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今日ときめいた人々173ー翻弄され生き抜く女性の姿

(写真は福島TRIPより転載。戊辰戦争後の鶴ヶ城。膨大な数の砲弾を撃ち込まれ痛ましい姿に)

(2024年7月6日付 朝日新聞 「旅する文学(福島編) 翻弄され生き抜く女性の姿」文芸評論家 斎藤美奈子氏の言葉から)

「福島県は会津の戊辰戦争から福島第一原発事故まで、中央の政治に翻弄されてきたという歴史を反映してか、キレイごとを排した作品、ことに女性作家の傑出した作品が多い」と斎藤氏は書いている。

取り上げられた女性には、宮本百合子、吉野セイ、長沼(高村)智恵子のほか、時代小説「会津恋い鷹」の鷹匠の女性、映画を小説化した「フラガール」の踊り手たちや原発事故を題材にした「彼女の人生は間違いじゃない」の被災女性。中でも一番衝撃と感銘を受けたのは吉野セイの生き方である。


吉野セイ
「洟をたらした神」でデビューしたのは75歳。21歳で結婚し7人の子を産み、開墾地で農婦の生活を送った。彼女が再び筆を取ったのは半世紀後、夫の死後だった。大正末から戦中戦後の体験を綴った作品は文壇を驚嘆させたという。「夫が死ぬまで自分の才能を封印していた」ということに多くの人が衝撃を受けた。同著の後書きの彼女の言葉:

「ここに収めた16篇のものは、その時々の自ら及び近隣の思い出せる貧乏百姓たちの生活の真実のみです。口中に渋い後味だけしか残らないような固い木の実そっくりの魅力のないものでも、底辺に生き抜いた人間の『しんじつ』の味、にじみ出ようとしているその微かな酸味の香りが仄かでいい、漂うていてくれたらと思います」

序文を書いた串田孫一は彼女の作品に出会った時の衝撃を、

「刃毀れなどどこにもない斧で、一度ですぱっと木を割ったような、狂いのない切れ味に圧倒された」「呆然とした」

と書いている。


宮本百合子
誰もが知るプロレタリア文学作家と言われた人だが、彼女は東京で暮らしており、夏は現郡山市で過ごしたようだ。そこは祖父が安積開拓や疏水事業に尽力した地である。入植者の極貧の生活を描いた「貧しき人々の群れ」彼らの生活を前にして、自らの虚栄心に気づき、階級社会への眼差しが芽生えたという。彼女の文学の原点は福島にあったと。


高村(旧姓長沼)智恵子
福島の女学校から日本女子大に進み洋画家を目指すも、高村光太郎との事実婚の生活は困窮を極めた。父亡き後は実家が破綻。家族のゴタゴタもあって40代で心を病む。「智恵子抄」で「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川」と書いた光太郎は妻の焦燥と失意に気づかなかったという。故郷に慰めを求めた智恵子の姿は鬼気迫るものがあるという(津村節子「智恵子飛ぶ」より)


「フラガール」
石炭から石油へのエネルギー政策の転換で閉鎖を迫られた常磐炭鉱。その余剰人員の雇用先として設立されたのがハワイアンセンターである。

「オレ、母ちゃんと同じ生き方、しだくねえ。これからは女も堂々と働ける時代だっぺよ」(白石まみ「フラガール」より)

国家と家の犠牲になった女たちの決意と自立の言葉。


原発事故の被災者目線で描かれた小説「彼女の人生は間違いじゃない」(廣木隆一著)の主人公の女性の言葉:

「フクシマで電気を作り東京へと向かう。すべては東京中心。東京はいつだって地方の犠牲の上に成り立っている」

「周縁から見える景色にこそ文学は宿るのだ」と斎藤氏は語る。


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