「幸せ」は目的じゃないと知ると自己受容は楽になる
「幸せ」にならないといけない
それはすごいプレッシャーを生みますよね
スピリチャルあるあるかもしれませんが
目指すところが
「解脱=苦しみからの解放=幸せ」っていう
図式になってしまうと人生のデフォルトが
すごく苦しくなります。
でも人生のゴールは「幸せ」ではなくって
魂の「チャレンジ」。
そうです。
私たちはいつも自分という存在を
コツコツ、
ピカピカに
磨いていくんです。
幸せを「目指すべきもの」に設定してしまった人は
不幸です。
幸せじゃないものは全部否定され、格付けされてしまいます
でも多くの人の人生って
幸せ以外のもの全て、じゃないでしょうか?
放っておいても
人生の方から
いろんな出来事がやってきます
そこで苦労したり、助け合ったり、
困難に立ち向かったり、
解決していくプロセス。
そういうのが真価であって
安易に「幸せ」=手に入れるべきものっていう定義が
人生の「いい時」「悪い時」を隔てて
「いい時」を生きてない時間はなんなんだ
「いい時」を多く過ごせない自分には価値がない
「いい時」をたくさん過ごしていそうな人がすごい
などの
自分の否定などに繋がったりしています
自分の闇を否定することにもなってしまいます。
するとすっごい苦しくなっちゃう
闇は認識されることなく、
光を見ることがなく、
いじけて燻ります
そして不満が募ります。
それが生きづらさに繋がっていきます。
ブッダは
解脱をするとき、
菩薩に説得されて
この世界にとどまりました。
菩薩は
超越した意識に
1%の苦しみへの共感つまり、
慈愛を持っており、
人間を慈しんでいるのだそうです。
と、いうことは
結局
ピッカピカ〜〜
に磨かれた後は
他の人を磨くために
戻ってくるということ。
涅槃とは
この世そのもの