ホームレス支援は交換留学に似ている。
元ホームレスのおいちゃん達が暮らすハッピーミラクルホームに初めてやってきたとき、不思議の国に迷い込んだようで、これはまるで「留学」だと思った。
手にしたお金は一瞬にしてお酒に生まれ変わるおいちゃん。
ありとあらゆるゴミを外から部屋に持ち帰ってくるおいちゃん。
常に男と借金の絶えないマドンナ。
人に奢るのが趣味で自分の生活費がすっからかんのおいちゃん。
私自身、海外留学したり、外国人とシェアハウスしたりして暮らしてきた。だから、異文化には慣れっこのはずで、ちょっとやそっとのことでは動じないはずだと思っていた。
しかし、このミラクルハッピーホームで暮らしているおいちゃん達はそんな私のキャパシティを遥かに凌駕してきたのである。
ここではいわゆる日本の「常識」という概念はどうやら通じない。
しかも、ホーム全体がひとつの異文化というよりも、ひとりひとりが異文化を抱えているのだから、余計ややこしい。彼らが予測もできない行動をとったとき、それがちょっとしたトラブルに発展したとき、
「なにがどうしてこうなった?!」とてんやわんやしてばかりの毎日だ。
しかし、よくよく相手の話を聞いたり観察したりしていると、彼らにはちゃんと彼らのルールや世界観があって生きていているのが分かる。
それらをひとつずつ丁寧に紐解いていくのは、まるでミステリーの謎解きをしているような面白さがある。
それどころか、枠に囚われないおいちゃん達の自由な生き方を目の当たりにして、こちら側の価値観が揺るがされることも少なくない。
そんな異文化を知っていくとき特有のどきどきわくわくする感覚を、まさかニッチで超ローカルなこのホームで味わえるとは思わなかった。
日本の片隅にこそあるけれども、知らない国に留学しているような刺激と面白さがここにはある。
私が高校で海外に留学するとき、交換留学の団体から
『It’s not good. It’s not wrong. It’s just different.』
という言葉を教わった。
今でもこの言葉を時々思い出す。相手と自分は違うことを自覚すること、
決してジャッジしないこと。そして、その違いを楽しむこと。
異文化交流の場面においては意識的に重んじられていることも、同じ日本社会の中では案外忘れさられがちだ。現に、ホームで暮らしているおいちゃん達の中にはそうやって社会からはじき出された過去を持つひとも少なくない。
確かに、いわゆる社会の「常識」や「良識」に照らし合わせると、行動規範が「???」なおいちゃん達も中にはいる。
しかし、それでもそうやって半世紀以上もの間、どうにかこうにか生きてきたのが彼らの人生であるし、何が正しいなんて本当のところは誰も分からない。
彼らはたまたま「現代」の「日本」や「資本主義経済」の枠組みに合わなかっただけで、国や時代こそ違えば彼らがもっと大手を振って生きられる環境もあったのではないかとさえ思う。
だから、このホームでは違いを否定したり改めたりしようとするのではなく、なるべく彼らが彼らのままで生きてける方法を模索している。そして、何よりその違いを面白がること。
深刻になろうと思えばどこまででも深刻になれる現場だからこそ、そこをどう面白がるか、どう笑い飛ばすか、というのがこのホームで楽しく暮らしていく鍵ではないかと思うのだ。
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