新作のご著書を賜ったり、お手紙を頂戴したり、度々来独されるそのたびにお会いしてご教示をいただくなどの交流があった。

いわゆる「コロナ」のせいでお目にかかれない期間があり、そして2021年9月ご逝去。

家の事情で厳重な「コロナ」対策入国管理をおして一時帰国した2021年秋、次ぐ日は四十九日の法事で納骨という一日、先生のご自宅を訪問し御遺骨に別れを告げさせていただいた。

それからすでに3年がすぎ、そろそろ先生の思い出を記してもよいころかと思った。

しかしお別れの日、御息女でガラス工芸作家の桃生さんからうかがった先生の晩年やご逝去当日のお話などを公開するのははばかれる。

そして、わたしの問題として、いただいたすべてのご著作を再読し先生のなされたお仕事の大きさ深さを探求する作業が思うように進まない。

わたしも古希をすぎ体力気力も減少し、また何事かを為そうという抱負も喪失した。

わたしが大室幹雄先生につきなにかまともったものを書くことはないだろう。わたしはその任ではない。個人的には先生のくださった貴重なものを抱きしめて生きてゆけばいいのだと考えている。

大室幹雄先生のお仕事机の右側に貼られた秋艸道人すなわち会津八一の言葉をもじった先生自筆の文字通りの「座右の銘」。

いいなと思ったら応援しよう!