初めての「自分らしく生きようとする子の親のお茶会」を終えて
昨日、無事にお茶会を終了しました。
ただ集い、お菓子とお茶を頂きながら、おしゃべりする。
ただそれだけの会。
だけど、やっぱりただそれだけが、私たち親には必要なんだと改めて思いました。
うんうん
そうそう
わかるわかる
それだけで嬉しい。
気持ちを理解して貰えるだけで、満たされる。
開催するまでは、そんな会が成り立つのかな?と、私自身が不安でした。
でも、私自身がすっかり皆さんに元気を貰いました。
終始笑いがいっぱいで、きっとそんな時間が何より私たちには必要なんだと思います。
また秋頃に、開催出来れば嬉しいです。
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今回の話題になったこと
◯そんなに早く好きなことを見つけなくてはいけないの?
ある参加者の方、お子さんか小学校に上がる際にその市に昔からある「小学校の間に遠泳を出来るようになる」という行事に疑問を抱き(お子さんが心臓の疾患をお持ちだったため)その子にあったフリースクールを見つけて、そこに進学。
小学校の間は元気に通っていたが、その学校の特性として「好きなことややりたい事をみつける」というのがあり、常に先生からそれを問われる雰囲気。
丁度タイミング的にそこに中学部が出来進学を検討した結果、その校風もあり一芸に秀でた子が多く存在。その子はまだそれが見つかっておらず、引け目を感じている様子を感じ、改めて進学先を探し現在の中学校へ。
好きなことややりたいことって、そんなに早くから決めなければならないの?
最近は幼い頃から、子供に夢や希望を持たせようとし過ぎではないの?
(二分の一成人式や、卒業式の言葉など)
夢や目標を持つってもっと自然なものだし、それぞれのタイミングがあるのでは?
◯高校では「単位を取らなければ」がつきまとう。
小中学校と違い、高校になると「単位」という縛りがある。
小中学校の時のように、身体の調子が悪くても、単位を取って進級するために、まじめな子は調子が悪くても頑張って行こうとする。
親も休ませてあげたい気持ちと、進級出来ないかも?という恐怖の狭間で悩む。
それが、また調子が悪くなることへの悪循環になってる。
単位の取り方は、公立私立、また学校や先生によっても違う。
余白のない現代の高校のシステム。昔はもう少し余白があったのでは?
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皆さんの貴重なお話のまとめとして、記しておきます。
みんなが笑顔で、自分らしく生きれるように。
2022.6.10